てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

ジャズ喫茶 JORDAN オープン!

2012-04-30 15:22:00 | レジャー
 ☆ジャズは2階「JORDAN」
 ☆フォークなら4階KING SALMON

 ジャズ・ファンの皆さま、大変長らくお待たせいたしました。愈々明日、ジャズ喫茶「JORDAN」がオープンの運びとなりました。

 過日、プレオープンに招かれ、しっかりと偵察して参りました。当日はごく内輪だけが集まり新しい門出を祝ったのですが、サプライズのひとつには思いがけず、かの及川恒平さんが多忙なスケジュールの合間を縫って祝福に駆けつけてくださったことです。

 明日のオープンに先立ち、何をおいてもお耳に入れておきたいことは、2,500枚以上のレコードとジャズ関係の書物も然ることながら、贅を尽くしたオーディオ装置であります。

 音響システムは、是枝重治氏によりコーディネートされたもの。スピ-カーは1970年に作られた英のステントリアン製、箱と台は氏の自作になる。
 スピーカーは、今のアンプを使えばハイフィデリティで、高音も低音も凄いのだが、ビンテージものの50年代のレコードを鳴らすには、敢えて真空管を使ったアンプでなくては忠実に再現できないというこだわりに基づき、これも氏の手で自作したもの。「長く居心地のいい、聴き疲れしない音」を目指しているという氏の言葉に尽きる。

 明晩は一人でも多くのジャズ・ファンの皆さまが足をお運びくださることを願っております。勿論、私も万難を排して出席をさせて頂く手はずになっております。


行灯も入り準備万端

壁一面を埋めるレコード・ライブラリー

マスター挨拶

是枝重治ご夫妻(右のお二人)

是枝氏自作のアンプ

ジャズ関係の書物

及川恒平さん(右から3番目のニットキャップの方)も祝福に

オーナーはアットホームな“隠れ家”を目指す

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GW序盤の産物

2012-04-29 11:48:00 | レジャー

備中国分寺五重塔

 GW二日目、初夏を思わせる陽気の中、総社市「吉備路れんげまつり」に繰り出し辺り一面に広がるレンゲを愛でてきた。
 木陰で弁当だけ食べて(ひょっとしたらmariさんに出会えるのではと予感しつつ)人込みから抜け出そうとしていたら、本当に出会わした。まさしく正夢となった。咄嗟のすれ違い様のことで声を掛けそびれ、どんどん遠ざかるmariさんの背に、家内が大声で呼び掛け久し振りの再会を果たした。今年のレンゲは雑草に席捲され花が少ない。それでもmariさんによるレンゲスポット一言アドバイスに従い写真を一枚だけ物にできた。

 続いて向かったのは高梁川を挟んで西隣の倉敷市真備町にある真備ふるさと歴史館。金田一耕助を楽しむ集い「きんでーち(金田一)会」の世話役・山ちゃんのお誘いにより、同会が主催する行事に特別参加させて頂いた。

 金田一耕助誕生の日(4月24日)を記念して横溝正史疎開宅の裏山から続く朝間薬師への散策と、このあたりを舞台にしていると思われる正史作品の野外朗読の集いである。

 本日の20人のメンバーの中には横溝正史研究家の浜田知明氏の顔もみえる。随所で横溝正史に纏わるエピソードなどを山ちゃんのガイドと、浜田氏の歩きながらの薀蓄を拝聴した。

 行程はこちらの通りだが、途中長い山道を通り抜けスタートから1時間20分ほどで標高150m付近にある朝間薬師に到着。眼下に吉備平野が広がり一望できる。薫風がやさしく頬を撫で癒してくれる。加えて、ここでは朗読まきび・野の花」のお三方が「神楽太夫」「鴉」「首」など横溝正史作品の該当部分を朗読され、しばし横溝ワールドに浸った。

 下山してからは戦時中横溝氏が疎開していた宅、つまり名探偵金田一耕助誕生の家を訪ねた。同宅は私が入社した頃役員を務めておられたB大先輩のお宅であり、更にB氏のご令嬢が山ちゃんと同級生だったと知り感慨を新たにした。


真備ふるさと歴史館にある金田一耕助像

真備は有数のたけのこの産地

山ちゃんガイドの説明を聞く面々(右奥が浜田知明氏)

こうもり塚(仙人塚)…いたるところに古墳がみられる

姿見の池

眼下に広がる吉備平野

朝間薬師の御前にて正史作品の野外朗読

朝間薬師・お籠り堂裏の巨岩群壁

咲き乱れるつつじ

横溝氏が疎開していた宅

正史が無我の境地で小説構想中、着物の帯が解けて
いても平気で歩いていたという“帯解けの道”
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姉弟の不思議な縁(えにし)

2012-04-24 22:09:00 | ファミリー

わがルーツの写真(一番右が母方の祖父母)

 母が逝って丸3年になる。涼しいうちにと(もうそんな言葉が口を衝く季節)朝一番に墓参りを済ませた。

 帰宅すると早々にS叔父(母の末弟)宅から電話が入った。S叔父に代わって叔母から、「今日はおとうさん(S叔父)がデイケアが休みなので一緒にお参りさせて頂きたい。」との有難くも嬉しいお言葉。

