てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

恒例の還暦祝賀会

2010-01-29 17:19:00 | ビジネスと社会
 年に2回(夏と冬)定例開催の高校・大学が同窓の親睦会だが、この5年来は当日還暦を迎えたメンバーの還暦祝いを兼ねて催している。本日は冬季例会の開催日にあたる。

 フルメンバーで約30人になるが、大抵は20人前後の出席に落ち着く。本日の対象者はY崎・S田・H部・N波・F井・G賀の六氏で、これでメンバー中の半数以上がめでたく還暦祝を迎えることができた。惜しむらくはG賀が30代で早世したため、同夫人(大学の同級生)が特別会員として代理出席してくれるはず。

 恒例により、席上で会から記念品(赤シャツか赤ベスト)が贈られ、勿論当日の飲み代は只となっている。

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義母の祥月命日

2010-01-27 21:41:00 | ファミリー
 今日は義母の祥月命日にあたり、かねてからの義父との約束通り10時半に迎えに上がった。いつもなら玄関先に出てきて待っているのだが姿が見えない。ベッドまで上がり家内が揺り起こすと、微かに薄目を開けて力なく「なんぼにも眠くて起き上がれん。墓参りは任せるので頼む」と言うのが精一杯。傍らの義弟を窺うと首を横に振る。

 この所の義父は、赤ちゃんがえりとでもいうか寝るのが仕事で、一日の内半分以上は寝ているようだ。そういえばかつて世界最長寿(116歳)としてギネスブックにも認められた徳之島のかまとおばあさん、「2日寝て2日起きる」という生活で有名になった。眠ったままのおばあさんの口に家族が食べ物を運ぶ様子をテレビで観たことがある。93歳の義父も二周遅れで、かまとおばあさんの後塵を拝しているのだろうか。

 独り置いて行くのも気掛かりだったが、ファンヒーターをエアコンに切替えて、2時間ほどのことなので止むを得ず、義弟と3人で墓参りに出掛けた。

 墓参を済ませて帰宅後、義父はやっと寝床に起き上がり、先ず一服くゆらせてから、代わって墓参をしてきた礼を述べ、今朝はどうしても起き上がれなかった言い訳をする。そして、寝てはいても義母や、数えの99歳で亡くなった祖母(義父の母)が夢枕に立ったという。寒気の緩んだ昨日、庭仕事に精を出し過ぎたようだ。

 墓参りの帰り道にでも屋外で食べようと準備した赤飯弁当を、結局は家の中で広げた。義父は好物の刺身をアテに熱燗で一杯ヤルと忽ち生気を取り戻した。かまとおばあさんにはまだまだ遠く及ばないが、自分の母親の年を凌駕するのは夢ではなさそうだ。

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99歳で天寿を全うした義祖母の墓
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最後の琵琶盲僧逝く

2010-01-26 09:44:00 | 舞台、ライブ

2009年10月1日、永田法順住職による琵琶法要=岡山市

 日本でただ一人の琵琶法師といわれる永田法順氏(天台宗浄満寺15世住職)が24日、宮崎県延岡市の病院でご逝去され、74歳だった。
 ご冥福をお祈りいたします。

 昨年10月1日に岡山市で開催された「第10回天台宗岡山大会」における記念公演として氏の琵琶法要を初めて拝聴したばかりである。あの時は素振りさえ窺えなかったが、あるいは良くない体調をおしてのご出演だったのか。

 インパクトのある濁声で、延々と繰り返される琵琶の軽やかなリズムなれども、惜しむらくは語りの内容が、浪曲などと違って当方には殆ど理解できなかったことである。

 氏は2歳の時に失明し、13歳で先代住職に弟子入り。仏の教えを説いた「釈文」12巻を暗記し、琵琶の弾き語りをしながら檀家を回り祈祷する日本で最後の琵琶盲僧とされる。2002年に県指定無形文化財、2006年に県文化賞を受賞された。

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寅さんの思い出

2010-01-24 14:32:00 | 舞台、ライブ
 昨日のこと、二男の「子どもの頃、よく寅さん(の映画)に連れて行って貰ったが、何処の映画館じゃったかな~?」との一言が、私の心の寅さんの記憶を呼び起してくれた。
 
 若い頃から映画「男はつらいよ シリーズ」(1969年~1995年まで全48作)の大ファンで、1980年(昭和55年)公開の第25作目あたりからは、お盆と正月の年二回の封切を心待ちにし、まず欠かしたことがなかった。しかも、3人の倅たちが小学生の頃は家族総動員して繰り出したものだ。
 劇中の光男は我が長男と同い年なことに加え、光男を演じた吉岡秀隆さんと風貌がそっくりなので、寅さん一家と共に歩んできたような特別な思い入れを感じる。

 いささか無作法で気が引けるが、この映画鑑賞に際しては付き物の話がある。映画館近くの“肉屋のコロッケ”と映画館隣接のスーパーで求めたおやつをお供にしたもので、二男はそんなつまらぬことまでも覚えていた。

 この映画は主演の渥美清さんの死去に伴い、第49作および本来の最終作となるはずだった第50作が未撮影になった。過ぎ去ってみれば早いもので、その寅さんが亡くなってもう14年にもなり、折りしも今年の干支は寅である。
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塀の上

2010-01-24 12:44:00 | ビジネスと社会
 連日の新聞のトップを飾る小沢一郎氏関連の「政治と金」にまつわる疑惑報道にはいささかうんざりさせられる。

 先週末の国会予算委員会における各党代表質問も、鳩山首相や小沢幹事長の政治資金問題に終始したが、本来の年金や経済対策についての審議に話を戻して貰いたいもの。

 23日、注目の小沢氏がやっと東京地検の事情聴取を受けた。聴取後の記者会見を聞いたが、庶民感覚からすれば益々疑問は深まり、何とも違和感を覚えた。

 小沢氏が師と仰ぐ田中角栄元首相のことを、誰が云ったか「刑務所の塀の上を歩く人」と評したことがある。結局、田中氏はロッキード事件で有罪判決を受けたが、罪を認めぬまま亡くなってしまった。
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