11月8日、月曜日。11月に入ってから船は順調に動いたのに、今日は欠航です。太平洋に低気圧があり、時化ています。明日も低気圧の置き土産により、厳しそうです。次に来るのはおそらく4日後の12日(金曜日)になりそう。これはあくまでも私の予想ですので、絶対にその通りになるとは限りません。船が欠航するとわかり、すぐヘリコプターに飛びついても、9人乗りなのでキャンセル待ちが出なければ難しいです。青ヶ島への交通手段はまさに綱渡りの状態です。
日本最北端の宗谷岬から見える堤防だけど、あれが本当の最北端ではないかと勘ぐり、グーグルマップで確認すると不思議。今立っている場所が本当の最北端。ここよりももっと北に突っ張っているように見えるのに、あそこはここより少し南にあります。
宗谷岬から稚内駅までカーナビを設定するとなんと30キロ!!到着時間予想時刻はおよそ35分後。これを見て驚愕。23区内で30キロを一般道路で移動するだけでも1時間以上。首都高速に乗っても渋滞にはまるともっと時間がかかる。さすがに北海道。東京の感覚とは大きなギャップが・・・。
ここは稚内駅の改札口。4代目の新しい駅舎がオープンしたのは2011(平成23)年4月なので、もう10年の歳月が流れています。10年って本当に早い。今の時間は14時50分。次の列車は17時44分発特急「宗谷」。およそ3時間後ですね・・・。
みどりの窓口は6時10分から17時45分までなので、17時44分の特急が出た直後、店じまい。最東端の根室駅も朝5時31分発の汽車があるため、営業時間は5時20分から17時00分まで。
「最北端の線路」。前の3代目駅舎時代は車両止めの先にありましたが、今はここに移転
稚内駅の時刻表です。真っ白でスカスカな状態が寂しいんですけど、稚内駅の駅員さんは6時10分から17時45分まで駐在。8時間勤務なので、2交替になっているかも知れませんが・・・。
最北端の自動券売機。稚内駅員さん手作りの「操作の仕方」マニュアルを写真付きで解説。昔と違って新型のタッチパネル式だけど、高齢者にとっては使いづらいようです。近所のスーパーが10月下旬から新型レジスターを導入し、タッチパネルに操作して決済する方法に変更。つまり、店員さんは商品をレジに通すだけで現金のやりとりやクレジットカードの受け渡しはしないということになりました。中国ウイルスがついているかも知れないお札や硬貨を触った手で食料品に触るなんて・・・と以前からずーっと思っていたんですけど、これでもう安全。
ジローさんってば・・・タッチパネルに優しくタッチすれば反応してくれるのに、猛烈な力で押すのでタッチパネルがゆっさゆっさ。昭和の人間なので、大昔のスイッチみたいにカチッ!と反応するまで力任せにしなくても・・・。
「ものすごくのパワーで押さなくても大丈夫ですよ、もうこれから小指で軽くタッチ!!」
最北端でもオレンジカードが使えるのを確認できました。「国鉄」や「JNR」のロゴマークがついている未使用のオレンジカードを多量眠らせたままで出番なし。オレンジカードを優先に使えばいいのになぜかIC系交通カードで直接改札機にタッチ。
新駅舎が出来てから早10年。
今の新駅舎が出来る前は右側のホームがあって、ここに車両止め。ここが本来の車両止めだけど、現在は駅舎の奥に移転。
でも・・・車両止めの場所からでも線路が続いている跡があります。
今のサハリンが北緯50度までが大日本帝国領土の「樺太」だった頃、400m先の「稚内桟橋駅」まで線路が結ばれていました。そこから連絡船に乗りかえ、樺太の大泊港まで。樺太でも大日本帝国が敷設した線路が現在もロシアに引き継がれています。韓国も釜山から京城(ソウル)まで線路を日本が敷設。1945(昭和20)年、広島、長崎と立て続けに原爆投下。8月9日から6日後の15日に大日本は敗戦を認める降伏。それにより、日本列島のまわりにある台湾、朝鮮半島、樺太、南洋諸島などを手放し、終戦の10日後、稚泊(ちはく)連絡船は廃止するとともに稚内桟橋駅も廃駅となりました。
<<戦前>>
稚内(今の南稚内)ーー稚内港(今の稚内)ーー稚内桟橋
<<戦後>>
南稚内ーーーーーーーー稚内
こんな遷移を持つ稚内駅です。