叔父から無事に帰宅したというメールが入りました。「雨が降るので、野島埼灯台は止めようと言ったはずでしたが、通じていなかったのでしょうか。でも、行ってみると日本一周バイク旅が思い出され、雨の中、波打ち際まで行く気になりました」とのこと。
「この雨じゃ、野島埼灯台は無理だね」とおっしゃっていたのはわかっていました。
しかし・・・私も、人知れず辺鄙な島、青ヶ島や1000キロ離れた南国の小笠原好きが高じて何度も行っています。それが好きではない人が聞いても「あっ、そう」で済ませられる程度。
叔父は「灯台よ、ありがとう 日本一周バイクの旅」の本を出版するほど、灯台マニア。
大日本帝國の占領下に置かれた朝鮮半島は旅券なしで自由に往来できました。
下関と釜山を結ぶ「関釜フェリー」もそうです。当時は国内旅行の感覚でした。
朝鮮人同士なら朝鮮語、相手が日本人なら日本語といったようにバイリンガルでした。その影響なのか、日本語を理解できる高齢者の韓国人の比率は多いようです。
祖父は日本の警察官ですが、朝鮮語を学び、通訳も務めていたようです。
終戦後、小さな島国の日本だというのに、「大日本(テイルボン)」と名乗っていたな、だったら、こっちも「大韓民国(「テハンミングク」、日本語読みは「だいかんみんこく」)」だ!と1948年、正式命名。現在も正式国名はそのような表示になっています。
一方、戦争に負けた大日本帝國は国名に「大」をつけて膨張し続けるのはまずいと気付いたのか「日本國」に改めました。
何度もフェリーに乗っているうちに、海でつながっている海外への憧れにつながり、三井船舶に入社、東回り世界一周航路を経験。
長い間船員生活をしていると、船舶をナビケードする灯台に興味を持つようになるのは当然なことです。
灯台マニアのリクエストに応えるべく、日が暮れないうちにやっと到着!!
かろうじて写真が撮れる程度の明るさ。
写真は穏やかに見えますが、実際は台風21号が接近中で暴風雨!!
叔父は懐かしそうにとんとん奥へ行ってしまいました。
しばらくすると、灯台に電気がつきました!!
叔父も満足できたそうです。
よかった~!!
足元はすっかりずぶ濡れ・・・。乾かすために車の暖房を最大限にON。
数キロで「まさえもん」に到着~!!