母島は国内で最も遠いところです。
沖縄県の北大東島、南大東島も沖縄本島から東へ400キロの秘境ですが、東京から飛行機で乗り継げば、数時間(東京~那覇2時間半、那覇~北大東島1時間)。
母島は東京を10時に出発、翌日の11時半に父島二見港に入港。
接続する「ははじま丸」は12時半出港、母島沖港には14時40分。
(去年の夏季は13時半発15時40分)
東京からなんと29~30時間の船旅になってしまいます。
今回も「ははじま丸」に「だん吉」を乗せ、母島へ。
外来種の植物が母島に入ってこないように、船から降りると履物の底を洗い流すようになっていました。 母島は青ヶ島に次いで大好きな島です。
沖港に降りた「だん吉」は道に従うように直進すると、突き当りの「脇浜なぎさ公園」。
これはもともと自然にできたものではなく、人工浜ですね。
去年夏、そこで泳いだことを思い出します。
鮫の「ネムリブカ」を見かけただけでもドキッとしますが、凶暴なタイプではなく人に危害を加えることはないそうです。
写真を撮ろうと思っていたのに、ネムリブカもかなり臆病なのか逃げられてしまいました。
だん吉は北のほうに向かいますが、ずっと上り坂だとバッテリーが持つかどうか不安に思ったのか、下り坂を選んでしまいました。
たどり着いたところは、折田農園のレモン畑。
母島のお土産に喜ばれる「ママヤのレモンジャム」はここで生産されています。
テレビでは出ていませんでしたが、折田農園といえば、ママヤのレモンジャムが有名。
農園のオーナーがしぼりたてのレモンを焼酎に入れ、豪勢にかぶ飲み。
TOKIOのお二人さんはドライバーなので、「焼酎はいいな~」と思いつつも、レモンジュースを試飲。
程よい酸っぱさで少し甘みがするそうです。やはり、小笠原のレモンは違っているでしょうね。 これも懐かしいです。
母島の道路標識は珍しいものばかり。
ここは「雨中橋(うちゅうばし)」。覚え方は「雨の中の橋」
「猪熊谷」と書いて「いぐまだに」。(「猪と熊の谷」)
「蝙蝠谷」の標識、ぱっと見ただけで読めません。ローマ字綴りで「こうもりだに」。
「庚申塚」も「こうしんづか」。都電の駅名なので、すぐ覚えられます。
バイクでキチガイのごとく走り回ったので、おのずと地名を頭にインプットしてしまったかも・・・。
それらの標識を見ると、「母島にやってきたどー!!」なんてそのような気分に浸ってくれるので不思議。 えーっ!桑の木山も!?
夜のグリーンペペ探しに来たことのある場所にTOKIOのお二人さんも同じ足取り!?
アカギという木は戦前、薪の燃料として植えられたものだが、繁殖し固有植物を脅かしているため新芽を除去しているとのことでした。
なるほど「アカギ」という木の名前も初めて知りました。
この先の「庚申塚」は六本指地蔵と探照灯基地跡だな・・・と思ったら、それを見事にパスし、東港へ。 ここは母島北部の「東港」。
北港は1944(昭和19)年の強制疎開直前までは、北村小学校、郵便局、駐在所、旅館など「北村」としておよそ600名が暮らしていた。
現在はその面影すらなくなってますが、北村小学校だけは門柱が残っています。
そこからおよそ1キロ先に20年くらい前までに捕鯨が行われた大きな漁港「東港」があります。
2月だというのに、子供たちは高台からジャンプを楽しんでいました。
2月でも泳げるなんていいなあ・・・。
今度は都道最南端の地へ。
7月に来てくれれば、TOKIOのお二人さんに会えていたかも知れない。
半年以上のすれ違いだ。(笑)
来週もまた母島が出てくるかな。
最近のテレビ番組は青ヶ島、母島・・・私の好きな島目白押しです!