本当は令和2年4月14日に行く予定でした。ところがコロナ蔓延で延び延びになっていて、実に2年以上順延していました。行程も忘れかけていましたが、ようやく行くことができました。
今年は本日近畿地方梅雨開け、真夏日の猛烈な暑さで息絶え絶えに、汐見橋駅に到着しました。
「なんでこんなに早く開けるんやろ?」
〈行程表〉
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南海電車 岸里玉出駅で本日の行程と探索ポイントの説明を受けた。
2022年6月28日、当日は梅雨明けか猛暑日に近い真夏日で、汗をかきながら 又、熱中症に気を付けて「大都会の中の秘境駅 ~南海 汐見橋線周辺を巡る。」を今に残るレトロな街並みを探索した。その状況の一部を紹介いたします。 2022.06.28 撮
平成5年(1993)現南海本線と現高野線が高架に伴い、岸里駅と玉出駅が統合された。
昭和7年(1932)国道26号線を跨ぐレトロな鉄橋。(川崎造船所製造、曲線美とリベット接合)
架線の支柱と側面柵の柱はレールが使用されている。
西天下茶屋駅周辺は懐かしい街並みが残っています。
大都会の秘境木津川駅。平成31年(2019)1日の乗降客数は141人で大阪府でニ番目に乗降客が少ないと言われている。(一番は南海本線 孝子駅116人 路面電車・ケーブルを除く)
大きな木津川水門(防潮)のアーチ。
落合上の渡船場。(市の運営、全て無料)
乗り場にいるこのフクロウは飾りではありません。
鳥よけのフクロウ。ときどき頭が動きます。
千島公園ここで昼食。昭和45年(1970)大阪市は貯木場跡地に「港が見える丘」として人工山(昭和山標高33m)を中心とした公園を造成。(公園は11.2ha、山の土は地下鉄の残土170立方メートル、当時は大阪市で一番高い山で有った。現在は鶴見緑地の次で2位)
あべのハルカスも近い。
富田林のPLの塔が見えた。20km近く離れています。後は金剛山。
「大地震両川口津波記」 安静2年(1855)7月建之
大正橋東詰にある「大地震両川口津波記」,安政元年(1854)の安政南海地震の後に発生し、大阪を襲った津波の被害と教訓を記した碑で、安政二年に建てられた。
道頓堀川閘門
水門を観光船が通過。水門の内と外の水面差が有、観光船を水門の手前で停止、後ろの水門を閉じる。前の水門を開けて、水位を調整して船を通過させている。
真夏の暑い中、やっと汐見橋駅到着、お疲れ様でした。そっれぞれ市内を寄り道されるので、この駅で解散。
長文最後まで見ていただきありがとうございました。 2022.06.29 kusu
お疲れさまでした
辰じい 動画追加UPしました。
〈汐見橋線 各駅停車〉
岸里玉出駅
高野線側のホームの一番遠いところにある玉出の変電所。明治44年(1911)竣工当時のイギリス積みの煉瓦壁。岸里玉出駅ホームは橋から端までなんと620m。当時はまだ汽車が走っていました。
通称汐見橋(高野線の一部)の岸里玉出駅ホームは6番線1本。しかし、西天下茶屋駅→津守駅→木津川駅→芦原町駅→汐見橋駅はすべて2番ホームまであります。不思議ですね。
岸里玉出駅を出発するとまずは単線、すぐカーブして複線になります(写真の手前)。いかにも不思議な線です。
さらに高野線ホームは連絡路で連絡していますが、離れたところにあり1・2番ホームがあてられています。
南海本線のホームは3・4番、そして南海本線は上り線のみ外側にラピードやサザンなどが通過するホームのない通過線が1本あります。この通過線を5番線として扱っているため、5番ホームは欠番になっています。
よって汐見橋の折り返し運転のホームは6番ということになります。
この汐見橋線は通称で、実はここは今も高野線。でもなんば駅方面に行く乗客が圧倒的に多いので、切れてしまっています。これは、大正11年(1922)の南海鉄道(現南海本線)と大阪高野鉄道+高野大師鉄道(現高野線)が合併するまでは別々の会社で、後でできた大阪高野鉄道+高野大師鉄道側が南海鉄道の線路を跨いでいました。その名残です。
当時はまだ汽車で跨ぐためのすこしづつ勾配がきつくなる景観が今も西天下茶屋駅~岸里玉出間に残っていますね。
西天下茶屋駅
レトロな西天下茶屋駅(下り側)。上り下りそれぞれ独立したホームです。
同じ南海の天下茶屋駅とは直線距離で道1本10分くらいしか離れていませんが、天下茶屋駅は一日の乗降客75834人、西天下茶屋駅は270人。
曲げレールの駅舎とペンキ塗りのロングベンチ。
南海の曲げレールの技術は素晴らしいの例。こんなカーブでひょいひょい曲げてしまいます。
なお、よく似た名前の駅は以下の通り。
・天下茶屋駅 南海 本線・高野線
・西天下茶屋駅 南海 高野線(通称 汐見橋線)
・北天下茶屋停留所 阪堺電気軌道(路面電車)阪堺線
・東天下茶屋停留所 阪堺電気軌道(路面電車)上町線
津守駅
乗降客の多くは西成高校の生徒さん。
汐見橋線は原則ホームは木製か曲げレール製。
汐見橋駅:曲げレール製
芦原町駅:木製
木津川駅:曲げレール製
津守駅:木製
西天下茶屋駅:曲げレール製
岸里玉出駅:鉄筋コンクリート製
木津川駅
かつて橋本方面から多くの紀州の良質な木材がホーム横の集積場に運ばれました。近くの貯木場に貯木したり、横の木津川から積みだしていました。
このポイントは貯木場に入る貨車の引き込み線です。現在は使用していません。
現在一日の乗降客は141人(2019)で大阪市内で1番少なく、大阪府全体でも2番目。(ケーブル線、路面電車は除く)
ここも曲げレールのホーム。
1907年製造のレール。明治40年、115年前。
芦原町駅
一日の乗降客が3番めに少ない駅 204人(2019)。
汐見橋駅
高野線の正式な起点駅
合併前の高野鉄道時代の明治33年(1990)に道頓堀(現汐見橋)駅~大小路(現堺東)駅間が開通し、すでに明治31年(1898)に営業していた大小路駅~長野(現河内長野)駅と合わせて、道頓堀駅~長野駅間の運行が開始されました。当時から大正12年(1923)までは蒸気機関車での運行でした。信じられませんが、開業当時には全国どこにも電車はありません。(路面電車を除く。)
当初の駅名は「道頓堀」駅でしたが、道頓堀川はすぐ北を流れているもの、繁華街とは遠く離れているため、翌年「汐見橋」改称されました。汐見橋は架け替えられているものの、駅から北へ170mのところにあります。
長文で読者のみなさま、お疲れさまでした。3人の百景メンバーで作りました。
行程表と記事を追加しました。
関連記事:ここどこでしょう?駅から見える風景 51 汐見橋駅 2019.11.26
ここどこでしょう?駅から見える風景 56 芦原町駅2020.1.28
ここどこでしょう?駅から見える風景 57 木津川駅 2020.1.28
ここどこでしょう?駅から見える風景 62 津守駅 2020.7.28
ここどこでしょう?駅から見える風景 60 西天下茶屋駅 2020.2.25
ここどこでしょう?駅から見える風景 52 岸里玉出駅 2019.11.26
2022年6月30日 ( HN:アブラコウモリH )
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