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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

楠妣庵観音寺 2024

2024年12月14日 | 紅葉

2024年12月5日 10:32 富田林市甘南備(かんなび) 臨済宗妙心寺派 峰條山 楠妣庵(なんぴあん)観音寺

 

楠木正成の久子夫人が正成の生誕地にほど近い、夫人のふるさと富田林市甘南備の地に草庵を、正平3年 (1348)に建立。入寂するまでの16年間、この草庵に隠棲し、楠木一族郎党の菩提を弔ったとあります。

 

これだけもみじ葉散らす手水鉢を見たのは初めて。

 

石段を登り詰めると草庵(右)と観音堂があります。

 

山門の外にある楠公像。

 

草庵(右)と観音堂を望む。

いずれも大正六年(1917)に当時の様式に従い建立されました。

 

山門には菊水の紋が見えます。

 

火伏瓦も菊水。

 

扁額は大楠公旗印「非理法権天」

「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」

 

楠公夫人、その名は久子。甘南備の豪族 南江正忠の妹で甘南備字矢佐利に誕生、元享三年(1323)二十歳で大楠公に嫁ぐまでこの地で兄 正忠の厳格なる教育を受けました。

 

夫人は楠木家に嫁ぎ、正行・正時・正儀・正秀・正平・朝成の六子をもうけ教育し、正成の留守を守り、その貞賢を讃えられていましたが、元弘(1331-1334)以来の騒乱に正成は湊川に、正行・正時は四條畷に戦死した後、名を敗鏡尼と称し、亡き大楠公をはじめ、一族郎党の菩提を弔いつつ生れ故郷の甘南備の地に隠棲し、入寂するまでの16年間の余生を過ごされました。

 

楠木氏一族の没落と共に廃滅近いまで荒廃していましたが、大正四年(1915)以来、岐阜県金山の加藤鎮之助氏の献身的努力と全私財を投じての発願により再興されました。

楠妣庵観音寺のパンフレットより

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楠妣庵の紅葉 2013.11.22.撮影:11月22日

写真撮影:2024年12月5日

2024年12月14日 アブラコウモリH

 

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