数年前の稚内は最北端の宗谷岬、日帰り温泉施設の「童夢」、稚内公園・・・でしたが、稚内~南稚内間の国道40号線沿いに新しいスポットができました。
副港市場は特産品だけではなく、松坂大輔スタジアム、戦前の樺太にタイムスリップしたかような常設コーナーもあります。
樺太庁豊原中学校を模した教室で戦前の映像や、展示資料などが見られます。
すみすみまでじっくり見学するのに半日あれば回れそうです。 一部を復元した、「稚内港」駅舎。
初代の稚内駅は今の「南稚内駅」、1922(大正11)年開業。
稚内港駅は1923(大正12)年開業。
当時はレールもなく、大泊港(樺太)との稚泊連絡船の駅として開業。
稚内港駅~稚内(今の南稚内)間のレールは1928(昭和3)年敷設。 フェリーなのに、鉄道の改札口に準じているみたいですね。
昭和3年以降の宗谷本線は
・稚内-稚内港-(稚泊連絡船乗り換え)
昭和14(1939)年に駅名改称。
・南稚内(旧稚内)-稚内(旧稚内港)-(稚泊連絡船乗り換え)
昭和20(1945)年8月の終戦間もなく、稚泊連絡船は廃止。
・南稚内-稚内(日本最北端の駅になる)
樺太も日本の市町村名。
今はロシア語の地名に変わっています。 昔の稚内港駅。
今の稚内駅に位置しているのではなく、桟橋寄りにあったそうです。
稚内駅構内で車止めが施されているのですが、昔はさらに北に延び、北防波堤ドーム内に滑り込み、汽車から直接船に乗り換えるようにしていたそうです。
大正8(1919)年の樺太地図。
北限は50度きっかり、陸続きでソビエト連邦(現ロシア)につながっていました。
★おまけ★
1909(明治42)年刊行の大日本帝國地図帳の朝鮮。
日本の地図に今の北朝鮮と韓国の地図が入っていました。
38度線で分断する国境線はなく、中国とソビエト連邦に国境線ですね。 今のソウル近辺を拡大してみました。
大日本帝国時代のソウルは「京城」(けいじょう)と呼んでいました。
今もソウルを起点とする、
「京釜(キョンプ)線(ソウル-釜山)」
「京義(キョンウィ)線(ソウル-新義州といっても今の北朝鮮)」
「京元(キョンウォン)線(ソウル-元山(今の北朝鮮)」
の路線名称が使われています。
樺太はロシア語の地名に変わっていますが、朝鮮半島も漢字文化圏なので、冬のソナタで有名になった「春川(?? チュンチョン)」、韓国民族村のある「水原(?? スウォン)」、国際空港の「仁川(?? インチョン)などの地名が残っています。