パレオエクスプレスの熊谷発三峰口行きの停車駅は、ふかや花園、寄居、長瀞、皆野、秩父、御花畑の6駅のみで要所時間はおよそ2時間半です。急行だったら、1時間半ですが、余計に1時間かかるSLはゆったりと流れる車窓の風景を楽しむことができます。
私の席は13A。
2時間半かかるので、念のため飲み物を用意してしまいましたが、車内販売もあるし、寄居(12分)、長瀞(9分)、秩父(8分)での停車時間が長いので、駅の自動販売機で購入可能でした。
SLの機関士さんが急発進、急ブレーキを避け、ガクンといった振動をしないように、ゆっくりと動輪を動かし、駅に停まるときもちゃんと計算したうえでブレーキ。今日はガクンとしない、寝台特急並みの技量でした。静かで滑らかな動き、素晴らしい。
国鉄時代、山陰本線のDD51ディーゼル機関車が牽引するレッドトレインの50系客車で通学するのが日常茶飯事。運転が荒っぽい機関士さんに当たってしまうと、急にハンドルを動かすのかディーゼル機関車が急発進。そうすると、後ろの客車はガクッガクッ!!と連結器伝いで衝撃な振動。「今日の機関士さんはイライラしているのか?」と思ったほど。当時は親方日の丸の国鉄なので、どなたも文句言えず。
宗太郎駅2番ホーム待合小屋の照明器具は今の時代にふさわしく、LEDになっていました。宗太郎駅の時刻表を見ると、佐伯行き6時39分と20時35分、延岡行き6時54分の1.5往復しかありません。九州の夜明けは東京より遅く、冬至前後だと7時15分を過ぎてやっと明るくなります。6時台が暗くなる時期は年間の半分くらいなので、利用者ゼロの状態でもこの照明は灯ることになるでしょう。
雨が降らなければ・・・とお天気が恨めしいです。
2番線ホーム側にあった記念碑のようです。かなり年季が入っており、文字の判読ができず、ネットで検索してみたら、出てきました。こちら です。1947(昭和22)年、信号場を駅に昇格させた初代駅長さんを讃える記念碑とのこと。もう76年前になります。あの頃の遡っていれば、宗太郎駅は駅長をはじめ、駅員さん、そして駅を利用するお客さんで賑わっていたに違いない。
この風景を見ると、崖っぷちの谷間に駅がある飯田線の秘境駅を思い出します。
向かいの1番線ホームにある蛇口。このあたりはかつて、公衆電話ボックスがあったところです。秘境駅のミネラルウォーターなのかも知れませんが、加熱や殺菌処理はしていないので、直に飲むのは避けた方が良さそうです。
国鉄時代によく見かけた、行き先のサボ。サボといっても、鉄道用語。今のようなインターネットがなかった国鉄時代、少ないビット数で通信ができるようにカタカナだけの電報略号がよく使われていました。サボはさぼりの「サボタージュ」を意味するのではなく、「サインボード」を2文字にしたのでは、という諸説もあります。
JR西日本の山陰本線ではキハ40や47が活躍する国鉄王国なのですが、行き先表示はすべてLED表示に変わりました。昔は下関駅で山陰、山陽、九州各方面のサボを差替える職人さんがいましたが、今はもう役目を終えています。
ところが、JR北海道ではキハ40をJR西日本みたいにLED方向幕を取り付ける余裕がないのか、現在もサボが使われていますが・・・最近、サボを差し込まない函館エリアのキハ40が増えているとか・・・。記事は こちら。よく利用される地元の方なら、サボがなくても行き先は頭の中でインプットしているかも知れませんが、私のような道外からの旅行者だとぱっと見てどこに行く汽車なのか判別できず躊躇してしまいそうです。
うちの指定席はここ。秩父鉄道はかなりIT化が進んでいるので、スマホまたはパソコンとクレジットカードさえあれば、国内だけではなく世界どこからでもシートマップの予約状況を確認しながら指定席の予約が可能です。指定席料金は1000円。JRだったら、ネットで予約しても最終的に駅で予約した内容のきっぷの発券が必要ですが、こちらはスマホのメール本文が指定席券代わり。
この車両はもともと国鉄が昭和44(1969)年から製造された急行型座席客車の12系客車。国鉄がJR東日本に継承し、秩父鉄道に譲渡しました。12系が出る前は、戦前に製造されたオハ33やスハ42が使われていました。山陰本線も自動ドア付きの50系レッドトレインが出る前は戦前の古めかしい客車が使われていました。自動ドアではないので、かなり危ない車両。もし、今もオハ33やスハ42だったら、冷房もなく蒸し暑い車内になりそうです。
