2022年12月10日 13:39 軽里二丁目 峰塚公園内 峯ケ塚古墳
きょうは峯ケ塚古墳の発掘調査 現地学習会の日
お昼過ぎ、多くの見学者でにぎわっています。
どこまで続くの、この行列...解説を待たれる方々。
「これは見とかな、あかんな。」の声。
羽曳野市は古墳がいっぱい!どこを向いても小山のような古墳、古墳。
竹内街道(丹比道)の沿いに峯ケ塚古墳はあります。
今回の発掘場所はここ。何回も発掘調査が行なわれています。
ここが発掘地点。古墳の北側の周濠が現在埋められているところです。
羽曳野市の文化財課の方がていねいに教えてくださいました。ちょうど前方後円墳の脇の「造り出し」に当たるところです。
真剣に解説に聞き入る見学者。
「ここは田んぼの耕作跡です。」
なるほど灰色になっています。
これはわかった。「葺石」が濠に落っこちたんでしょ。
それにしても丸石ではないですね。石川の川原石ではないようです。
唯一完存する円筒埴輪の写真。
すでに取り上げられていましたが、欠損のない完全な形をとどめた全長86cmの円筒埴輪です。
造り出しはかなり大きく、墳丘長96mの古墳に対し20mもあります。また竹内街道側に一つだけあり、一対をなしていないようです。
解説者の右側になにやら長い板のようなものが出てきています。これは何でしょうか?
今回の発掘調査での大きな成果
1.古墳築造後の祭祀の場と考えられている「造り出し」の大きさが特定できたこと。
2.この木製品の形状と規模が把握できたこと。
調査の結果、この木製品はコウヤマキで残存長352cm、幅75cm、最大厚8cmということでした。そして「石見型木製品(木製埴輪)」と呼ばれるもので、全国の16の古墳からしか出土していなくて、大阪府では初めての出土、しかも最大ということでした。
新聞の記事でも「日本最大の木製の埴輪の発見」と紹介されていましたね。
「これほんまに木の埴輪かいな?」という疑問のうちに、10分間の解説が終わり、心の残りに現場を後にしました。
木製の埴輪の存在を知らなかった私にとって「寝耳に水」状態で、どう見ても埴輪に見えない板に、これで外から侵入してくる邪気を祓えるのかなと今も思っています。
心残りを後にして、公園の高台に登りました。ここからは峯ケ塚古墳の前方部正面を見ることができます。
ここからは峯ケ塚古墳のほか、白鳥陵、安閑陵の3つの前方後円墳が一直線上に見ることができます。
その向こうには二上山、その右には竹内街道が通ります。
復元図
二重の濠があったようです。
発掘された後円部の石室部分。5世紀後半の古墳で竪穴式石室のようです。
このように写真とパネルで以前の調査結果を紹介されていて解りやすいです。
石室は大掛かりな盗掘を受けており、石棺をはじめとする多くの石材は抜き取られていたそうです。しかし、大刀や武具、馬具のほか、ガラス・金・銀の飾り物があわせて3500点も大量に残されていました。
魚佩(ぎょはい)
魚が2匹向き合った姿。大刀の把(つか)あたりにつけられていたアクセサリーと思われます。この魚はめでたい魚を意味し、邪気を避け、魔除けを意図したものと思われるということでした。0.3mmの銅板、金メッキ製。
公園内の「時とみどりの交流館」で現地学習会の解説をビデオで放映されていました。
西側の周濠
南西の前方部角からの峯ケ塚古墳。
小口山古墳の横口式石槨
公園内には他にも古墳があります。
峯ヶ塚(みねがつか)古墳の西方200メートルの羽曳野丘陵の東縁に位置する7世紀後半の終末期古墳で、直径約30メートルの円墳です。
凝灰岩を掘り抜き、石室を省略した石槨で、後の時代に天井部分が少し抜けています。
公園の丘陵部からの東側の眺め。これは白鳥陵(伝日本武尊陵)。
芦が池の向こうに清寧陵。背景は金剛山。
翠鳥園遺跡の向こうに団地をはさんで墓山古墳。
翠鳥園遺跡は2万年前の旧石器時代のサヌカイト打製石器作りの跡です。ゆで卵を輪切りにしたようなモニュメントは、旧石器時代のサヌカイト原石を割る工程の瀬戸内技法を表しています。
近鉄 古市駅まで帰りに竹内街道横の白鳥陵を通りました。
前も後ろも古墳だらけで、サヌカイト石器の工房や竹内街道が生活道路になっている羽曳野市古市駅西側です。東側にも在郷町の古市、東高野街道、剣先船の船着場跡があります。すごいですね!
撮影:2022年12月10日
2022年12月17日 (HN:アブラコウモリH )
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