高水駅停車。この駅名票、フレームが白くなっていて、違和感あり。JR西日本の駅名票フレームは焦げ茶色のはず。
1934(昭和9)年、山陽本線として開業しているので、駅舎は貫禄があります。90年前は長編成の客車を蒸気機関車が牽引する光景だったかも知れませんが、今はたった1両のワンマンカー。
次は米川に停まります。
米川駅舎。
改札付近を拡大してみたら、ひまわりが飾られていました。
こちらも高水駅と同じく1934(昭和9)年開業ですが、駅舎は新しく建て替えられたっぽいです。
12月14日木曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は東京積荷作業中。天気図を確認すると、冬型配置なので、日本海だけではなく太平洋も荒れています。しかし、明日は凪ぎそうなので、船は条件付きで動くかもです。生鮮食品やアマゾンなどポチッと注文した商品が山ほど届くかも・・・。
久下田駅。読みはくげた。もし、「久」の文字が無ければ「下田(しもだ)」になってしまいます。
次は折本駅です。
レトロっぽくて味のある駅舎。明治最後の年の1912(明治45)年4月1日開業となっていますが、駅舎も明治時代のものなのかどうかは不明。
そろそろ下館駅に着きます。撮影は10月上旬なので、まだ「緑」が見られますが、今だったら、モノクロトーンになっているかも知れません。
生野屋駅停車。国鉄時代最終日の5日前の1987(昭和62)年3月27日、地元の請願により開業しました。向こう側に見える高架は山陽新幹線。
次は、周防久保駅です。
新幹線と並行しながら進みます。
勝間駅。
JR北海道、JR東日本、JR東海はこのようなポスターは見かけず。このポスターをよく見かけるのはJR西日本。JR四国やJR九州も見かけます。東は宵越しの銭持たず。西は無駄使いをせず倹約する大阪商人気質と言われているとおり。私は西出身なので、もし、車掌になったとしたら取りこぼしを防ぐためまめに検札するかも。
勝間駅はちょっと高台にある駅です。
12月11日、青ヶ島から戻ってきました「くろしお丸」は八丈島で旅客、荷下ろしを終え、東京へ向かいました。海上状況不良のため、しばらく東京待機中になるとのことです。次回の就航予定は未定です。
真岡駅構内にあった、使われなくなったキハ20。昭和30年代製造なので、もう60年くらい昔の車両。
ディーゼル機関車も錆びたまま放置。後ろの貨物列車もかなり年季が入っていて、ボロボロです。まるで國鐵車両の墓場。
次は寺内駅に停車。
今は第三セクターの真岡鉄道になりましたが、前身は明治時代まで遡ると東日本旅客鉄道、日本国有鉄道、鉄道省、帝国鉄道庁。
明治最後の明治45年開業なので、帝国鉄道庁が敷設した駅です。
駅舎も1912(明治45)年建築であれば、今年で111年目になります。途中で改築したのかどうか調べてみましたが、そのような記録は見当たらず・・・。
12月9日土曜日。本日は条件をつかずに就航決定となりました。9日までで欠航した数は2回だけです。この調子で年末まで順調に動けたらと思います。
徳山駅を出発して、次は山陽本線の櫛ヶ浜駅に停車。ここからは岩徳線に入ります。岩徳線はもともと山陽本線として敷設し、のちに海岸沿いの新しい線路が敷かれ、山陽本線はこちらに移し、旧線は岩徳線と名付けた経緯があります。
岩徳線はほぼ山陽新幹線と並行します。岩国から櫛ヶ浜間は経路特定区間に指定されていて、この区間を通過する場合の運賃・料金は岩徳線経由の営業キロおよび対応する運賃計算キロで計算します。
例えば、【阪】大阪市内 → 【福】福岡市内 経由:新大阪・新幹線・博多 の 乗車券は最短距離の岩徳線経由として計算されています。
発駅から着駅までの距離が100キロ以上であれば、新幹線経由であっても、遠回りルートの山陽本線、最短距離の岩徳線、どちらも途中下車はできます。
岩徳線に入って、最初の駅、周防花岡駅です。周防を「すほう」と思い違いし、パソコンではなかなか漢字変換してくれず。正しくは「すおう」。
もともとは山陽本線なので、ホームが長くて貫禄のある駅舎です。
次は、生野屋(いくのや)駅に停まります。
