応神天皇陵 墳丘長420mを誇る古市古墳群最大の前方後円墳 ここに立つとその大きさにビックリします。
世界遺産登録をめざし、是非是非頑張ってください。世界中でここだけの誇るべきオンリーワンの文化財。
私はここに立つと元気が出てくるのです。何でかというと、その大きさもさることながら、1500年も前に小山丸々1個分もあるような大王のお墓を、平地から造り上げたその技術力と持続力、忍耐力に感動です!
その応神陵の後円部外周にある誉田(こんだ)八幡宮。欽明天皇の命で6世紀後半に創建されたと伝えられる、日本最古の八幡宮。
その社殿右の奥まったところ、天皇陵と八幡宮を結ぶ道を横断する人工の水路、放生(ほうじょう)川をまたぐかたちで放生橋があります。
ご覧のように、極めて カーブのきつい花崗岩製の立派な反り橋です。そして、なんと鎌倉時代に造られたといわれています。
河内国誉田八幡根本社内之図 天保九年(1838)
これに、放生橋が描かれています。
河内名所図会 (享和元年(1801年)刊) 秋里籬島 著・丹羽桃渓 画 巻之三 古市郡 「 誉田本社 」(部分)
これにも描かれていますね。
形の整ったきれいな曲線にの反り橋ですね。
とても鎌倉時代に、硬い花崗岩でつくられたとは思えません。
上部の大きさに比べ、橋脚は細くないですか?
ここから本題ですが、放生橋の向こう側の左の欄干に、実は富田林と関わりのあることが彫られているのです。
ここへは通常は進入禁止のため、手前誉田保育園側から撮影しています。
昨年、2014年6月25日 「富田林百景+」の館外学習で、宮司さんのご好意により向こう側の欄干を調査させていただきました。
橋の欄干を確認しているところ。メンバーの方が熱心に見入られています。
「石工 富田林之住 木村藤兵衛尉藤原國次 」と大きく彫られています。他の欄干には文字らしき彫り物は見当たりません。
これが反り橋の造られたと同じとすれば鎌倉時代ににさかのぼることになります。富田林じない町は存在しません。富田林の呼称もなかったでしょう。
それでは、後の時代の修理の時に入れられたものでしょうか。他に彫り物がなく、銘を入れるとこの方が造ったことになってしまいます。修理とか修繕とか彫られていれば別ですが?
さらに、当講座講師の元富田林市 市史編纂室 玉城 幸男氏の解説では、富田林の「富」は江戸時代は「冨」であって、「富」の文字を使用するのは明治になってからということです。
よって富田林寺内町の成立した永禄3年(1560)から江戸期の終わり(1868)くらいまでの間に「冨」が使われていたことになり、「富」は使われていなかったことになります。
謎の多い銘ですが、「 木村藤兵衛尉藤原國次 」もよく解りません。
「石工」と彫られているので、この方が石工であるのは間違いのないところです。そして釣鐘や建造物の棟札にこのような銘を入れることはよくありますが、よほどのことがない限り石造物にこういう形で銘を入れるのは珍しいと思います。
発起人や世話人の銘を入れることはありますが、石工の銘が入るということは、石工の地位が確立しているということですから、かなり後の時代と思われます。
「 木村藤兵衛 」は世襲の石工名でしょうか、「尉」も気になります。律令制の四等官(長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)のなごりで、その地位を表すもの(河内守・越前守など)、さらには「無用ノ介」「雪之丞」など人名にも用いられていますね。「尉」も「じょう」と読むのでしょうね 。
「尉(じょう)」自体は律令時代の「検非違使」の三等官(判官)で、現在「三等陸尉(い)」など自衛隊の階級にも用いられています。
「 藤原國次 」もよくわりませんでした。「藤原」の姓名を名乗っているということは、かなりの地位をもっていたか、慣例的に使用されているかであると思われます。関連する文献の確認が取れていないのでこれくらいしかわかりませんでした。
寛政8年(1796)出版された『和泉名所図絵』竹原信繁画に載っている石工
石工(いしく)が宮物(みやもの)と呼ばれる寺社仏閣に奉納する狛犬、灯籠、鳥居などに銘を刻んだのは江戸の後期くらいからで、また西国三十三度満願供養塔や庶民のお墓、道標など庶民の対しての石造物が一般に作られるのも早くて正徳・享保期位(1711年以降)からです。
富田林には江戸後期、新堂大工組や鋳物師がいたことは、神社仏閣の棟札や釣鐘の銘でわかっています。石工集団もいたのでしょうか?「富」の文字からすれば、明治以降の修理ということになりますが、150年前くらいなら、資料も残っているはずです。が、今のところ見つかっていないようです。
謎の多い「 木村藤兵衛 」さんですね。
*その後の調査では、放生橋は袖高欄と添束の絵様から、17世紀後半から18世紀前半頃に建築された近世の石造橋と考えられています。(2016.9.20.付記)
2015.1月6日 ( HN:アブラコウモリH )
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