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イッピンNHK 「料理とお酒を楽しく~佐賀 唐津焼~」

2023-06-16 08:33:00 | イッピンNHK

 第55回 2014年4月15日 「料理とお酒を楽しく~佐賀 唐津焼~」リサーチャー: 中越典子

 番組内容
 今回は料理やお酒が楽しくなる唐津焼。佐賀県唐津市は、400年前から続く焼き物の産地。日常使いの食器から野趣あふれる茶碗までさまざまな陶器が作られている。佐賀県出身で陶芸に夢中の女優・中越典子が、ニューヨークで人気の女性陶芸家やどんな料理にも合うというモダンな黒い皿を作る職人を訪ね、唐津焼の奥深い世界に踏みこむ。古くから無名の職人たちがざっくりと作ってきたシンプルな器が料理をおいしく見せる秘密とは?

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201404151930001301000 より

 1.中里花子さん

 今、米NYで、中里花子(なかざとはなこ)さんの「唐津焼」の作品が注目されています。
 
 中里さんは、お祖父様は人間国宝の12代目・中里 太郎右衛門、お父様の隆さん、お兄様の太亀(たき)さん、甥御さんの健太さんも陶芸家という陶芸一家に生まれましたが、幼い頃から陶芸家になるつもりは一切なく、16歳の時にプロテニスプレーヤーになる夢を叶えるために、単身渡米。
 
 テニスの道は志半ばで諦めることになりましたが、日本の独特な食文化に目覚め、Smith Collge美術学部を卒業後、帰郷。
 お父様の中里隆さんの「隆太窯」で約3年弱の修行を積み、陶芸を学びます。
 
 更に平成12(2000)年に再び渡米し、かつてお祖父様に師事していた米国人陶芸家のマルコムライト氏のもとで5年間作陶しました。
 
 東京・銀座のアートギャラリー「万葉洞」での親子展を皮切りに日本やアメリカ各地で数々の個展を開催し、高い評価を得ました。
 
 平成19(2007)年には故郷の唐津に独自の工房「monohanako」、平成22(2010)年には米・メイン州に工房「monoahanakowest」を設立し、二つの拠点で創作活動をスタート。
 現在は、唐津とメイン州を半年ずつ行き来しながら、作陶に励んでいらっしゃいます。
 黒、白、グリーン、ブルーなど優しい色合いに彩られ、凜とした佇まいの器はとても人気があります。
 器には、イニシャルの“h”の文字が彫られています。

 中里さんが作陶に使用しているのが、唐津で多くの職人が使ってきた「牛べら」という伝統的な道具です。
 
 「牛べら」は牛の舌のような形状から名付けられた九州地方で生まれた「コテ」のことです。
 「牛べら」は、カーブが薄い板で、先に行くほど反るような形になっています。
 「牛べら」を使うことで、指で広げるよりも早く、指跡を残さずに形を作ることが出来ます。
 
 中里さんの作品は、「唐津焼」をルーツにしながらも、独自の感性から生まれる無国籍な匂いが漂う
モダンなデザインが特徴です。
 
 中里さんは唐津について「生命力の溢れる作り方が好きで、 そこを唐津から学んだ姿勢です」と
おっしゃっていました。

 monohanako 佐賀県唐津市見借4838-20

 2.中里太郎右衛門窯
 
 「唐津焼」は今から400年以上前の室町時代末から桃山時代にかけて始まったと言われています。
 老舗の窯元「中里太郎右衛門窯」はその頃誕生し、江戸時代には唐津藩の御用窯を勤め、当時使用された「唐人町御茶盌窯」(とうじんまちおちゃわんがま)は国指定史跡として、現在も窯敷地内に保存されています。 (令和2(2020)年3月10日「御茶盌窯記念館」開館)

 中里花子(なかざとはなこ)さんのお祖父様は、「中里太郎右衛門窯」の12代・中里太郎右衛門(中里無庵)です。
 
 明治以降、急速に衰退していた「唐津焼」復興のために一生を捧げ、その功績から国の重要無形文化財唐津焼保持者(人間国宝)に認定された陶芸家です。

 中里家は当主とは別に、同じく中里を名乗る数多くの陶芸家が存在し、人気作家もたくさんいらっしゃいます。
 例えば無庵の3男の中里重利さんは、唐津焼の重鎮であった陶芸家です。
 花子さんのお父様の中里隆さんは無庵の5男です。
 隆さんの子供達、太亀(たき)さん、花子さん、太亀さんの息子さんの健太さんも人気作家です。
 「唐津焼」における「中里」の名は一流ブランドのようでありながら、それぞれ作家の個性を生かした「唐津焼」を排出する優秀な家系なのです。