9月19日火曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は通常とおり就航します。9月10日からずっと時刻表のとおり「〇」が続いています。明日(水曜日)、明後日(木曜日)は東京積み荷作業のため、運休します。本日も最高気温32度。9月の半ばを過ぎても異例の暑さが続いています。
宗太郎駅2番ホームにある待合小屋で雨宿り。
宗太郎駅名物(?)のメッセージ付きの石ころ。これらの石はそこらへんにあったものなのか、それとも全国の宗太郎駅マニアが自宅近くの適当な石ころを見つけてはメッセージを書いて置いていったのか、真相は不明。
まさしく、今の気分は、これ。せっかく宗太郎駅に来たのに、雨じゃ・・・ね。
中津といっても、大分県最北端の駅。ここは最南端の駅。中津から宗太郎までのきっぷは179.2キロ。運賃は3、300円なーり。ちょうど静岡県の端から端まで、すなわち、熱海から新所原までの177.8キロとほぼ同じくらいです。
そりゃ、私も長年も特急で素通りしてばかりで宗太郎駅のことが気になり、やっと今回はついに念願の宗太郎駅訪問。
秘境駅によくある、駅ノート。ここでもありました。特に日本一の秘境駅、北海道の小幌駅は女性が管理者。しっかりホームページで小幌駅の近況報告もまめに更新。小幌駅ノートの管理者ホームページは こちら。
小幌駅は地元の豊浦町役場がふるさと納税を利用して駅としての光熱費、バイオトイレなどの維持料を負担していただいているおかげさまで、現在も小幌駅が現役なんですけど、最北端の木造の駅として有名な抜海(ばっかい)駅を抱える稚内市は2024(令和6)年をもって廃止を検討しているようです。
根室本線の富良野から新得間も、来年、一部の鉄路復旧はせず廃線が決定されました。そのため、全国からその区間に乗りに出かける鉄道ファンが殺到しているとか。特に、新得から東鹿越間は2016(平成28)年の台風災害により、代行バスで運行中。1台のバスに乗り切れず、積み残しが出ているそうです。
宗谷本線もかつては秘境駅がたくさんあったというのに、今年のダイヤ改正でいくつかの駅が消滅。駅のまわりはゴーストダウン化となってしまった、雄信内駅、物置小屋の糠南駅も危なかったのですが、幌延町が観光資産として使えるとして、維持料を負担し、存続決定。
秘境駅を存続させるために自治体が維持料を出すのは、どうやら北海道だけのようです。
駅ノートは列車が来るまでの待ち時間にちょっとした暇つぶしになります。
わざわざ自前の色鉛筆を持参し、ここでノートに描いています。すごいねえ。寝台特急「彗星」です。東京発九州行きの寝台特急列車名は「富士」「みずほ」「さくら」「はやぶさ」「あさかぜ」だけど、この彗星は、京都発南宮崎行き。ブルートレイン利用者の減少に伴い、2005(平成17)年に廃止。その年までは、ブルートレインがあの秘境駅の宗太郎駅を通過。2005(平成17)年までの下関駅の時刻表は朝の時間帯に東京から、または京都、大阪からのブルートレイン、夕方から夜にかけては東京、関西方面のブルートレインの名前がずらりと並んでいたのに、現在は電車形式の「サンライズ出雲」(東京~出雲市)、「サンライズ瀬戸」(東京~高松)を残して、機関車が牽引するタイプはすべて消滅。夜中のうちに目的地に移動する「動くホテル」の需要が減っては残念なことです。
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1944(昭和19)年2月 兵庫県の川崎車輌で製造後、東北地方の釜石機関区をはじめ、仙台、長町、小牛田、石巻、郡山など東北地方各所で活躍し、1972(昭和47)年、国鉄の無煙化により、廃車。引退後は国鉄から吹上小学校に貸与する形で動態保存。1987(昭和62)年、車籍復活。
秩父鉄道で運転が始まったのは1988(昭和63)年からなので、今年35年目になります。
国鉄で活躍していたのは1944年から1972年までの28年間、休止期間は16年間、秩父鉄道35年間、あわせると、もう79年目。
こちらはボイラー。水を石炭で加熱し、車軸を動かすエネルギーの蒸気になります。
運転室の後ろは炭水車。多量の石炭や水が積まれています。
三峰口に着く頃は山ほどあった石炭はなくなりそうです。電気や軽油に比べるとどのくらいの経費がかかるかわかりませんが、SLのほうがすごくかかりそうです。
