てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

一服の清涼

2006-08-31 21:33:11 | ファミリー
明日から9月、夏休みもいよいよ最後の日。
近くに住む孫が兄妹で顔を見せてくれた。
孫娘の酌で、孫を肴に飲む一杯は、何は無くとも此の上無い。

37日間連続真夏日だった今夏の猛暑も一段落、今日は久々のお湿りで少しは凌ぎやすい。今夜はどうやら安眠できそうだ。
ただ明日からは、まだ暫く残暑が続くという。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵手紙

2006-08-30 12:07:35 | ホビー
 なかいサイト>趣味いろいろ>絵手紙を楽しみませんか!の山中幸枝さんが、先に絵手紙の初個展を開き、大盛況でした。

 大勢の方々が同個展に足をお運びくださった中から、ポコアポコのトマトさんが、ブログ「日々是絵手紙」で丁重なご紹介までしてくださいました。「なかい」を管理する者として冥利に尽きます。ただただ感謝、感謝です。

 トマトさんもかなり絵手紙にご堪能なようで、ホームページ、ブログともに絵手紙がメインの構成となっており、心温まる作品がちりばめられています。

 私はいつも「自分の気持ちを絵に代えて、サラサラと描けたら、どんなに素敵なことか!」とは思うのですが、如何せん絵心がないもので…。せめて山中幸枝さんの絵をホームページに編集する時には心和ませ、大いに楽しませていただいています。
 絵手紙に関心がおありの方はもとより、そうでない方もぜひ一度、トマトさんのHPとブログをお訪ねください。

-------------------------------

 伊予を旅された山中さんから、お土産に“ゆずっ子”をいただきました。
 古くから愛媛に伝わる、上品な和菓子です。古き雅びを想わせる、まろやかな肌、小ぶりな姿です。球状の白あんに、ちょこんとのったゆずのマーマレードが、ほんのりいい香りでした。

 ↓下手な写真で失礼。絵手紙ならどう表現されるのかな?

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解夏(げげ)

2006-08-29 22:06:26 | 舞台、ライブ
 ちょっとしたきっかけから、又又いい映画を観させて貰った。さだまさしさん原作の同名小説を映画化した「解夏」である。

 いわゆる難病という重たいテーマにありがちなドラマティックな描写を避け、淡々とした日常の中から、やがて視界を失う運命にある主人公と、彼の目になろうとする女性の、焦燥、葛藤、無常観の果てに導き出される慈愛を描出していく秀逸な作品である。まだ原作は読んでないので、映画が原作を超えているかどうか知る由もないが。

 舞台は雨と坂の町-長崎。キリスト教的風土の中で、仏教の教えを違和感なく融合させているが、決して説教じみたところはない。脇を固める松村達雄さんの年輪を重ねた柔らかい演技に負うところが大。極々自然に心に染み入るように、仏教の“結夏(けつげ)と解夏”を説く。
 この世の見納めにどうしても見ておきたい故郷の町。しかし、徐々に見えなくなる目。恐怖と戦いつつも、目にした風景を心に焼きつけていく主人公の目を通して、長崎の美しい風景が描かれている。

 「自分の目に、記憶の中に、<大切な人>は映っているか?」
 「誰しも避けて通れない不安や恐怖はある。ならばそれからいつ解放されるのか?」
 「幾度も解夏を体験して、そして越えて、人は在るのだろうか?」
 「局面に遭遇した時、自分がどういう心境で居られるか?」

 願わくば、生あるうち解夏を迎え、喜びを知りたいと思う。

 <印象深かったこと>
●でんでらりゅうの歌「でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でてこんけん こんこられんけん こられられんけん こん こん」
●「解夏」とは、闇の中をさまよう苦しみから解き放たれ、ようやく探り当てた一筋の光を胸に自己を再生し、新しく出発する日。
●「失明」とは、闇になるのではなく、乳白色の霧のなかに居る感じ。
●「視力を失う時が恐怖から解放される時」
●「人が最後に見ておきたいのもの…」さて、それは何かな?
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もの忘れを減らす

2006-08-28 17:48:34 | 健康と医学
 最近、頓に記憶力が落ち、もの忘れが気になる。そのことは拙ブログ「忘却曲線」と「懸念されるハ・メの次」でも触れた。

 そんな私を気遣うように、Dr.さとうが「もの忘れを減らす」と題して、グッドタイミングで寄稿していただいた。
 それによると、手をよく使う人は、ぼけにくいといわれ、「楽器の演奏はおすすめ」だそうで少し安心した。あわせて他にも、もの忘れを減らすためのあれこれを、ご教授くださった。

