第231回 2019年9月3日 「進化する“みやび”~京都 工芸品と菓子~」リサーチャー: 三倉茉奈
番組内容
千年の都、京都。御所を中心に優雅な文物が次々と生まれ、それが庶民の間に広まり、親しまれていった。優雅な御所うちわが進化した「透かしうちわ」。あおぐのではなく、見て楽しむ。また、皇室の祝い事で引き出物によく使われる「金平糖」。いまでは60種類以上の味が楽しめる。さらに京都名産の竹を使った繊細なアクセサリーで人気を集める女性工芸家。京都ならではの工芸品と菓子の魅力、その製作過程を紹介する。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201909031930001301000 より
千年の都・京都は、政治だけでなく華やかな宮廷文化の発信地でした。
雅な品々がここから庶民の間に広まり、やがて驚きの進化を遂げていきます。
今回のイッピンは、京都ならではの雅な色、形そして味に迫りまりました。
1. 透かしうちわ(京うちわ「阿以波」十代目・饗庭智之さん)
奈良にある国宝「高松塚古墳」の壁画には、日本のうちわと言われる原形「翳」(さしば)を手にした女性が描かれています。
うちわは元々、高貴な女性が顔を隠すために使うものでした。
都が京都に移ってからも、うちわは優雅さの象徴であり、庶民の憧れでした。
江戸時代には、花や鳥や虫などがまるで日本画のように繊細優美に描かれた絵柄をつけたうちわ「御所うちわ」が大流行し、夏の暑さをしのぐものとして欠かせない存在となっていきました。
「阿以波」(あいば)は、初代長兵衛が近江高島の“饗庭(あいば)”より都に出て元禄2(1689)年に店を開いたことに始まります。
「阿以波」(あいば)という名は、静と動の禅語「江月照し、松風吹く」に由来するそうです。
七代目より「うちわ専門店」となり、「御所うちわ」の伝統を伝える「京うちわ」を作り続けてきました。
現当主は、その十代目の饗庭智之さんです。
「京うちわ」の製作技術を今に伝えるとともに、新たな「うちわ文化」を創造し続けています。
「透かしうちわ」は、一般的なうちわとは違い、紙が全面に貼られておらず、細い骨に繊細な切り絵細工が施されています。
うちわの表面の切り絵の美しさは勿論、ライトや日光が当たると壁に浮かび上がる陰影までも楽しめます。
普通のうちわでは骨の数は50本程ですが、「透かしうちわ」は倍の100本必要だと言います。
壊れやすいので強度を高めるために骨の数を多くしなければならないのだそうです。
眺めて涼をとるために作られるようになった「透かしうちわ」ですが、お客さまから「冬に合ううちわはありませんか?」という問い合わせが増え、現在では、様々な四季の模様が入ったうちわが作られています。
花を生ける代わりに「透かしうちわ」を飾ったりなど、現代の「うちわ」は、インテリアとしても利用されています。
京うちわ 阿以波 京都府京都市中京区柳馬場通六角下る井筒屋町422
2.「竹のアクセサリー」(「京竹籠 花こころ」小倉智恵美さん)
京都・嵯峨野は京都は全国でも指折りの竹の産地で、美しい竹林が有名ですよね。
茶筅、茶杓などお茶の道具など、竹を使った工芸品作りも盛んに行われています。
京竹籠 花こころの小倉智恵美さんは、独特な感性で今注目を集める竹細工職人です。
竹割から仕上がりまでを一貫して行い、機械を使わない丁寧な手仕事で、日本の美の温もりと日常シーンで輝く美しさを兼ね備えた逸品を制作していらっしゃいます。
今一番の人気は、竹で作ったアクセサリー「バングル」です。
小倉さんは神奈川県出身。
平成16(2004)年に京都伝統工芸専門学校(現・大学校)竹工芸専攻卒業し、平成23(2011)年に自身のブランド「京竹籠 花こころ」を立ち上げました。
平成26(2014)年にパリで開催された「ジャパン・エキスポ」で注目され、バングルやリングなどのアクセサリーや
繊細な編み方のテーブルウェアが人気を呼びました。
小倉さんは京都で学んだ昔ながらの方法を大事にしています。
なたを使って竹を幅1㎜以下になるまで割っていきます。
細いところだと、0.5mm幅の極細の竹ひごを指先に神経を集中させて、より緻密な模様にしていきます。
3.手作りの金平糖(「緑寿庵清水」五代目・清水泰博さん)
皇室の祝賀行事の引き出物「ボンボニエール」。
ボンボニエール(Bonbonnière・仏語)
ボンボン(砂糖菓子)を入れる 菓子器のこと。
明治22(1889)年の「憲法発布記念式典」にて配られて以来、皇室の慶事の記念の引き出物として用いられるようになりました。
令和の天皇陛下御即位の大礼に際しての記念の品にも選ばれました。
そして中の菓子は、現在では概ね 「金平糖」が入っています。
「ボンボニエール」の中には様々なお菓子が入れられますが、中でも多いのが京都の「金平糖」です。
金平糖は16世紀ポルトガルからもたらされたと言われています。
(ポルトガル語では「confeito(コンフェイト)」と言うそうです。)
京都にその製法が伝わったのは江戸時代で、以来この町の人々に親しまれ、また皇室ゆかりの菓子になりました。
創業が弘化4(1847)年という「緑寿庵清水」は、日本で唯一の金平糖専門店で、現在は約60種類程の金平糖を作り出しています。
直径2m程の鉄の釜を熱して回しながら金平糖を作ります。
鉄の大きな釜を回しながら職人がタイミングを計って蜜を入れ、様々の味をつけていきます。
なんと2週間という時間をかけて、少しずつ少しずつ蜜をかけ、粒を大きくさせ、あの独特の突起をつけていきます。
緑寿庵清水 京都府京都市左京区吉田泉殿町38番地2
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Kyoto/Craft_sweet より
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