今日(24日、水曜日)の青ヶ島は・・・・今朝ライブカメラで見た三宝港の様子は白波が打っていて、欠航になりそうだと思ったら本当に欠航になってしまいました。桟橋に波がかぶっていなくても、白波が目立っていれば、欠航になる確率が高い。この程度でも欠航なんですか!?とビックリするぐらいですから・・・。
10月のカレンダーに船が来たと○印がついているのは、2日、6日、10~12日、21日、22日。あとは×が目立っています。
今年の10月は欠航率がすさまじいなぁ・・・。
さて、今後の見通しですが・・・・25日は就航確定、26日、27日も続けて来てくれそうです。28日は運休日、29日から31日も大丈夫でしょう。ほとんど暑い夏の間だけ行っているので、違う季節に行ってみたいな~と思っているところです。
先月の新刊案内で見つけた本です。1冊2940円なので、中身を見て購入するかどうか決めたいと先月のブログに書きましたが、青ヶ島に関する書物ならすべて収集するという私のポリシーなので、ポチッとしてしまいました。
裏の帯に著者紹介が載っています。青ヶ島には1971年5月から74年1月まで、1990年9月から93年7月まで2度も青ヶ島村役場で勤めておられたので、島における信仰について専門的に詳しく書かれています。
島の神社すべて(金毘羅・渡海・大里・東台所)、カミソウゼやでいらほん、シャニン、ミコケ・・・などの意味も解説されています。
昭和39年東京オリンピック開催にあたり、文部省は全国の僻地にテレビを贈ったのに、その頃の青ヶ島は発電所もなく、テレビを映せる術がない。急きょ、2キロワットの発電機でその場で凌ぎ。その頃から電力の確保が急務になり、2年後の昭和41年にやっと発電所設置。
しかし、今みたいに24時間使えるわけではなく、1日6時間のみ送電。
昭和44年に発電所が農協から東京電力に移管、1日16時間送電。(停電タイムは午前0時から午前5時までの5時間と、午後1時から午後4時までの3時間、計8時間)
24時間送電になったのは、昭和48年から。
休戸郷にある、大里神社。昭和41年頃まで「でいらほんの儀式」に使われていた男女のお面が祀られています。
その現物を見に行こうと思いましたが、鳥居周辺の草丈がすごくて行く手が遮られてしまいました。
この先、どうやって行くんでしょうか・・・??(写真は2010年8月) うわっ、すごいな。1967(昭和42)年の三宝港。
その頃は東海汽船が八丈島行きの船が青ヶ島まで延伸するのは月2回となっていたのに、船が全然来ない月もたびたびあった。
船が来ると、ご覧通り島民総出で荷揚げ。
昭和47年からカレンダーの「0」と「5」の付く日は船が来るようになったとか・・・。
この本は青ヶ島における宗教や信仰の話が中心になっていますが、昔の様子なども載ってあり大変興味深いです。 今日の夕食。小松菜とイカの中華風スープ。
初めてだというのに、すごく美味しくておかわりしたくなってしまいます。
血液をサラサラにするワーファリンを服用する人にとって、こういう野菜を多量摂取するのはご法度とされていますが、たまにはいいでしょう。