てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

感慨一入上海・華中の旅

2024-09-29 20:49:31 | 旅行

はやいもので上海・華中を旅してもう30年になる。
メンバーは高校の同級生K、S、Y、私の4人。
そのうちKがいいだしっぺで「一度この仲間で海外旅行を」に、Sが「自分の工場は常州にあり、目をつぶっていても案内できる」に飛びつき中国旅行が決まったもの。

幹事役は私にまわり、その後が大変だったが。
というのも社長業のSが忙しい身の上なので、日程調整がうまくいかず結局、最後はSは参加を断念したし、「常州」を念頭においた計画なので制約だけが最後まで残る羽目となった。

当初、最低6名は集まる予定が、四苦八苦した揚げ句に三男をいれてもやっと4名で、催行6名の所を特別な計らいで4名のために全線随行ガイドまでつけてもらうことになった。

旅の詳報については、よろしければ拙HP「おおもったんの部屋」>旅まくら>上海と華中をクリックしてご笑覧ください。

何故今更中国旅行の話かと問われれば、同メンバー4名中3名を既に見送ったからに他ならない。
旅から帰って僅か2年後の1996年11月、まさかのいいだしっぺKが難病の遭い48歳という若さで。
2022年夏には東大阪に見舞うも、それが最期となってしまったS。
翌2023年年賀状で「お元気ですか」認めていた某大学の先生Yだが、その夏には彼の妻から訃報が届いた。

同旅行メンバー以外でも、
2019年春には無二の親友Uが、2024年春には同じく松山の友Tが旅立った。
享年99で天寿を全うした岳父の足元にも及ばぬが、晩年「一人、またひとりと去り、自分だけ長生きするのは辛いものがある」と宣った一言に身につまされる思いがする。

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宇宙への誘い

2024-07-22 13:24:41 | 旅行

今朝の山陽新聞のコラム「滴一滴」では、30年前の今ごろ宇宙を旅した、アジア女性初の宇宙飛行士、向井千秋さんのことを「リケジョ」の先駆けと紹介する。

2024年7月22日付山陽新聞より

 

1994年7月20日、その日は午前4時前起床、2階ベランダから固唾を呑んで南の空を見守っていた。
同4時15分頃、果たせるかなスペースシャトル・コロンビアの光跡らしきものを発見、東の空へ消えるまでの1分半ほどを確とこの目に留めることができ感激した。

その朝は早起き序に後楽園の観蓮節へ足を運んだ。

観蓮節から帰り、念のため倉敷科学センターへ照会したところ、同センターの三島和久学芸員から「間違いありません」とのお墨付きメールを頂戴した。

1994年7月21日付山陽新聞より

 

 

1994年7月20日後楽園の観蓮節にて

 

話は前後するが、その4カ月前の1994年3月23日、フロリダのケネディ宇宙センターを訪ねたことが宇宙への関心を抱く第一歩となった。
IMAXシアターで、視野を覆い尽くすばかりの巨大スクリーンに、NASAが撮影した素晴らしい宇宙の映像が映し出されるのを息をのんで観た。
宇宙飛行士しか体験できない光景を、生の迫力で疑似体験(VR)したが、その映像ビデオを土産に持ち帰った。

1994年3月23日~27日オーランドの旅より(ビデオからのキャプチャー)

 

 

今朝のわが庭に花開くハス

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いざヒロシマへ

2024-03-23 10:04:25 | 旅行

昨22日、菜種梅雨の合間を縫うようにして、オーバーツーリズム禍を覚悟の上で、ヒロシマ方面を旅してきた。

「トラベル」は「トラブル」に通ずとはいうけれど、スタート早々そのトラブルに遭遇。
列車が三原に着いた途端に『架線トラブルのため広島方面へは上下線とも運転を見合わせ』とのアナウンス。
復旧の見通しは全く立たないというので、やむを得ず新幹線を乗り継いでやっとの思いで広島入り。
ところが広島へ着いたもののJRダイヤは大乱れで、その先は出発時間さえ見通せない。

思い余ってJRから市電へ乗換えて宮島へ向かうが、JR事故のあおりで大勢の乗客が流れ込み、加えてオーバーツーリズムの観光客で車内は満杯。
JRなら26分のところが、ぎゅうぎゅう詰めの中、立ちっぱなしで1時間はきつかった。

宮島桟橋へ降り立ち、とっつきにある山一食堂にて、順番待ちの名物のアナゴ御膳。
壁には所狭しと色紙が張ってあるが、肝心のアナゴがカラカラ(干物の様)で全くの期待外れ。
厳島神社はこれまで何度も訪れているが、これほどの長蛇の列は初めて目にする光景。
先を急ぐので記念写真に留めて早々に退散。

ほぼ復旧したJRで広島市内へ折って返し、平和公園へ。
かつて原爆記念資料館を訪ね、家内は展示資料の数々を拝観するうちに、あまりの惨状に気分を悪くし、体調を崩したことさえある。
従って館内へは入らず公園内を散策、“世界の恒久平和”を祈った。、
当地は全国の中でも最も欧米圏からの訪日客が多い県だそうだが、2023年5月に開催された「G7広島サミット」を機により一層拍車がかかったようだ。