 あなたも他人事と聞き流さず、ぜひともご参考に。いずれは通る道、明日はわが身ですぞ!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心に沁みる“ALWAYS三丁目の夕日”

2006-08-28 11:39:01 | 舞台、ライブ
 昭和33年の東京下町を舞台にした作品「ALWAYS三丁目の夕日」を、レンタルではなくDVDを買って観た。mariさんから「地元岡山でロケがあった」と推奨されたのと、懐かしい時代設定に惹かれたもの。
 観ての結果は、おススメ度、満足度ともに5★満点の、★★★★★だった。ネタバレになるとこれから観賞する人の興をそぐので、あえてここではストーリーについては触れず、感想のみ。

 昭和30年代を共有する私にとっては、しばらくどこかに忘れかけていた、セピアに色褪せた心の中の想い出を、彷彿させてくれた。緻密な時代考証、広大なロケセット、最新のVFX技術を駆使して再現された町並みを背景に、昭和のよき時代の“心”を余すことなく描き出した、見終わってから心が温かくなるそんな素晴らしい映画だった。

 当時の日本は決して裕福ではなかったが、義理と人情に富み、人々は明るくきらめく未来へ向かって懸命に生きていた。その願いを託すかのように着々と出来上がっていく東京タワーが様子がバックシーンに流れる。家族、町内会、人の温かさ、優しさ、寂しさまで見事に再現されている。

 この時代をダイレクトに知っている私は、映画の中に完全に同化した。
 一平と同じように心待ちにしていたテレビが、わが家にやって来たのは、まさに昭和33年(私が小学5年生)で、村では第一号。
 毎日物珍しさに村中の人が集まり、脱いだ履物で足の踏み場もなかった。大相撲のシーズンには担任の先生が学校帰りに寄られることも度々で、大いに鼻が高かった。放送局もNHKがメインで、民放は一、二局だった。「紅孔雀」「大相撲」「プロレス」が印象に残っている。

 この時代、自分の子供も他人の子供も分け隔てなく、悪いことをしたら大人の誰もが容赦なく叱ったものだ。 頑固オヤジはどこにでもいた。怖い存在だが威厳があり、溢れる愛情があった。悪いことをすると先生からも鉄拳をくらった。それこそは子供に対する真の愛情の表れであった。 
 ところが今はどうか。見て見ぬふりをする、我関せずを装う。そして当たり前のことが、当たり前でなくなっている。ただ懐かしさだけでこの映画を観てはいけない。そこには失ってしまった、忘れてしまった日本の普通の人々の普通の暮らしの中に、感動がたくさんあることをこの映画は再認識させてくれた。

 出演者全員が主役で、夫々がいい味を出しており、稀に見る名キャスティングである。個人的にはあまり好きでない役者が何人かいたが、それをカバーする演出だった。子役含めて。
 特に吉岡秀隆の好演は出色の出来栄えで、絶妙であった。泣かせながら、笑わせる。寅さん直伝の技を持っていた。「男はつらいよシリーズ」で満男役を演じていた吉岡秀隆を子役時代からみてきた。わが家の長男と同い年だけに、共に成長してきた。そして今や風貌(ヘア、ヒゲとも)はもとより、仕草までソックリで二人が完全にオーバーラップ。それだけに思い入れも一入だった。

 つい我慢できず嗚咽するほどの映画は、久しぶりだった。ただ「悲しみの涙」ではなくて「感謝、感動、感激の涙」。
 何でこんなに涙が出るのか分らない。かみさん曰く「すべてに価値を心においているから」。少しでも豊かな生活をしようと、みんなで助け合って、前向きに生きている姿が素晴らしい。昨今、近所同士でこんな温かいやりとりはない。
 ラストで、血の繋がりがない淳之介と竜之介が、血の繋がっているまだ見ぬ両親より親しみを感じながら、何度も突き放して、最後は抱き合うシーンには、またもや涙腺ゆるゆる。

 エンディングの完成した東京タワーと夕日に向かって、「50年後もずっと夕日がきれいだといいね」というセリフこの映画の全てをみた気がした。
 万人の心に響くような、みんなに勧めたくなるようないい作品だった。mariさん、心に沁みる作品を紹介いただき有難う。
 あと何度でも観てみたい。きっとまた泣けるんだろうなぁ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする