喜志五郷 平の「太神宮常夜燈」は錦織 聖音寺の「太神宮」灯籠とともに富田林市域において最古の民衆信仰の灯籠です。 . . . 本文を読む
ブログをご覧になられた方から貴重なコメントをいただきました。「南河内で最も古い、というよりも大阪で最も古い民衆信仰による伊勢燈籠は、河南町神山(こやま)の燈籠で、宝暦4年(1754)です。また宝暦5年のものが羽曳野市大黒にあります。」と。南河内で一番古い灯籠は宝暦10年(1760)と認識していましたので、この2基の灯籠を調査しました。 . . . 本文を読む
富田林市から見て、金剛・葛城の峰を軸として反対側、奈良県側にある御所市。御所市の南部には葛城古道が走り、ヤマト王権と近しく関わった古代豪族 葛城氏、鴨氏に関わる多くの神社があります。今回、高鴨神社もそのひとつ。神社でおもしろい石灯籠をみつけました。 . . . 本文を読む
「喜志の川面(かわづら) 小ざいしょなれど 浦にどんどと 舟がつく。」 江戸時代、大坂難波橋より、喜志川面浜(富田林市)まで七里半(約30km)、剣先船(けんさきふね)と呼ばれた川船が石川を行き来して、米・木綿・干鰯などの物資を運搬していました。そして、在所に建之された「金毘羅大権現」の常夜燈、「金毘羅夜燈」と銘が刻まれています。金毘羅さんは、船の安全の神様-かつては、川面浜に行き来する剣先船の安全を見守っていました。 . . . 本文を読む
富田林市域には、民衆信仰型の石灯籠が三十数基もあります。富田林市中央公民館の市民講座 「富田林百景+」では、2年にわたりその調査を続けているところです。江戸中期以降に街道筋や町中に民衆の手によって建之(けんの)された石灯籠-「太神宮灯籠」とか「金毘羅大権現」と記銘された-その原動力は何であったのか、考えていきたいと思います。 . . . 本文を読む
富田林市の錦織南地区、河岸段丘の高台にある聖音寺。東側の二上山・葛城山・金剛山の景色が雄大で、とてもきれいです。楠公さんを狙った矢を代わりに受けたと言い伝えられている「矢疵(やし)観音」さんがとても有名ですが、ほかに境内には石碑や祠、石灯籠がいくつもあります。ちょっと、この機会にご紹介します。 . . . 本文を読む
河内長野市喜多町に宝暦年間の太神宮灯籠があると聞き及んだので、確認に行きました。南河内地方で今までに古い太神宮灯籠は、私の知る限りでは宝暦十年(1760)の3基。ここの灯籠はどうでしょうか。石造物の多い河内長野市だけに楽しみです。 . . . 本文を読む