富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

2024年度 第6回(通24)とんだばやし観光会まち巡り「じないまち新春 初鍋 まち歩き」 2025

2025年01月17日 | とんだばやし観光会

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今期最後、6回目の富田林じないまち「新春 初鍋 まち歩き」です。

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じないまちの『新春・初鍋めぐり』に合わせて、とんだばやし観光会では「新春 初鍋 まち歩き」を開催しました。

集合は近鉄 富田林駅 南出口にある観光交流施設「きらめきファクトリー」。

 

13:00 13時集合の後、まずじないまちに至るメインロードの本町通り。ここから「初鍋」のお店が並びます。

「初鍋」とは、富田林じないまちおよびその周辺において、お正月の余韻が残る中、地域の方々が鍋料理やおでんなどを振る舞い、じないまちの「冬」のたたずまいとそのお味を楽しんでいただく催しです。

 

13:00 じないまちのお食事処や屋台が様々なメニューで出店されています。

じないまちの四季のイベント「じないまち四季物語」のひとつで、春「雛めぐり」・夏「寺内町燈路」・秋「後の雛まつり」・冬「新春・初鍋めぐり」が毎年行われています。

 

13:14 巡礼街道の入口の北口地蔵。道標地蔵でもあり子安地蔵でもあります。

 

赤ちゃんの夜泣きや疳(かん)の虫に効くそうな...

 

13:26 越井家住宅の防火壁 明治末期の5m近くあるイギリス積みの煉瓦塀。

 

13:28 向かいは佐藤家住宅。江戸後期、文政三年(1820)頃の建物。味醂の醸造をされていました。

入口に2つの駒つなぎ。低いのと高いのと。

 

低い方が馬で、高い方が牛用。これは馬用で、この穴に手綱を結んだようです。

 

13:33 今話題のバンリノハルビヤホール

ここでクラフトビールを醸造し、元の酒蔵をビアホールとして再利用されています。

 

今回は案内だけにして、えべっさんへ。

寺内町まち巡りと万里春ビアホール昼食会 2024 2024.10.11

【長編】在郷町 富田林の酒造り 2024.12.31

 

 

13:37 ここは富田林じないまちの「富栄戎(とみさかええびす)」。

今年の日合わせで初鍋(1月第二土曜日)は終(しま)い戎と同時開催になり、ちょっと得した感じ。

 

13:39 まずはお参り。『えべっさん、えべっさん、わたいの願いを聞いとくなはれ...』民話調に言うとこんな感じ。

 

富栄戎のいわれは以下の通り。

『この富栄戎の起源は今から300年以上前の享保7年(1717)にさかのぼります。

江戸前期からすでに良質の井戸水、豊富な米、多くの働き手がいた富田林は周りの村々の中心的な町(在郷町)と成長し、周りの村々の生産した物資、米、木綿や菜種などを加工し、また逆に周りの農村が必要とする農具、金肥(種粕、干鰯など)を供給していました。歴史用語では「在郷町」と言います。

そして当時6軒あった造り酒屋(竹田、倉内、河村、万保、杉山家、後に仲村家が参入)が酒造仲間の「恵美寿講」を結成したことに始まります。「恵美寿講」が、商売繁昌を願って祭っていたのが、この神社です。』

やっぱり造り酒屋が関係しているのですね。

 

ずらりと並ぶ縁起物。*写真の撮影は許可をいただきました。

 

13:57 ここでは「蔵」が主屋に対し北東の鬼門(艮・丑寅 うしとら)と南西の裏鬼門の(坤・未申 ひつじさる)の忌むべき方位をさけて建てられている説明をしています。つまり方位の良い北西(乾・戌亥 いぬい)と南東(巽・辰巳 たつみ)に建てられています。

富田林じないまちの蔵 2024.8.24

 

14:00 城之門筋東林町

 

石製駒つなぎが見える橋本家住宅

別井屋 橋本忠兵衛 「別忠」 城之門筋東林町 別井村出身 酒造米高:397石(明治元年) 

幕末に酒造株を購入し。酒造りを始めたようですが、資料に乏しくいつ起業したかは不明です。

建物は18世紀後半の典型的な厨子(つし)二階平入りの農家形建物。敷地は約400坪。

 

