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黒潮物語(昭和25~36年の青ヶ島)は非常に面白い

2009-06-18 00:22:49 | 青ヶ島

 黒潮物語は国立国会図書館所蔵の
 「青ガ島教室 : くろしおの子と五年間」1955年刊
 「くろしおの子 : 青ケ島の生活と記録」1955年刊
 「黒潮のはてに子らありて : 青が島教師十年の記録」1961年刊、
 いずれも著者は高津勉先生、この3冊のどれか内容は似ていました。

 国立国会図書館の資料は館内閲覧のみになっているので、書き写すか、複写サービスを利用しなければなりません。

 国立国会図書館で調べたものはほんの一握りだけど、高津勉先生の書かれた3冊を凝縮した「黒潮物語」は手元にあるので、便利になりました。

 「俺はこんな窒息死しそうな狂った東京を離れて、紺碧の大海原と緑の別天地に行くのだ」、そんなつもりで向こうの事情をよく知らないまま1ケ月半かけて、青ヶ島にたどり着いた高津先生。
 「エイチ、エイチ、エイチ」と掛け声とともに船から小さな艀に乗り換え、やっと命がけで船着き場に到着。
 昔の船着き場から急な坂道(今でいうと都道236号線の上手回り)を必死に登るのに両手をついて這いあがるといったほうが正しかったそうだ。
 赴任先になる小中学校の建物を見て、あまりにもショックで気が遠くなりそうになってしまった。どう見たって、ただの古ぼけた小屋のようなものだ。
 子供たちも大人も島言葉を話しているため、同じ日本人なのに言葉が通じず。
 やがて夜になり、電気をつけようと思ったが、電灯はぶら下がっていない。
 電灯の代わりにランプに火をつけると、薄明るい光がたった1人の部屋をわずかに明るくしている。
 外は漆黒の暗闇、物音1つもしない。まるで死んだ世界のようだ。
 ビュービューと風が唸るような音、ザザーザザーと遥かに黒潮の音。
 物音はそれだけだ。

 東京の物騒さから逃れたいと思っていたのに、この静かすぎる不気味な静寂は、もっと耐えがたい恐怖だった。

 よし、次に定期船が来たら、逃げようとひそかに考え始めたのだが・・・
 教科書もなく、クニ(内地)に比べると非常に劣っているのに心を痛め、悪しき島の習慣を取り除き、斬新な教育革命を施した。
 島の将来のために様々な方針を打ち出したところ、「よそから来たモンのくせに生意気な!おんがし(青ヶ島のこと)伝統を打ち破るなんて許せない」と先生の家に殴りこみに来る騒動もあったらしい。
 でも、先生の考え方は悪くもなく正しいので、そのときの味方は子供たちだったとか・・・。

 今も新しくて近代的な建物の小中学校で歌われている「黒潮おどり 雲なびき 緑萌ゆる 青ヶ島 八丈眺む 中原に建てる学び舎に わが母校~♪」の校歌も策定、生徒たちを初めての修学旅行引率、図書室を設けるなどにして、大きな業績を残されました。

 この本を読めば読むほど昔の青ヶ島を知るようになり、はまってしまいそうです。

コメント
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