てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

六十の手習い

2012-10-27 07:55:00 | ホビー
 家内がご近所のM本さんから新品同様のギターを譲り受けた。昔、息子さんがちょっと弾いただけで、今は家の中で邪魔者扱いされていたものらしい。

 初めて聞かされる話だが、40数年前に家内が勤め始めのころ通勤途上に聴こえてくるギターの綺麗な音色に魅せられ、薄給の中からギターを求めた。
 当時はフォーク全盛で、家内にとって火付けは「♪朝日のあたる家」だった。ただ、長くは続かず一過性に終わり、そのギターも今は行き方知れず。

 頂いたギターはYAMAHA G-90Aで、早速に弦を張り替えた。試し弾きすると、私のギター(YAMAHA GC-11C)と比べて何ら遜色なく、むしろ私のギターよりも音が響く感じさえする。

 弾き慣れたものが一番なので、私にとっては今のギターで何ら不自由はない。ただ、家内はこれを機に、ピアノをギターに持ち替えて再チャレンジしてみようかと少なからず心が動いているようだ。

 六十の手習いの諺どおり、たとえ晩年に始めても決して遅すぎるということはない。私もパートナーに恵まれれば大いに励みとなる。互いに切磋琢磨して更なる精進を重ねたいものだ。


M本さんから譲り受けたYAMAHA G-90A

7年前に求めた愛器YAMAHA GC-11C
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孫の手料理

2012-10-26 19:38:00 | グルメと料理
 我が家から“スープの冷めない距離”に住み、母の背中を見て育ち料理研究家を目指す中学3年生の孫娘が、スープならぬ心尽くしの逸品を作って夕餉に間に合うように届けてくれた。私どもの健康を気遣って、身体に優しく敢えて揚げずに焼き物にしてという心遣いがまた嬉しい。

 今日は冷蔵庫のクリーンデーと決めていたので、乏しい食卓が一遍に賑やかになり、彩りを添えた。晩酌というほどのものはやらないのだが、今晩は特別に焼酎を水割りにして美味しく頂いた。

 おうつりに蒜山大根とサツマイモを持たせたら、「(夜勤明けの)とうちゃんに大根を炊いといてあげよう!」と喜び勇んで帰って行った。


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ブログ小休止

2012-10-25 19:39:00 | パソコンとインターネット
 先日来、パソコンの愛機が絶不調につき、とうとう本日ドック入りしました。恐らくマザーボードが壊れたものと思われ、修復までに1週間ほど要する見込みです。

 その間、セカンド機、サード機そしてスマホもあるにはあるのですが、機械の性能や小生のタイピングテクニックではアップに手間取って間尺に合わないので、ブログ更新を休ませて頂きます。

 どうか悪しからずご容赦ください。
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なお続くルーツ探訪

2012-10-23 12:53:00 | ファミリー
 またぞろ我がルーツ探訪を再開した。これまで市役所で戸籍・除籍謄本を取寄せたり、法務局での旧土地台帳の閲覧、倉庫に残る祖母の書類を繰ってみるも、殆ど進展はみられず頓挫している。

 養子であった曽祖父石五郎の出所までははっきりしているが、残念ながらこの代まで。もう一代遡る高祖母千余が同じ町内から嫁いでおりながら、その父の名はomotann長之介(千余は二女)であることしか分らず、さてその番地が判明せず、お寺の過去帳からも分らない。170年~200年前のこと故、戸数は数えるくらい(70年ほど前で44戸)だと思われるのだが、その末裔の中に、それと思しき家は見当たらない。

 江戸時代後期の我が祖先の住まいは「字天神」で、そこから300㍍ほど南に位置する現在の地番に転居したのは、曽祖母が24歳(明治25年)の時であることが明らかになっている。
 前住人が岡山市北区奉還町(現在のK佛光堂がある場所)に転居する際に、我が家へ譲られたと聞かされている。そしてこれまでの各種情報から、その前住人こそが高祖母千余の里ではないかと推測される。つまり現在の我が家は、嫁いできた高祖母の実家ではないのか。

 ただ、これは多分に憶測の域を出ないので、確証を得るべく思い切って先日くだんのK佛光堂を訪ねた。
 ところが創業明治20年(126周年)という伝統を誇るK佛光堂だが、話を伺う内に当地は先の戦争で岡山空襲に遭い焼け野が原となり、戦前の資料は残っていないとのことで、この線から辿る道も途絶えた。

 いま手元にある上道郡誌(大正11年3月3日発行)を改めて紐解いている。同誌には唯一高祖母千余の足跡を伺わせる記述が載っているので、いま行き詰ったルーツ探訪の前に立ちはだかる壁突破の糸口になればと、一縷の望みを託している。
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稲刈りで深まる家族の絆

2012-10-21 10:38:00 | 農事
 絶好の行楽日和を伝えるニュースを余所目に、実りの秋真っ只中の20日、我が家では予定通り稲刈りを無事済ませた。今年は長男と三男のところが家族総出で手伝ってくれたので楽勝だった。

 段取り八分というが、先ず1週間前にはバッテリーを新品に交換、エンジン始動を確認するなどして万全の態勢で臨んだ(はずだった)。
 ところが本番ではのっけからエンジンが掛からない。エンジンルーム、燃料・電気系統すべてチェックしたが、何処にも異常が認められないので、止む無くコンバインを購入したサービスステーションへSOSを出した。
 時節柄、サービスマンは出突っ張りらしく直ぐには来てくれない。家内がネットで調べてケイタイでアドバイスをくれた「ターミナル、電圧、燃料」に基づいてあちこちをつついていたら、何の弾みかやっとエンジンが掛かった。

 稲刈りのスタートは予定より30分遅れの11時前となった。一番に取り掛かる我が田圃の南東部には隣接して3軒の民家が建っており、この日陰のために稲の生育が悪い上に、刈り取りに際しても湿気が多く、いつも排ワラ詰まりの元となるので、細心の注意を払いながらの1速走行した。
 
 孫達は田圃で広げるばあちゃんおにぎりと、おかあさんの手料理を楽しみにしていたようだが、私と長男はコンバインを止めることなく交代で立ち食い・立ち飲み状態。
 昼からはコンディションもよくなり、2速走行でも殆ど排ワラ詰まりも起こさず、5時には2枚の田圃の稲刈りを完了し、JAライスセンターへ運び込んだ。ここ2年はライスセンターへの持ち込み制限時間の午後6時ぎりぎりが続いたが、今年は長足の進歩だった。これも偏に家族の強力な助っ人があったればこそである。数の力を思い知った。

 収穫量はほぼ平年並みなので、一族郎党が向こう1年間食べるだけの量は確保できた。こうして元気で働ける健康の有難さに感謝し、家族の絆を再認識する幸せを噛み締めながらの稲刈りデーであった。明日改めて家族揃っての外食で、収穫祭を祝うことにした。


長男がFacebookにアップした1枚
稲刈りのあと我が田圃(10月21日午前5時48分撮影)
コメント (2)
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