富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

富田林じないまちのえべっさん 2024

2025年01月10日 | イベント

2025年1月9日 12:49 富田林市富田林町 富田林じないまち(御坊町)

富田林御坊の鐘楼と妙慶寺の本堂

 

13:06 きょうから「えべっさん」。ずらりと並ぶ縁起物。*写真の撮影は許可をいただきました。

 

ここは富田林じないまちの「富栄戎」。

 

寺内町の南東部 山中田(やまちゅうだ)坂の角、石川河川敷をあがったところにあります。ちょうど富田林街道の出口に当たります。

 

去年もお伝えしましたが、富栄戎のいわれは以下の通り。

『この富栄戎の起源は今から300年以上前の享保7年(1717)にさかのぼります。

江戸前期からすでに良質の井戸水、豊富な米、多くの働き手がいた富田林は周りの村々の中心的な町(在郷町)と成長し、周りの村々の生産した物資、米、木綿や菜種などを加工し、また逆に周りの農村が必要とする農具、金肥(種粕、干鰯など)を供給していました。歴史用語では「在郷町」と言います。

そして当時6軒あった造り酒屋(竹田、倉内、河村、万保、杉山家、後に仲村家が参入)が酒造仲間の「恵美寿講」を結成したことに始まります。「恵美寿講」が、商売繁昌を願って祭っていたのが、この神社です。』

 

13:00 みなさんの願いは同じ。

『神社は、元々、別の場所(「新道中腹」=おそらく「新道」は新堂の新道地区の河岸段丘崖の中腹あたり、今の堺筋の延長上か?)にあったものと考えられています。

ただ、この「恵美寿講」も宝暦3年(1753)をもって、史料上から姿を消します。神社だけが残っていて明治23年(1890)に堺筋の新道をつける時にやむなく今の場所に移されたということです。
その時一旦ご神体は美具久留御魂神社にあずけられ祀られたそうです。この辺のいきさつはよくわかりません。』

 

今年の金運はどうでしょう。

『戦後になって、戎神社を祭るための「富栄戎講」が組織され、御神体を現在の場所に迎えました。毎年1月9日の宵戎の早朝には、美具久留御魂神社の宮司による祈祷が行われているそうです。

平成28年(2016)にリニューアルして白亜の外壁になった富栄戎が現在の「えべっさん」で、新しく「富栄戎神社えびす講」が発足し、運営にあたっておられます。』

 

どっちがえべっさんでどっちがだいこくさんやったっけ?

 

13:02 初日の宵戎から多くの人で賑わいます。

 

ことしも縁起物のお店。

 

やっぱりことしも去年と同じ景品でした。

 

13:11 寒い1日、神頼みした後はやっぱりよう煮えたおでんが格別です。

玉子に大根、こんにゃく、すじ肉、ちくわなど。写真に撮るのを忘れた、1個100円。

 

13:16 焼きそば・うどん・たこやき400円、回転焼き120円。

 

13:22 屋台を見ると食べたくなります。地元の方ががんばって作っておられます。

 

13:32 なつかしいスマートボール、やったっけ?

 

ことしは最終日1月11日の残えびすが土曜日でじないまち界隈が「初鍋」なので、にぎやかになりそうです。ただし、えべっさんは3時までですのでご注意を。

 

12:55 葛城山が雪を頂きます。じないまち展望広場から。

 

12:55 金剛山も白くなっています。

 

13:28 あっという間に雪に煙りました。きょうは寒い1日。

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写真撮影:2025年1月9日 

2025年1月10日 アブラコウモリH

 

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