いつも旅行するときは荷物削減のため、傘を持ち歩かない。今回は雨なので、折りたたみくらいは持っていったほうがよかったんですけど・・・。佐伯方面1番線では雨宿りができる場所といえば、厠(かわや)。ちょうど2番線延岡行きホームに雨をしのげるまともな屋根付きの待合小屋があるので、あそこへ。
宗太郎に着く前までに雨が上がっていればラッキーなのに、今日は残念ながら降り続けていました。
秘境駅だというのに、駅名票を新しくしたのは、豪華観光特急列車「36ぷらす3」の停車駅だからでしょう。秘境駅の物珍しさもあり、しばらくの停車時間に観光客がどっと降りるので、このときだけ秘境駅にふさわしくない風景になってしまいます。
駆け足であの屋根付きの待合小屋へ。
宗太郎駅でもしも何かあったときにJR関係者に通報できるように電話番号も掲示。JR九州では経費削減のためNTTの固定電話は廃止。駅のみどりの窓口だって、ソフトバンクの携帯電話番号です。国鉄時代に鉄道電話として鉄道通信株式会社設立。国鉄が民営化になってから社名を「日本テレコム」に変更。2004(平成16)年にソフトバンクが日本テレコムを買収し、現在に至っています。
9月16日土曜日。本日も青ヶ島行き「くろしお丸」は就航します。今週はパーフェクト就航でした。来襲もその調子で就航できますように。
蒸気機関車の人気っぷりはすごいです。動力源は石炭でお湯をわかして発生した蒸気がエネルギーになって車軸のピストンを動かす仕組み。北海道から九州までこんなに手間がかかる蒸気機関車が活躍してた時期もありました。
蒸気機関車がバックして入線するかと思ったら、電気機関車が牽引。
機関士さんと、石炭を入れる機関助士さん。2人でペアになります。こんなに炎天下、エアコンのないさなか、ボイラーから出る熱もあって過酷な職場環境なのかも。
タバコの煙は非常に不愉快ですが、この煙は昭和の懐かしい香りが漂います。
煙がおさまり、撮影タイム。
2020(令和2)年より携帯電話のG5のサービスが始まり、もう3年経つのに地方では、まだまだ限定的な印象がします。都会なら「5G」と表示されますが、地方に行けば、「4G」。自宅は田舎なので、4Gエリアのままです。4Gと5Gの違いは、4Gは通信スピードが最大1Gpsですが、5Gは10倍~20倍の10G~20Gps。10倍以上も速度が速いので、重たいデータのやりとりでも瞬時にやりとりが可能です。4Gでも見守る君のカメラや、ユーチューブなどの動画サイトでは問題なく見られます。
20年前は田舎に行けば「圏外」の状態でした。今の時代、どこに行ってもスマホの「圏外」表示になってしまうことは滅多になくなりました。どんな田舎でも使えるようになっているので、宗太郎駅はぜいぜい4Gだろうと思いきや・・・5G。ということは、ネット環境は自宅周辺よりも、宗太郎駅のほうが上ってことです。
宗太郎駅前1等地の住宅。このあたりは5Gが使えるので、わざわざ光回線を契約しなくてもドコモのエクシモ(ギガを無制限で利用)で超高速ネット使い放題になるんじゃない。うちの家ではまだ5Gが来ていないので、ドコモ光と併用。エクシモだけにすれば、スマホも使え月の利用料が安上がりになります。
駅入口の風景。昔は階段の向かいは宗太郎公民館を兼ねた木造駅舎がありました。
かぼちゃなんですね。
跨線橋を上がってみました。
秘境駅にランキングされているとはいえ、民家が数軒あります。
9月14日木曜日。本日の船は東京積み荷作業のため、お休みです。次回は明日15日です。昼間はまだまだ夏のような暑さですが、朝夕は日中より10度くらいは下がります。寒暖差により、抵抗力が落ちて、中国ウイルスやインフルエンザにかかりやすくなります。
こんな記事を見つけました。 こちら。やはり、社会的に認知度が低いそうです。私はドコモの見える電話を利用していますが、相手が出たとたん、ロボットが話す不審な電話?と勘違いされ、何度もコール。2,3回目で「このような電話があるとは知りませんでした、失礼しました」とやっと本人からの電話だと理解してくれますが、1回で繋がれればと思います。最初に流れるガイダンスを「耳の聞こえにくい方からのお電話です。文字を音声に変換するドコモの見える電話を利用しています」と、わかりやすく変えて欲しい・・・といつも思っています。
7月29日の朝。ホテルの朝食バイキングで好きなものを選んで・・・。
