光明山聖音寺 富田林市錦織南1丁目
聖音寺(しょうおんじ)はかなり傾斜の急な坂(河岸段丘崖)を昇った河岸段丘面にあります。この辺の高台を『聖音寺山』と呼んでいるそうです。
現在、真言宗の無本寺になっていますが、地元の町会の方が管理されています。
普段は扉は閉められていますが、以前 公民館講座の館外学習(2014.11.26.)に、地元の方のご厚意より、特別に拝観させていただきました。
この立派な仏像は、本尊 如意輪観音坐像で、通称『矢疵(やし)観音』と呼ばれています。
室町期の作品で、身代わり観音様として名高く、楠公さんゆかりの伝承が伝えられています。
やさしく美しく、気高き観音様ですね。
境内を見渡すと、手前に「餃子」立てたような自然石の碑がありますね。
これは、『人丸塚』とよばれている石碑で、万葉歌人 柿本人麻呂ゆかりと伝えられています。
よく見ると、「柿本...」と読めますね。かなり碑文が劣化して読みずらいですが、案内板に「 夜もすがら あかしがてらに たくものは 錦織山の 妻木なりけり 」と彫られているそうです。
「...卯二月十日建立」と読める銘が刻まれているそうですが、風化して確認できませんでした。
これはその右隣りにある祠
石造の祠の中に、丸石がおさめられ、牛の置物が2体。「牛滝さん」とか「牛神さん」とか云われているものかもしれません。
かつて農耕牛として、たくさんの牛を飼っていた当地において、牛を祀ったのかもしれません。
石川を挟んで隣村の彼方(おちかた)地区の古文書で、文化十四年(1817)の彼方村明細帳『明細帳 膳所江差上候扣』では、家数72件に対し、牛が16匹いたことが記されています。
そして、さらに右隣の祠が、お稲荷様です。
白い狐が目印です。もともとは『稲』の字でもわかるとおり、農業の神。豊作を願ったかもしれません。
現在は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として、広く信仰されています。
そして、さらに右隣り。一対で石灯籠と狛犬が置かれ、マルキンの紋があるので、金毘羅さんと思われます。
金毘羅大権現は「舟運の安全の守り神」として信仰されており、総本宮は香川県仲多度郡琴平町にありますね。
右側の石灯籠。竿部分に...
『金毘羅大権現』の銘が見えます。
ところが、左側の石灯籠は...
『秋葉大権現』となっています。
秋葉大権現とは、「火伏せの神様」で、総本社は静岡県浜松市にあります。関西では火伏せの神様は愛宕神社(京都市右京区)が有名で、「愛宕さん」で親しまれています。
なぜ、金毘羅さんの祠にある一対の石灯籠の左側が秋葉大権現の灯籠なのかはわかりません。
富田林市内の石灯籠には、金毘羅大権現が4基、愛宕山のが1基ありますが、秋葉大権現の灯籠がこういう形で富田林市内に存在していたのをはじめて知りました。
その横にあるのが、一回り大きい「太神宮灯籠」です。
太神宮とは天照大神を祀る皇大神宮または、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を合わせた伊勢神宮の総称です。
つまり、「お伊勢さん」。そして、伊勢参りをはじめ、民衆の伊勢信仰の象徴して建之されたのが「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」といわれています。
正面に大きく「太神宮」と記銘されています。
かつては、坂の下の東高野街道沿い、神南邊(大道心)の大きな道標あたりにあったと聞きおよんでいます。
「明和元申歳」と銘が刻まれています。明和元年は1764年。
富田林市内ある二十数基の伊勢灯籠の中で、年代の記銘されているもののうち、一番古い灯籠です。
堂内にある刷りもの
「河内國 錦部村 光明山 聖音寺」とあり、 観音様は「人丸之観音」と紹介されています。
高台にあり、境内の東側が開けて、見晴らしが良いです。二上山もよく見えます。
2016.10.5. 16:42 どんより曇っていた空が一瞬晴れ渡り、大きな虹が出ました。
道すがら すがる矢疵(やきず)に 礼音坊(レインボー)
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2016.10月13日 (HN:アブラコウモリH )
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