てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

無事疎開完了

2024-11-25 19:10:03 | 暮らしと生活

昨年月下美人の取り込みタイミングを失したばかりに半分枯らしたことを教訓に、既に観葉植物たちは縁側へ疎開ずみ。
そして昨日、取り残されていた義弟形見のアロエと、カニバサボテンを簡易ビニールハウスへ引っ越した。

明けて今朝は、「全国的に今季一番の冷え込み」とTVニュースが報じる。
ホント今日は終日寒かったあ~。
当地岡山市でも2.4℃と今シーズン最低を観測、12月中旬から下旬並みの冷え込みとなり、既の事に難を逃れた。

うちには温室などと言った気の利いたスペースはないので、縁側や通路、果ては座敷の一角まで席巻、窮屈な生活を余儀なくされる。
これから向こう半年間はまさに“忍”の一字なり(苦笑)

 

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禁酒宣言

2024-11-23 12:58:25 | 健康と医学

iphoneのヘルスケアアプリには、小生の健康に関する日々のデータを書き込んでいる。
Apple Watchとも連携しており、アクティビティ、睡眠などについても一目瞭然。

まだ十分に使いこなしているとは言い難いが、今日も新発見があった。
10月29日に心房細動を起こしただけに、専ら「心臓」関係のチェックは念入りに。

心拍数は多い方だが、果せるかな「心肺機能は平均より下」とあり、過去12か月間の高心拍数通知に「23年11月18日と24年8月4日」の2日間があった。
続いてGoogleカレンダーに照らし合わせると、いずれもズバリ飲み会があった日で、アルコールが入り大盛り上がりのクライマックス時(自覚症状は全くなかった)。

この度の心房細動に際し、主治医から「禁酒がベスト」と申し渡されている。
元々アルコールは飲める口ではなく、酒が入ると真っ赤になり、しんどくなるばかり。
これを機に禁酒宣言としたいと思うのだが、それほど苦にはならない。

 

 

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わがアバター逝く

2024-11-21 10:51:20 | ノンジャンル

北の富士さんのご訃報に接し、お悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りします。
相撲ファンでない小生をして、このところ相撲解説でおみかけしないなと思っていた矢先のこと。

実はリタイアした頃、長男家族から小生のことを「顔だけでなく、(大相撲解説での)しゃべり方や醸し出す雰囲気までも北の富士に似ている」といわれたことがある。
そのころ体重がピークにあり、体形のことならいざ知らず、顔はどうかな?と訝ったものだ。
第一、自分は自分であって、自分以外の何者でもなく、世界中を探しても“わが独り”しかいないはず。

以後一念発起、間食を控えるなど食べ養生と、日々のウオーキングなどが奏効し、ほぼ標準体型に戻った。
いまでは40代に履き慣らしたジーンズが、再び履けるほどになり、欣喜雀躍している。
下の顔写真はネットからお借りしたものだが、改めてみると我ながらだんだんに似て来ましたなあ!

 

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色づく楷の木

2024-11-17 19:20:14 | レジャー

いまにも一雨きそうな曇天の中、備前市にある和気閑谷(しずたに)学校のシンボル・楷の見事な紅葉を見て来た。

樹齢109年の楷の木は、予想に違わず鮮やかに色づいており、備前焼の瓦の茶色と木々の赤や黄色のコントラストが“和の美しさ”を際立たせてくれ、しばし時間が経つのを忘れて見入ってしまった。

倅たちが幼少の頃からの年中行事で、この時期を迎えると銘木楷の木の紅葉を無性に観たくなる。
過去ログを繰ってみると、こまめにアップしている。
この楷の木を見ずして、とても今年を締めくくれない。

 

2008年11月6日撮影

2010年11月3日撮影

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ミッション・クリア

2024-11-15 14:26:41 | ビジネスと社会

今回は些かややこしい話題で失礼。
大学写真部の後輩M下を介して、面識こそないもののSNSで繋がっているS倉さんという方がおられる。
M下と同じ年恰好で、お互いリタイア後に某大学芸術学部美術科写真コースに進み、卒業されたお方。

そのS倉さんがこのほど「写真集 航跡 真鍋島診療所・田中勇夫医師の記録」を上梓された。


47年前に岡山・笠岡真鍋島を7回訪ね、同診療所を取材した約千枚の写真の中から選りすぐりをピックアップして写真集にまとめた貴重なもの。

取材にあたって、同診療所を紹介した大学時代の学友とは、その後音信が途絶えたため、恩返しに献本したいが送り先がわからず困却しているとの相談を受けた。

話をよくよく聞くと、どうやら小生の元職場の後輩S髭のようなので、手を尽くしてやっとこのほど連絡がついた。
昨夜、S髭から報告が入り、47年ぶりに電話でS倉氏との再会を果たし、双方とも積もる思い出話しは尽きなかったという。
同時にM下からは、『(S倉さんより)おかげで写真集を送れます。omorinさんには大変お世話になりました。くれぐれもよろしくお伝えください🙇🏻』とのLINEが届いた。

小生にとっては課せられたミッションを無事クリアし安堵している。
まさしく「一樹の陰一河の流れも他生の縁」を彷彿させるような一件だった。

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