14:01 木口家住宅(左)はじないまちでは3番目に古い民家。宝暦三年(1753)、江戸中期。屋号は木綿庄。

元木綿商で後に瀬戸物商。杉山家と同じく山中田の出身。向かいの富田林町集会所は毎年初鍋では「猪鍋」が有名です。

 

14:03 仲村家住宅 屋号は佐渡屋 富筋西林町

出身村不明 佐渡に土地を持っていた説や新堂北部の里田(さった)説などがあります。

銘柄「紅梅酒」「丹頂」 酒造米高:1200石(明治元年)。天明五年(1785)には河内国最高の2135石の酒造米(原料米)高を誇りました。

 

14:06 旧杉山家住宅 富筋西林町 屋号はわた屋 山中田出身 八人衆の筆頭年寄

現存する家屋は寺内町で最も古く〈寛永二十一年(1644)〉、江戸中期からの大規模屋敷です。幕末に残る造酒屋では一番古くから酒造りをしていました。

酒造米高:1103石(明治元年)一時期は1ブロック千坪の敷地を持ち、周りを取り囲むように米蔵や酒蔵が並んでいました。現在は半分以下の450坪。屋号は「わたや」ですが、木綿に関する道具は一切残存せず、記録もありません。

 

14:08 四角い柱が中ほどでいびつな円柱になり、口径が半分以下に、何で! 

 

「駒つなぎ」が抜けた跡があるので、繋がれた牛さんがカイカイしてすり減ったようです。みごとですね!

 

14:17 興正寺別院(富田林御坊)山門(城之門)

本山 京都興正寺の北之門として長く使われていたものを安政4年(1858)に移築したことが文書によりあきらかになっています。伝承では伏見桃山城の城門であったと言伝えられています。

興正寺別院は富田林寺内町の開発の中心となったお寺です。戦国時代の永禄三年(1560)に一向宗の証秀上人が時の領主 畠山高政から百貫文(現在の貨幣価値で約二千万円)で買得し、開発しました。

 

14:18 本堂 真宗寺院では大阪府最古の本堂です。現在の本堂は寛永15年(1638) に新堂大工により再建されたものです。

国重要文化財の富田林興正寺別院は大修復工事が計画されております。

経年のいたみがひどい本堂・対面所をはじめほぼ全面的に文化財保護のための大修復となります。

興正寺別院では令和6年12月20日(金)〜令和7年2月17日(月)まで、調査工事にかかる費用を募るクラウドファンディングを募集しています。

〈クラウドファンディング〉

富田林興正寺別院|460年の想いを次の世代へつなぎたい【第一弾】(富田林興正寺別院 2024/12/20 公開) - クラウドファンディング READYFOR

 

広い外陣の本堂 富田林興正寺別院公式WEBサイトより

 

松竹梅図 襖絵八面の内 右側四面が「松図」(写真)、左側四面が「竹梅図」

後の御用絵師、狩野寿石敦信により描かれました。江戸の下る前には京都にいて、わざわざ富田林に出向いてこの襖絵を描いたと云われています。

狩野寿石敦信は元禄十年(1697)京都から江戸に下り、同十三年(1700)に浅草猿屋町に屋敷を拝領し、正徳元年(1712)には五人扶持を与えられえました。よって、元禄十年までに描いたものと思われます。

 

「二十四孝」の蟇股

欄間の上の蟇股は七具あり、そこに中国の儒教説話の「二十四孝」の内、七説話が彫刻されています。

 

城之門筋 伝統的な建物が建ち並びます。

 

書き初めは「へび」。

 

14:51 最後に伝統的な厨子二階平入り建物の変遷過程を説明しています。

 

じないまち交流館につきました。ここで休憩。

 

15:03 ここの「初鍋」はクラムチャウダー。ここでアンケートを書いていただき、一時解散し駅に行かれる方はきらめきファクトリーまでお送り致しました。

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関連記事:

〈リバイバル・アーカイブス〉2023年度 第6回(通17)まち巡り「美具久留御魂神社初詣と寺内町『初鍋』の賑わい」 2024.1 2024.1.19

とんだばやし観光会(18)

とんだばやし観光会—富田林観光ボランティア ホームページ

撮影:2025年1月11日 

2025年1月17日 HN:アブラコウモリH 

 

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