旅のメーンイベント「お好み焼き」で旅を締めくくるべく、平和記念公園近くの「元祖へんくつや」へ。
宮島への市電の中で、フランス人と思しきグループが「Okonomiyaki!! Kakioko!!」を連発していたが、当店でも客の半分以上を観光客が占める。

焼きそばが入る、とてもボリューミーなお好み焼きで、噂に違わぬ美味しさに大満足。
やっとの思いで平らげたが、二人して一人前で十分だった。
「お店の創業は家内と同い年。明23日は私どもの54回目の結婚記念日なので、その前祝に岡山からお好み焼きを食べに来られて大満足でした」とマスターにお礼を述べ、帰途に就いた。

※追記
前回宮島を訪ねたのは2001年4月7日で、実に23年ぶりの再訪でした。

 

 

 

 

厳島神社で順番を待つ長蛇の列

観光客で溢れ返る宮島商店街

 

 

 

 

 

 

デジタルビデオからのキャプチャー画像(2001年4月7日撮影)

 

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見失ったP

2024-02-26 14:12:51 | 旅行

先の松山訪問中ハプニングに遭遇した。
夕食をとるため、いち早く空きパーキング(以後P)を探し車を停めたまではよかった。

ところが食事を終えて、凡そ見当をつけていたPへ戻るも、くだんのPが見当たらない。
お粗末ながらPの名は元より地番すら未確認。
見当をつけていた界隈をぐるぐる回って探すも、周りはPだらけで一向に行き当たらぬ。
まるで狐につままれたような気分になり、少々頭が混乱してきた。
しまいには「ここはどこ? 私は誰?」状態。
学生時代に単独で撮影旅行を敢行、方位磁針も携帯せず鳥取砂丘の密林の中で道に迷った時の悪夢が蘇った。

30分ほどが経過して、焦りも極みに至ったところで、す~っと霧が晴れたように辿り着いた。
遅ればせながら改めて目標物を確認したところ、遥か南方に高島屋の観覧車がイルミネーションに照らされ浮かんでいた。

今回の粗相を教訓に、今後に備えたいと思う。
ドライブレコーダーで入出庫時の動画で確認、地図へ落としてみた。
きっちりと地番もチェックし、スマホへ「カーナビアプリ」も入れた。

入庫した際のドラレコ映像(24日17時17分15秒)

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気まぐれ四国Vライン(瀬戸大橋~高知~松山)旅

2024-02-25 10:19:36 | 旅行

このところぐずついた天気が続くが、珍しく24日は朝から快晴。
日本のウユニ塩湖・父母ヶ浜(香川県)へ、インスタ映えする写真を撮りに行こうと固く誓って家を出た。
瀬戸大橋を渡る頃になると忽ちに雲が垂れ込めて来た。
とても絵のような夕景は撮れそうにないので、急遽金毘羅山に行き先変更。
ところがそれも能がないので「高知で皿鉢料理を食べよう!」とあっさり三度の予定変更。
『予定は未定にして、決定に非ず、しばしば変更することあり』とはこのこと。

高知に着いたのが丁度昼時。
皿鉢料理を目指していたはずが、てっとり早く「ひろめ市場」へ直行。
界隈では日曜市が開かれ軒を連ね大勢の客でごった返すが、今日は土曜日なので静か。
それでも店内は3連休の中日とあって席取りもままならぬ状態。
お目当ての品を買い求めて腹ごしらえ。
高知城は何度も拝見しているので車窓から写真に収めただけ。
先を急ぐので桂浜の竜馬像との対面も割愛。

四国へ赴くとどうしても松山は素通りできない。
加えて高知高速道下りの19本という多くて、長いトンネルを引き返す(上りは22本)ことが鬱陶しいという気持ちが後押しし、地道R33経由で松山入りした。

旅先での楽しみの内「食」が占める割合は「5割以上」という統計があるが、
高知に続いて松山でもどうしても食い気が先行し、かつれつ亭へ直行した。
フワッ、サクッとしたアツアツの衣に包まれた、霧島黒豚特有の、さっぱりして柔らかいトンカツを賞味した。
PayPay精算時に、とても美味しかったと礼を述べ、当店を知ったきっかけや3度目の訪店であることを告げると、マスターご夫妻からも大層喜ばれ、遥々岡山から来た甲斐があるというもの。

近年松山へ来ながらも、なかなか道後温泉で寛ぐ機会がなかったので、今回こそはと駆け付けた。
道後温泉本館は保存修理中のため、人数制限をしており、別館「椿の湯」を案内された。
同温泉は、道後温泉本館と同じく無加温・無加水の「源泉かけ流し」の湯で、久しぶりに温泉気分を味わい、松山を後にし帰途に就いた。

朝9時半に家を出て、帰着は午後11時。全走行距離は520㎞。歩数は13,880歩。
※長距離を単独運転し、神経をすり減らしたであろうに、昨夜の睡眠時間は短くとも、睡眠効率は98%と近年稀な数値だった。

 

 

 

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