てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

2月に青田!?

2007-02-28 18:03:38 | 気象・気候
 「暖冬」は衰えを知らず、もう春本番の気配。ウォーキングのスタイルもシャツ1枚で、さらに腕まくりをするほど。

 コースの途中には、青々とした大麦畑が鮮やかに浮かび上がる。まるで緑のじゅうたんを敷き詰めたようだ。冬であることを忘れさせ、“青田”と見紛うような光景が広がっている。

 空いっぱいに、秋を感じさせるひつじ雲が広がる。かみさんから促され、数カットカメラに収めたのだが、前方に広がる麦畑の緑のじゅうたんに目を奪われ、肝心の雲の様子は写し込めなかった。

 一昨日のウォーキング中に目に留まった、一足早い春本番を思わせる、目にやさしい光景だった。

   
   暖冬のため“青田”と見紛う麦畑
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薬毒不二

2007-02-27 18:18:03 | 健康と医学
 「死の四重奏」(肥満、高血圧、高血糖、高中性脂肪血症)のうち、3つの危険因子を併せ持つ小生は、心臓病の発症リスクが30倍以上になる。このままだと長生き出来そうにない。

 従って、3種類の飲み薬を毎食後に、そして食事1時間前には漢方薬の世話になっている。欠かさず服用しており、薬効のお陰で数値はまずまず落ち着き、症状も小康を保っている。

 今日、Dr.さとうから頂いた原稿には「薬ののみ方と食べあわせ」(※2月27日午後6時~28日午前1時の間は、サーバー休止のため閲覧できません)が認めてある。薬と食べ物との相互作用、つまり「食べあわせ」があることを教えられた。

 薬を特定のものと一緒に摂取すると、薬が効かなかったり、副作用がでる。薬は両刃の剣ともいわれる。『薬毒不二』の諺どおり、薬や食品添加物は食べ物ではなく、"毒"であることを肝に銘じたい。

 「治れる人」とは、
① 常に感謝の気持ちを忘れない人
② 他人に頼らず自分で努力する人
③ 治ることを信じて根気よく毎日続ける人
④ 病気と闘う気力のある人
 だそう。このことも心したいものだ。


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リピート工事の怪

2007-02-26 14:20:18 | ビジネスと社会
 小欄「2006/10/30下水の功罪」の続きとなるが、率直な疑問と苦言をもう一つ。

 1月一杯で2年越しの下水工事を終え、舗装をしたと思ったら、入れ替わりに先日から、同じ道路を掘り返し水道管埋設工事が始まった。その度に甚だしい騒音に加えて、通行止めとなり不便なことこの上ない。路面は継ぎ接ぎだらけの、パッチワークのようだ。

 カメラを持って現場をのぞくと、工事の手を止めて向こうから「何です?」 
 これまでの経緯と今後の進展を尋ねると、「近いうちに同道路は拡幅工事が控えているので、この水道管は仮設」とのこと。
 
 「オイ!オイ!」と思わず声を上げた。
 どう見たって一連の作業である。2度ならず3度も掘り返しては埋設・舗装工事と、時間・労力・経費の無駄だと思うのだが、市民に対して事前の確たる説明もない。今日のように尋ねると答えるだけ。

 あたかも年度末であり、予算消化のための工事かと勘繰りたくなる。血税の無駄遣いといわれても仕方がなかろう。

   
   再び掘り返しての水道管埋設工事
   (次に三度目の掘り返しが控える)

   
   継ぎ接ぎだらけのパッチワーク路面
   
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岡山城の狭間は内外が逆?

2007-02-24 17:12:34 | ビジネスと社会
 先日、岡山城を散策していて気付いたことがある。
 敵から身を隠しながら鉄砲や矢を放つ小さな窓のことを「狭間(さま)」といい、櫓や天守、塀の壁に設けられている。
 外から攻撃されにくくするため、また広角に攻撃ができるように、外側の穴は小さく、内側は大きくとってある。形は三角、丸、四角と様々。

 ところが岡山城の狭間は逆になっている。つまり外側の穴は大きく、内側が小さい。写真に撮ってないので分かり難いかも知れないが、これでは明らかに攻められやすいことになる。

 岡山城は明治6年(1873年)廃城令により御殿・櫓・門の大半を取り壊した。更に第二次大戦中の昭和20年(1945年)6月29日、岡山大空襲で天守・石山門を焼失。
 昭和39年~昭和41年(1964年~1966年)にかけて天守を鉄筋コンクリートにて再建。あわせて不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部も再建された。
 この際に、外観は全く旧来の通り復元されているのだが、例の「狭間」が内外逆に作られたのだろうか。

 城そのものが『敵に攻め込まれた際の防衛拠点として設けられた構造物』であることから、現世にあっては戦争を想定する必要はない。
 「狭間」が内外逆であろうが、なかろうが、これでいいのだが、史実に反するのであえて問題を提起する次第。
 皆さんは、このことをご存知だろうか?

【参考サイト】
岡山城
岡山城-Wikipedia
岡山城
雑学・姫路城/狭間の数は?
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3通目の絵手紙

2007-02-23 20:09:29 | ビジネスと社会
 小欄「2007/2/15袖振り合うも多生の縁」でご登場頂いた、森貞さんからサプライズ絵手紙が届いた。

 モチーフは大原美術館の本館を真正面から力強く描かれている。 「ピカソが エル・グレコが モディリアーニが待ってる」とメッセージが添えられ、表書きの余白一杯を使って、日頃の活動のご様子が認められている。絵手紙の講師をしておられるだけあって、流石に見事な筆致である。

 奇しくも、倉敷は小生が出向時代5年間を過ごした、思い入れの地である。しかも大原美術館は倉敷を代表する場所である。さらに同美術館を象徴する本館は、ギリシャ神殿風の建物で2体のロダンが出迎える。
 7年前に倉敷を後にしてからは、とんとご無沙汰しているが、「たまには、出ていらっしゃいよ!」と言われているような気がした。
 これまでの生涯で頂いた、3通目の絵手紙(年賀状は除く)である。

 最初は平成12年3月、出向先の倉敷から本社復帰の際に「庭に美しい水仙の花が咲きました」と、取引先のM熊さんから栄転祝いを頂いた。そのMさんは2月2日に、90歳の幕を静かに下ろされたばかりだ。
 2通目は小生の退職にあたって、長男の義母からの33年間の宮仕え慰労の絵手紙だった。

 絵手紙こそは小生一人にあてられた、世界にたった一通の尊いものだ。絵手紙は「ヘタでいい、ヘタがいい」などと評されるが、上手下手を抜きにして、頂いた3通の絵手紙はいずれも心に響く、掛け替えのないものである。
 小生は心に残った年賀状を40数年に亘り保存版でファイルしているが、「3通目の絵手紙」が新たに仲間入りした。

 森貞さん、どうもありがとうございました。

   
   森貞さんから頂いたサプライズ絵手紙
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