てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

わが恩師

2024-03-05 22:33:00 | ビジネスと社会

私には生涯の師と仰ぐ恩師が二人おられる。
お一人は小学生の折のK坂先生。
そしてもう一方は大学で、所属するサークルの顧問を務められたI出先生。
K坂先生については、別稿に譲るとして、ここではI出先生との思い出話。

心理学を教わり、教科書だけは手元に大切に保存しているが、肝心の授業内容は遥か忘却の彼方。
離れて暮らすご子息(治さん?)が実家への安否確認の手段として、電話代が掛からぬよう「3回コール」を合図に決めていたと、嬉しそうに話されたことだけは何故か鮮明に覚えている。
それと合宿時、先生から促され持ち帰った面河渓の流木が、半世紀の時空を超えて今でもわが枯れ水槽を飾っている。

先生が退官(1992年9月9日71歳)された折には、お宅へ記念の備前焼徳利と、ぐい呑みをお届けに上がったものの、生憎お留守だったので置手紙をして帰った。

後日、先生からは退官記念に上梓された『ゑひもせす━ん』をご恵贈賜り、恐縮した。
本のタイトルも然ることながら、体裁もユニークで縦書き・横書きミックス。
おまけに文章が前と、後ろの両方から始まる。
サークル会報へは寄稿を頂き、写真そのものについてよりもカメラ談義を拝聴するにつけ、毎号発行を楽しみにしたものだ。

2020年2月24日、老衰のためご逝去された。97歳。
2月24日に「四国Vライン(瀬戸大橋~高知~松山)旅」をブログへアップしたばかりだが、奇しくも先生の4回目の祥月命日にあたる。
事前に気付いておれば、お墓に向かって手を合わすことが出来たのにと、“後で気がつくてんかん病”が悔やまれる。

改めて『ゑひもせす━ん』を再拝読し、大恩師を偲びたい。

心理学教科書と『えひもせすーん』


サークル会報の創刊号~第35号


面河渓で拾った流木

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年賀状が取り持つ縁二題

2024-02-26 20:26:01 | ビジネスと社会

26日午後5時前、珍しく元新聞販売所長のH江さんから電話が入った。
何でも数十年も前の小生の年賀状を目にして懐かしさが募ったという。
昔話に花が咲く中、印象に残った1つは『むかし水郷柳川を旅行し、船上で柳川名物のうなぎに舌鼓を打ったことはよく覚えているが、その後北原白秋生家で下元勉氏と出会い記念写真を撮ったことが全く記憶にない』ということ。


もう1つ、同業者N山さんの近況についても話が及んだ。
2022年1月4日の奇しくも同じ午後5時前、そのN山さんからも(小生からの年賀状をみて)懐かしさの余りに電話をくださったという。


-1986年9月23日H江、N山両氏に同行しての柳川旅行-

気さくに記念写真に応じてくださった下元勉氏

あの頃、みんな若かった!

 

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ピンチヒッターの道遠し

2024-02-01 17:12:55 | ビジネスと社会
既にe-Taxで確定申告を済ませ、ほっと一息ついたところ。
これまでなんとか独力でやっているが人間生身、もし自分がコケたらどうする?との不安が過る。

ということで今回の申告を期して、家内でもできるように準備を進めることに。
写真左からメイン機→サブ機→そして3号機(家内用)の3機をネットワーク化した。

次はその3号機をHDからCCDに交換して、どうにか使えるようして貰った。

後は肝心の使い手(家内)に、如何に引き継ぐかという難題が残る。

昼から手始めにレクチャーしているが、ちょっと時間が掛かりそう。

千里の道も一歩よりとは言うが、まさしく「日暮れて道遠し」の感あり。

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初めて目にする昇降式ホーム柵

2024-01-29 08:27:01 | ビジネスと社会
コロナ禍もあり、JRの旅もままならず、ここのところ遠ざかっていた。

昨年暮れから、今年正月にかけて、青春18きっぷ旅行再開は、2018年以来実に5年ぶりとなる。

それに際し、いままで目にしたことのない珍しい光景に気づかされた。

列車が駅に着く度にホーム柵が昇降すること。

これまで地下鉄などで扉が横方向に開く、いわゆるホームドアは目にしたが、昇降式は初めて。

写真は1月6日、列車が明石駅に到着した時のモノ。

失われし5年間に、世の中は大きく様変わりし、今浦島太郎の心境だった。

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牛窓今昔

2024-01-28 13:16:04 | ビジネスと社会
今朝の讀賣新聞日曜版「旅を旅して」は備前牛窓特集で、かねてより待望していたもの。
1974年の暮れ、井伏鱒二が2カ月逗留した折、彼の紀行文には土地の人たちとの交流が描かれている。
その登場人物たちの次世代の方々を訪ね、井伏の足跡を辿るという趣向。
※同紙オンライン動画はこちら

記事の冒頭に出てくる新聞取次所岡崎さんこそは、小生が現役時代に大変お世話になった方。
(紀行文に登場する)亡父上は高校の先輩という誼を通じて、ひと際目に掛けて親しくして頂いた。
訪店時には鉄灸で焼いたカキをふるまって頂き、美味しかったことこの上ない。

記事によると井伏と交流があったのは父上だけでなく、一番上の姉上は『大学の恩師を通じて井伏と顔見知りで、牛窓滞在中に各所を案内された』そうだ。

当時ぜんそく持ちの井伏が牛窓に滞在したのは76歳とある。
奇しくも、今その齢に達した自分に重ね合わせて、記事を興味深く拝読した。


2024年1月28日付讀賣新聞より

2024年1月28日付讀賣新聞より

2024年1月28日付讀賣新聞より

オリーブ園からの日本のエーゲ海・牛窓遠望(2021年8月10日)
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