 数年前に肺気腫を患って以来、片時も携帯酸素ボンベが手放せないS叔父は、今日も車から降りて暫く呼吸を整えなければ玄関までの僅か10㍍ほどの歩行がままならない状態。
 やっとの思いで座敷に上がって貰うと、掲げてある両親(母方の祖父母)の写真が一番に目に留まり「うちにも両親の写真は飾っていないのに、こうして我が両親を祭って貰い感謝に堪えない」と相好を崩して喜んでくれる。
 かと思えば「今日は何をしに来たのかな? 緑さん(母親の名)は? 太郎さん(父の名)は?」と、数分おきに尋ねる。
 ことの経緯を説明をすると、その場は納得して頷く。どうもS叔父の心の中には未だに姉(私の母親)が生きているらしく、何時来ても居ないから不思議で堪らぬといった風情で。 

 話の合間には、S叔父と私に纏わる昔話を聞かせてくれる。私が年端もいかない頃のこと、病み上がりのS叔父をつかまえて馬になって貰い、「ハイシドウドウ パカパカ」とやり、しかも座敷を何周もさせたそうだ。痔の術後の痛みに堪えて、腕白坊主の相手をしてくれたその様を想像すると、物心も付かない頃のこととは言え、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 3年ほど前に、S叔父は母と同じ病名アルツハイマー病と診断された。姉弟でも症状の出方は、多少違っている。昔のことはよく憶えているが、直近の事柄が記憶に留まる間もなく、インプットされる先から数分後には完全に消滅する有様。
 今日は昔話で盛り上がり、暇を告げられた時には4時間が経過していた。S叔父もよほど居心地が良かったようだ。先程の写真をA4判にプリントアウトして差し上げたら、「額に入れて自分の部屋に掲げる」と殊の外喜んで我が家を後にされた。

 昨年の暮れ、映画『おとうと』をDVDで観て甚く感動したばかり。縁は切っても切れない。兄弟(姉弟)というのは、きっと特別な何かで繋がっているのだと確信した母の祥月命日であった。
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オンリーワンのジャズ喫茶 JORDAN

2012-04-22 19:00:00 | ビジネスと社会


 薫風に乗って来る五月、岡山でオンリーワンのジャズ喫茶「JORDAN」がオープンする。オーナーは無二の親友Furukawaである。

 彼の長年の悲願成就であり、いまの胸中を「全国的にジャズ喫茶が元気を失っている中で、なんと無謀なチャレンジかと思われるかも知れません。ジャズ文化、さらには岡山の文化向上に貢献したいという建前はさておき、私自身が楽しみたいというのが本音です。」と真摯に話す。
 彼は元々はクラシック・ファンであったが、30数年前から山下洋輔あたりに感化されジャズに傾倒、休みには神戸まで出向いてのCDやレコードのコレクションは2,500枚に上る。

 こうして集めた50~60年代のモダン・ジャズの名演を、アナログのオーディオ・システムで聴かせて貰える。音響システムは、「オーディオ・マエストロ」(岡山市北区津島南)の是枝重治氏によるコーディネート。
 店名の「JORDAN」は、ピアニストのデューク・ジョーダンに肖ったもの。

 現在、岡山市にはジャズ喫茶は一軒もないと聞く。ジャズ・ファンならばこの日を鶴首して待っていたはず。オーナーは“隠れ家”的なスポットを目指しているというので、昔懐かしいジャズ喫茶の雰囲気に浸りながら至福のひと時を過ごすのも一興かと思う。是非ともお誘い合わせの上、足をお運びください。
 なお、同店の4階には「Folk spot キングサーモン」があります。合縁奇縁で繋がっている両店をご贔屓に宜しくお願いいたします。「キングサーモン」の紹介記事はこちら

【あなたの隠れ家、ジャズ喫茶 JORDAN】

場所:岡山市北区表町 2丁目5-23 ニュー表町プラザ2階
電話:086-237-2012
営業時間:17時~24時(日・月・祝 定休)
メニュー:珈琲、紅茶、ビール、ウィスキー、ワイン、日本酒、焼酎、ソフトドリンクなど。


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長命は長野県

2012-04-21 19:08:00 | ビジネスと社会
 長く厳しかった冬が去り、桜花爛漫の4月に入ってから13日までの2週間に内に4人もの近しい方々を相次いで見送った。我が両親も、父は10日、母は24日と夫婦連れ添うように4月に亡くなっている。

 そこで、戦争のない平和な時代なのに、一体人は一年中どの時季に死んでいくのだろうかと気になりネットで調べてみた。
 国立社会保障・人口問題研究所がまとめた「月別の死亡割合」によると、亡くなる人は12月や1月を中心とした冬に多いようだ。「冬に多く、夏に少ない」という傾向は半世紀にわたり変わらない。恐らく寒さや風邪の影響だろうという。

 序でに地区別にみるとどうなのか? このほど厚生労働省よりの発表をみると、「長野県が最も死亡率が低く、逆に青森が高い県」だそうだ。5年ごとに調査される年齢調整死亡率が元になっている。気になるランキングはこちら

 死亡率とは穏やかならぬ話だが、地域ごとの健康と、習慣、風土との因果関係を判断するには貴重なデータである。喫煙や過度の飲酒、食習慣などの差が左右するのではないかと推察される。

 西行法師は「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」と、亡くなる十数年前に、遺言のように詠んでいる。如月の望月とは旧暦の2月15日で、釈迦の入滅の日にあたる。西行が来世へ旅立ったのは2月16日、遺言のままに釈迦の後ろを一日遅れてついて行った。そして、我が両親はまさしく西行法師の遺言に誘われるようにして来世へと旅立った。
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