12月8日金曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は海上状況不良のため、欠航となりました。次回就航予定は12月9日土曜日です。
真岡鉄道の中心駅、真岡駅でおよそ10分間の停車。
乗客がいっせいに降りて駅構内を散策。蒸気機関車の機関士さんたちもしばしの休憩。
真岡駅にあった、気になるキハ20。製造番号は247です。
車内では物置と化しています。
東急車輌、昭和34年の銘板が付いています。東急といえば、東京急行電鉄(現在は「東急」)を思い出しますが、国鉄及びJR車両も製造しています。昭和34年を西暦にすると1959年。今年2023年なので、なんと64年前。小湊鐵道のキハ200も国鉄のキハ20をベースに作られたもので今も現役です。
C12 66の操縦席。いろんなメーターやハンドルがついていて、どのように動かすのかわかりません。
機関士さんの行路表。分だけではなく、15秒や30秒とか、秒単位まで管理されています。通過する駅も、何時何分何秒と記載。今の新しい電車は例えば速度80キロまで行ったら、その速度でそのまま持続するようにコントロールできているみたいだけど、SLは機関士さんが速度や時間を計算してスピードをコントロールしているかも知れません。そうであれば、相当な技術になります。
悲報・・・JR北海道のローカル線では主力だったキハ40が2025(令和7)年をもちまして、定期運用終了。同じくJR四国もJR北海道と同じ時期に全滅予定。そうしますと、生き残りはJR西日本(山陰本線、岩徳線、中国地方の山岳路線)及びJR九州(日田彦山線、肥薩線、指宿枕崎線)の可能性が浮上。
国鉄がJRに変わったのは1987(昭和62)年。計算するともう、36年です。車両の寿命を迎え、次々と淘汰するのは仕方がないと思いますが、国鉄を懐かしむ世代(ほとんどはおじさんやおばちゃん)にとっては古き良き時代の昭和を思い出せるので、いつまでも現役で活躍して欲しいです。
日本国有鉄道 新潟鉄工所 昭和56年の銘板付き。所有権をJR西日本に移したのなら、その下に「JR西日本」の銘板があるはずなのに、それがない。
国鉄時代になかった改造その1 ドア付近の床に「段差にご注意ください」の表示。
国鉄時代になかった改造その2 LEDの行き先表示。国鉄時代は行き先が書かれた板を差し込む「サボ」方式。
国鉄時代になかった改造その3 ドアを撤去し、運賃箱やLED料金表設置。ワンマンに改造しているので、後ろの様子を確認できるミラー付き。
国鉄時代になかった改造その4 扇風機のカバーがきめ細かな網状に変更。スカスカな状態だと羽根に当たると危ないからでしょう。
国鉄時代の表示は 小郡を意味する「広コリ」または下関を意味する「広セキ」。「広コリ」は下関総合車両所新山口支所という名称なので、「広クチ」に変更。国鉄時代の名残なのか、電報略号が使われています。
車内は1両編成でも十分なほど、1人が4人掛けボックス席に座る余裕があるほどです。
12月6日水曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は条件付き出航が決定されました。12月に入って、欠航したのは12月2日だけ。ますますの就航率です。
今乗っているオハ50は新潟鐵工。2001(平成13)年に経営破綻し、今はなきメーカーです。国鉄のキハ40や47もほとんど「新潟鐵工」の銘板がついています。
灰皿の跡。昭和時代といえば、喫煙天国でした。子どもの頃の通学で通勤客がボックス席で紫煙をくゆらしながら・・・という光景が日常茶飯事。たばこは刺激が強く、衣服にヤニ臭さがしみついていて、非常に迷惑なことだと思うんですけど、昭和時代にさかのぼれば、とがめる人は滅多にいません。
座席下のスチーム暖房。今日は目にほこりっぽいのが入るなあと思ったら、これが原因。10月上旬は窓を開けていてちょうとよい季節なので、SL蒸気機関車の煙に含まれる粉みじん。
SL最盛期の乗客達もかなり苦労していたかも・・・。
多田羅駅停車。
七井駅に停まって、次は真岡です。