「鵜の瀬」
鵜の瀬(うのせ)は、福井県小浜市下根来(しもねごり)の遠敷川中流にある淵である。1985年(昭和60年)名水百選に選定された。
概要
2羽の白い鵜と黒い鵜が羽を休めた木の跡から、湧水が満ちあふれたのがはじまりという記録が残っている。
遠敷川が左に向きを変える深緑の淵を指し親水公園、および鵜の瀬の歴史やお水送りの神事などが展示されている「鵜の瀬公園資料館」が整備されている。
天平の昔、若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大寺にゆかれた印度僧実忠和尚が大仏開眼供養を指導で、753年(天平勝宝5年)に二月堂を創建し修二会を始められ、すべての神々が参列されたのに、若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず、ようやく二月十二日(旧暦)夜中一時過ぎに参列された。それは川漁に時を忘れて遅参されたので、そのお詫びもかねて、若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送る約束をされ、そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出て、その穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付けその水を汲む行事が始まり、それが有名な「お水取り」である。その若狭井の水源がこの鵜の瀬の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える。この伝説信仰から地元では毎年三月二日夜この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混淆の「お水送り」行事を行う習いがある。「鵜の瀬」由緒記 案内板より
お水送りの神事
東大寺(奈良県奈良市)の二月堂において行われる修二会に先駆けて、毎年3月2日に御香水を遠敷川に注ぐお水送りの神事の場所として観光名所となっている。
*Wikipedia より
その昔、白黒の2羽の鵜が岩から飛び出し、留まった樹の跡から甘水が湧き出し、香水が満ち溢れたのが湧水のはじまりという記録が残っている。毎年3月2日の夜「お水送り」の神事が行われ、春を呼ぶ行事として有名である。
水質・水量
水量・水質ともに昭和59年よりほとんど変わりなく良好な状態を保っている。
由来・歴史
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧実忠は、その後東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行った。初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進したが若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅れ、あと2日で終わるという日に現れた。そのお詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする「閼伽水」(清浄聖水)を献じる約束をして地面を割ると白と黒の2羽の鵜が飛び出して穴から清水が湧き出した。若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。この湧き水を「若狭井」と名づけ、1250年の長きに渡って守り続けられているその井戸より「閼伽水」を汲み上げ本尊にお供えする儀式が、大和路に春を告げる神事「東大寺二月堂のお水取り」である。若狭小浜の神宮寺では、奈良に先立つこと10日、3月2日にお水送りの神事が執り行われる。
水質保全活動
地元住民(下根来区)が「鵜の瀬保存会」をつくり、定期的な清掃美化活動を実施している。
おすすめの時期-3月2日、奈良東大寺二月堂へ水を送る神事「お水送り」が行われる。
周辺の自然環境-遠敷川の中流に存在し、上流域は林野庁選定の「水源の森百選」に選定されるなど、豊かな森を源とした清浄な河川である。
周辺には、国指定重文の神宮寺本堂・仁王門や若狭姫神社、若狭彦神社など古寺古刹が点在している。白石神社には、天然記念物の椿が群生するなど歴史と自然にあふれている。
利用状況-毎年3月2日に奈良東大寺に香水を送る神事が営まれ、春を呼ぶ行事として多くの観光客を迎えている。また、鵜の瀬の流れは、整備された鵜の瀬公園、鵜の瀬資料館とともに、親水公園として年間を通じ親しまれている。
イベント情報-3月2日、奈良東大寺二月堂へ水を送る神事「お水送り」が行われる。神宮寺境内の大護摩から松明にもらい受けた火を手に鵜の瀬まで約2キロ、三千人を超える松明行列が続く。
*https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=38 より
鵜の瀬の水は、公園内の給水場にてポリ容器1個300円、ペットボトル4個300円で購入することが可能です。また、おばま観光局が生産した『若狭・鵜の瀬の名水』500ミリリットルのペットボトルも販売されています。こちらは、小浜市の道の駅などで購入可能です。
ペットボトルのネット販売は、福井県や小浜市の特産品サイトで購入できる他、500ミリリットル×24本セットが楽天市場やAmazonなどのサイトでも購入可能となっています。
*https://www.flair-water.jp/meisui/1681/#i-8 より
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