7月4日の日に、子ども達の放課後の遊びをめぐる喧嘩についてお伝えしましたが、昨日は、放課後遊びを始める際にいきなり、一人の子が「多数決で決めようぜ!」と言い出し、みんなその意見に賛成で、“多数決の結果”、すぐに野球をすることが決まりました。
その光景を見ていて、とても釈然としないものが残ったので、今度彼らが来たら、「多数決の弊害について」わかりやすく説明できないものかと考えました。そもそも、「多数決」によって意見を決めるにせよ、はじめは議論ありきのはずです。なのに、何も話し合いもせずに、単なる、決を採るための道具としてだけ「多数決制度」を使ってしまったら、それは大きな言論上の暴力となってしまいます。どのような説明をすれば、子ども達にうまくそこのところが伝わるのか、考えていきたいと思います
もう一つ気になることがあります。それは、今通ってきてくれる男の子達が集まると、98%くらいが「野球をしようぜ!」という結論になってしまうことです。それだけ、野球が魅力的であることは間違いないにせよ、何年も学舎をやっていて、このような一つの遊びにばかり固執する現象は初めてなので、“おかさん”は戸惑っています。
“おかさん”の勝手な思い込みによると、子ども達は、どんなことでも遊びにしてしまう天才です。ですので、そこらにあるものを引っ張り出してきては、勝手なルール付けのもと、自分達で作り出したGameを楽しんでしまいます。なので、以前は野球の他に、卓球、相撲、かくれんぼ、バスケット、皿回し、独楽回し、おはじき、トランプ、将棋、サッカー、ゴルフ、ボーリング・・・・など、いろいろと行っていました。
今でも、野球以外の遊びも行われてはいますが、その頻度の少なさに驚いています。何故なんでしょう?
今この文章を書いていて、「あっこれかな?」という、一つの仮説が浮かびました。でも、もう少し検証してみないと、その仮説があっているのかどうかわかりません。折があればその仮説を、ここに書きたいと思います。
その光景を見ていて、とても釈然としないものが残ったので、今度彼らが来たら、「多数決の弊害について」わかりやすく説明できないものかと考えました。そもそも、「多数決」によって意見を決めるにせよ、はじめは議論ありきのはずです。なのに、何も話し合いもせずに、単なる、決を採るための道具としてだけ「多数決制度」を使ってしまったら、それは大きな言論上の暴力となってしまいます。どのような説明をすれば、子ども達にうまくそこのところが伝わるのか、考えていきたいと思います
もう一つ気になることがあります。それは、今通ってきてくれる男の子達が集まると、98%くらいが「野球をしようぜ!」という結論になってしまうことです。それだけ、野球が魅力的であることは間違いないにせよ、何年も学舎をやっていて、このような一つの遊びにばかり固執する現象は初めてなので、“おかさん”は戸惑っています。

“おかさん”の勝手な思い込みによると、子ども達は、どんなことでも遊びにしてしまう天才です。ですので、そこらにあるものを引っ張り出してきては、勝手なルール付けのもと、自分達で作り出したGameを楽しんでしまいます。なので、以前は野球の他に、卓球、相撲、かくれんぼ、バスケット、皿回し、独楽回し、おはじき、トランプ、将棋、サッカー、ゴルフ、ボーリング・・・・など、いろいろと行っていました。
今でも、野球以外の遊びも行われてはいますが、その頻度の少なさに驚いています。何故なんでしょう?
今この文章を書いていて、「あっこれかな?」という、一つの仮説が浮かびました。でも、もう少し検証してみないと、その仮説があっているのかどうかわかりません。折があればその仮説を、ここに書きたいと思います。