この日も朝から気温がぐんぐん上がり、猛暑日です。汗だくになり、熊谷駅へ。
10時15分ギリギリではなく、余裕をもって30分前に駅に到着。秩父鉄道はかなりIT化が進んでおり、SLの予約はクレジットカード決済のインターネット完結。しかも、SL車内で販売するお弁当もネット予約すれば、当日は座席まで出前してくれる優れもの。配達してくれたお弁当代の支払いは、スマホでPayPay。ホンモノの昭和イズムは現金専用の小湊鉄道。
きっぷもICと印字されているので、SLの終点、三峰口駅まで交通系ICカード決済。例の自動改札機はICカード専用機なので、きっぷを駅員さんに提示しながら通り抜けます。自動改札機を通過したことを示すパンチ穴はありません。
急行羽生行きは、元西武鉄道の101系。これも昭和レトロ車両のひとつ、西武秩父線開業に合わせ、1969(昭和44)年から数年間は製造されたものです。山岳路線向けとして開発されたものなので、秩父鉄道にはマッチしているかも知れません。
首都圏私鉄の「急行」は無料ですが、秩父鉄道の「急行」は急行券が必要です。大人210円、子ども110円。野上~長瀞間、秩父~影森間のみをご利用される場合は、急行券は不要です。
急行券を用意できずそのまま乗ってしまっても、車内で急行券を購入することになっていると思いますが、車掌さんは大忙しでは・・・。
なーにもない山口県の漁村で暮らしていた頃、急行に乗るのに50キロまで520円(消費税3%時代)の急行券が必要でした。東京で暮らすようになり、私鉄の「特急」「急行」「準急」「特別快速」「快速」「各停」など種別の多さに驚かされ、「急行」は急行券が必要だと勘違いしたことも。
東武や西武の特急は豪華な車両が使われているので、特急券が必要ですが、京王、東急、京急、京成の特急は普通のロングシートなので、特急無料。
9月13日水曜日。本日も青ヶ島行き「くろしお丸」は就航します。臨時就航した日曜日からなので、4連続で船が来ます。そうとわかっていれば、青ヶ島にふらりと旅して予定通りに戻って来られるのもいいなと思っています。
宗太郎駅の木造駅舎があったところは土台として残っています。青空改札口は、駅舎があったころの改札ラッチをそのまま残しています。
鉄道省時代の大正12(1923)年、宗太郎信号場として敷設。駅に昇格したのは、昭和22(1947)年。木造駅舎はその頃に建てられ、国鉄の駅員さんも駐在していました。
跨線橋のたもと付近に公衆電話ボックスがありましたが、今は撤去されています。今の時代、公衆電話を使って連絡する人はほとんどいなくなりました。しかし、市街地におむね500メートル四方に1台、その他の地域では1キロ四方に1台を置くことが、電気通信事業法の施行規則で決まっています。ここでも、1キロ四方に最低でも1台はあるんですかね?そこんところが疑問。
昭和時代や平成の初め頃は外に出かければ、必ず公衆電話を目にしていましたが、現在は見かけるのは非常に稀になりました。今から20年くらい前、今のようなWi-Fiがない時代はもっぱら外出先のネットはグレー公衆電話。その頃(2000年当初)、小笠原に出かけてしまうと、ドコモのみアンテナが立っていても音声通話のみでメールのやりとりに必要なiモードは使えず。Eメールは父島、母島とともにグレー公衆電話につないで受信。返事を書いて、再び接続して送信。今の小笠原村は光が導入され、スマホされあればすべてできてしまう、便利な時代になりました。
昭和22年に遡っていれば、あの改札口に駅員さんが入って、硬いきっぷに鋏を入れていたかもです。現在は駅舎もなくなり、きっぷ入れのポストらしきものが鎮座されています。
延岡から佐伯間は普通列車は1.5往復しかなく、その間に乗ってきたお客さんはただものではないと判断され、車掌さんがそのお客さんのところのロックオンし、きっぷはお持ちですか~?って話しかけるので、キセルは絶対に無理でしょう。きっぷ入れポストの中身、どこから宗太郎までのきっぷがちゃんと回収されているか気になるところ。秘境駅として上位にランキングされている駅名同士のきっぷ、たとえば、「小 幌 → 宗太郎 経由:静狩・函館線・新函館・新幹線・新青森・新幹線・東京・新幹線・小倉・鹿児島線・南小倉 8月1日から8月13日まで ¥23,870 根室駅MR発行 (1ータ)」とか出てきたら、びっくり仰天かも。
ここにいられるのはわずか14分の滞在。雨なので、駆け足であちこちウォッチングしながら撮影します。