 「中里太郎右衛門窯」の先代、13代は従来の唐津焼にはなかった色彩や装飾を取り入れた芸術性の高い作品が評価された名高い現代陶芸家で日本芸術院会員に就任しています。

 現在は、14代・中里太郎右衛門(なかざとたろうえもん)さんが現代の新たな「唐津焼」を創作しています。

 14代が作った「叩き青唐津壺」(たたきあおからつつぼ)は表面がデコボコ歪んでおり、それが見所になっています。
 「叩きづくり」は古来から行われる成形技法のひとつです。
 12代は「叩き」の名手で、紐づくりで積んだ作品を「叩き」の技法で成形しました。
 
 14代に、実際に「叩き」の技法を見せていただきました。
 内側を丸石で押さえ、外側を格子状の模様を彫りこんだ板で叩いていきます。
 「叩く」ことで繋目は消え、粘土は中の空気が抜けてしっかりと締まり、薄くて軽量に作ることが出来ます。
 また叩いた模様は装飾として活かせますので、作品に表情が出ます。

 中里太郎右衛門窯 佐賀県唐津市町田3丁目6-29

 3.黒唐津(由起子窯・土屋由起子さん)

 お父様やお祖父様が「唐津焼」が好きであったことから、物心ついた頃から生活の中に「唐津焼」が当然あるものだったという土屋由起子さん。
 平成6(1994)年より「古唐津」を中心とした作陶を開始しました。

 平成10(1998)年からは中里花子さんのお父様でもある「隆太窯」の中里隆さんに師事し、平成14(2002)年に「由起子窯」を開窯。
 作っては使い、作っては使いを繰り返し、食卓に素直に馴染む器を作陶しています。
 
 由起子さんの代名詞とも言える「黒唐津」は、黒釉を薄くかけ、電気窯を使い高温でじっくりと焼成するため、「黒色」と一言では表現出来ないほど、一つ一つのお皿の表情が個性豊かで、どんな料理も受け止めてくれる大らかさを持っています。
 使い勝手がよく、盛り付けることが愉しくなるうつわです

 由起子窯 佐賀県唐津市浜玉町東山田800-1

 4.縮緬皺(殿山窯・矢野直人さん)

 「唐津焼」は酒の器としても魅力的で、明治28(1895)年創業の老舗旅館「松の井」の料理長、森次庸介(もりつぐようすけ)さんに「唐津」の鑑定のポイントについてその薀蓄(うんちく)を伺いました。
 
 長年使ってきた徳利は、新品のものと表情が違ってくるという。
 長く使い続けると「貫入」(かんにゅう)と呼ばれるヒビ模様に独特の風合いが生まれるそうです。
 
 なぜ「唐津焼」にはこうした変化が出やすいのかについて、佐賀大学芸術地域デザイン学部の教授の
田中右紀(たなかゆうき)さんは「不純物の多い唐津の土は貫入が出やすい」とおっしゃいます。
 
 お猪口の高台も唐津焼の見所のひとつで、愛好家は焼け具合やシワの表情を見て楽しむのだそうです。
 この高台のシワは高い技術を持った職人にしか作ることが出来ないそうです。

 豊臣秀吉が文禄・慶長の役で拠点とした名護屋城跡のほど近くの高台に位置する「殿山窯」。
 「殿山窯」の2代目・矢野直人(やの なおと)さんは、高い技を持ち、第4世代の最も注目される若手作家です。

 矢野さんは市販の粘土は一切買いません。
 「古唐津」で実際に使用された「砂岩」や釉薬の原料を自ら採取し、陶土や釉薬作りまでを行います。
 黒唐津、朝鮮唐津、斑唐津、絵唐津、粉引、李朝など、伝統の唐津焼を手本にしつつ、これまでの唐津焼の常識にも捉われない柔軟な視点で探求し続けています。

 そして、「かんな」と呼ばれる土を削る道具を使って、作品を作ります。
 唐津の土には粘りがあるため、一気に削るとシワが入ります。
 これを敢えて手直しせず、そのままにしてあります。
 これは唐津の土によく見られる削り跡で、削った時に中央が残った「兜巾」(ときん)と呼ばれる突起も
唐津焼の魅力のひとつとされるようになっていったそうです。

 その後、自ら再現した伝統的な「割竹式登窯」で窯焚きをします。
 釉薬をかけていない「露胎」ところに、ささくれだった「縮緬皺」(ちりめんじわ)が入っています。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Saga/Karatu より


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