大正11年3月3日発行『上道郡誌』
「… 資性順良にして孝貞の志厚く…夫駒五郎の病にかかるや克く困難に耐へ、10有余年看護怠らず、37歳にして寡婦となり夫死後に至るも尚を貞操を守り、克己勤勉家業に精励す。其の奇特の義により、明治17年3月24日高崎県令より金員を下賜せられ表彰せらる…」(大正11年3月3日発行『上道郡誌』)
極めて私事にわたり恐縮だが、上記文中の“奇特の寡婦”こそは、私から遡ること四代、高祖母千余である。これしきのことで県知事表彰とはいささか驚きだ。よほど話題に事欠いた、古き良き時代だったのか。
少子・高齢化の現代にあっては核家族が進み、連れ添いを10年そこそこの看病など美談には入らない。あるいは平均寿命の延びに伴い「老老介護」が社会現象にさえなっており、特段珍しいことでもない。
とはいえ痴呆のついた老親の家庭内看護に11年ほどで限界を感じ、特養施設のお世話になっている身で多くを語る資格などないかも知れない。
老いは避けては通れないし、誰しも何時病気に罹らないとも限らない。万一伴侶や親が病に倒れた際、果たしてどこまで介護を全うできるか、改めて自問自答してみた。