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イッピンNHK 「歴史がはぐくむ島の宝~熊本 天草陶磁器~」

2023-12-13 09:29:41 | イッピンNHK

 第234回 2019年10月1日 「歴史がはぐくむ島の宝~熊本 天草陶磁器~」リサーチャー: 比嘉バービィ

 番組内容
 熊本県天草諸島は磁器の原料となる陶石の日本有数の産地であり、良質の粘土も採れるため、昔から焼き物を作ってきた。現在もそれぞれの窯元が、個性的で多彩な焼き物を生み出している。真っ白な肌に、濃紺の十字の模様がよく映える花瓶。また「海鼠釉(なまこゆう)」という釉薬を使い、深い独特の青を出したお皿。さらに、土の質感を前面に押し出したコーヒーカップも。歴史と豊かな自然に培われた、独創的な焼き物づくりに迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201910011930001301000 より

 

 1. 内田皿山焼(木山健太郎さん)

 「内田皿山焼」の窯元は、元々、天草陶石を採掘する会社「木山陶石鉱業所」を経営していました。
 木山陶石鉱業所・初代の木山直彦氏は慶應義塾で学び、福沢諭吉から「天草に生を受けたのなら陶石を是非おやりなさい」と陶石採掘の道を直接指導されたそうです。
 そして陶石業における繁栄期を築き、原料供給などで瀬戸地域へ意欲的に交流を図るなど、陶石を通し多くの地域への陶石の販路拡大を積極的に行いました。
 
 木山陶石鉱業所3代目の社長の木山勝彦さんは、昭和45(1970)年にタコ壺などを焼いていた窯を引き取り、
工房を造り直そうとしたところ、そこで江戸時代頃の古い磁器の陶片が発見されます。
 町が行った発掘調査によってこの窯が1650年頃から約100年間に渡って磁器を生産していたことが判明。
 日本有数の歴史を持つ“幻の窯”を再興すべく、木山さんは本格的に食器などを中心とした「天草陶磁器」作りに取り組むことを決意し、「内田皿山焼」を開窯しました。

 「内田皿山焼」では、自ら地元で採掘する天草陶石や志岐粘土を使い、磁器だけでなく陶器まで手掛けています。

 また「天草陶磁器」の知名度を全国的にアピールしようと周りの窯元に呼びかけ、振興会も発足させました。
 
 現在は、息子の健太郎さんが現代表として、更なる新風を吹き込んでいます。

 「Amacusa」は、天草陶石を世界に発信するために平成27(2015)年にスタートとしたブランドです。
 「Amacusa MUSO」は、高品質な陶石のみを使用し、今までの天草陶磁器には無い モダンなフォルムで、
現代の暮らしにマッチした アイテムのシリーズです。
 天草の キリシタン文化への オマージュと 新たなフォルムの追求、陶石本来の白を活かした デザインになっています。
 「MUSO クルス 花器」は真っ白な肌に、濃紺の十字の模様がよく映える 花瓶です。
 
 内田皿山焼 熊本県天草郡苓北町内田554−1

 

 2.水の平焼・水の平焼 器峰窯

 「水の平焼」(みずのだいら)は、明和2(1765)年に岡部常兵衛が水の平の地で創業した窯元で、「海鼠釉(なまこゆう)」に元祖と言われています。

 三代目・弥四郎は従来の「水の平焼」に一層に改良を加えて一種の象眼焼を作り上げ、明治10(1877)年、「内国勧業博覧会」で「花紋章牌」を受賞。
 全国的に「水の平焼」の名を高めました。

 五代目・源四郎は釉薬の開発に打ち込み「赤海鼠釉」の開発に成功、「水の平焼」の名声を不動のものとします。
 特筆すべきは、明治43(1910)年の「日英博覧会」に出品された「赤海鼠コーヒーセット」で、形状もモダンで美しく博覧会より「銅賞」を受賞しました。

 現在、兄・祐一が窯元の八代目として代々受け継がれてきた「海鼠釉」の器を中心に制作、弟・俊郎が「水の平焼 器峰窯」として「天草陶石」を使った「磁器」を中心に制作しています。
 
 無印良品のセレクトショップ 「Found MUJI」などで取り扱いがあります。
 
 水の平焼 熊本県天草市本渡町本戸馬場 2004

 

 3.丸尾焼

 「丸尾焼」は 弘化2(1845)年、金澤與一により創業。
 丸尾が丘周辺の粘土質の赤土を使い、水瓶、味噌瓶、醤油瓶等を製造し、「天草の瓶屋」と 呼ばれていました。

 三代・金澤武雄は技術者として、沖縄、栃木等の窯業地で指導を行い、栃木県では益子町の県立窯業指導所の初代の所長を務めます。
 天草においても天草中学校窯業部を創設するなど次世代の技術者養成のため尽力しました。
 昭和7(1932)年に三代を継承し、食器・花器等、手工芸としての陶器作りに着手。
 名称も「丸尾焼」と定めました。

 現在は、金澤一弘さんが昭和55(1980)年に五代を継承し、機械による大量生産を一切行わず、
 全ての作品を習熟した手仕事により行っています。

 釉薬は、黒、モスグリーン、乳白、透明、新透明の5種と染付の呉須鉄釉。
 その祖父・3代武雄が残した調合をそのまま使ったりアレンジして使っています。
 金澤一弘さんは、生活空間をより豊かにする普段着感覚の焼物を目指しているそうです。

 番組では、土の質感を前面に押し出したコーヒーカップが紹介されました。
 
 丸尾焼 熊本県天草市北原町3-10

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Kumamoto/AmakusaCeramic より


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