富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

初詣2025~元日に富田林市の神社を順番に歩いて巡る その4

2025年01月14日 | 私の富田林百景

2025年1月1日 14:39  富田林市山中田町三丁目 大伴黒主神社

 

14:40 「六歌仙」の一人、大伴黒主が祭神となっています。そしてそれは背後の篝山(かがりやま)の山中にあった大友黒主夫婦の墓と伝わる「夫婦塚」が起因しているようです。

 

14:40 摂社に牛瀧堂があります。昔は牛は農耕に欠かせない動物でした。農家は田畑を耕す牛をとても大切にしました。その牛を祀ったのが牛瀧堂。かわいい狛犬が印象的。

 

14:58 泉龍寺沿いの条里地割に起因する山中田の道。

 

15:08 富田林街道に合流し、佐備川を越えました。

 

15:18 さらに進むと石川。

 

15:20 金剛大橋からは二上山や石川サイクル橋が見渡せます。ここから少し行くと東高野街道に至ります。

 

15:37 法螺坂(ほらんざか)

富田林の民話に出てくる法螺坂。比高10m近い急坂です。この崖は河岸段丘の崖。

下には降りず、東高野街道を北に向かいます。

 

15:41 新堂本郷の入口の屈曲道路。江戸初期に計画的に作られた都市で、町割りは碁盤の目状。

入口を曲げているのははやり病や厄災を引き起こすという、直進する邪気を町内に入れないようにするもの。近世に成立または改変された集落に多いようです。

 

16:01 さらに進んで中野地区。東高野街道から少し外れて旧市街の西徳寺。真宗興正派。

 

16:02 大和棟の旧家がいくつか残ります。

 

16:05 旧市街の中心にある中野町長壽会館。地車庫、地蔵、太神宮灯籠、力石などがあります。

 

16:05 たくさんの供花のお地蔵さま。

 

16:04 慶応三年(1867)の「太神宮・常夜燈」。

 

16:04 そして力石。

 

16:17 中野地区の抜けて、東高野街道を進むと旧道から国道170号(旧道)に至ります。美具久留御魂神社(喜志の宮)の一の鳥居を左にくぐると、ここから参道になります。

 

16:20 粟ケ池 粟ケ池は富田林市で一番大きいため池のひとつで南北390m、東西200m、満水面積6.6haの富田林北部の喜志地区にあります。この堤防が参道となっています。

 

16:23 ミューラルアートと金剛山

近鉄電車や西側駐車場からよく見えるミューラルアート(作成許可を受けた壁画)です。金剛東中央公園や近鉄富田林駅南出口に続いて、富田林市では3番目になります。

制作はイタリア在住の日本人アーティスト「TWO-ONE(トゥーワン)」氏。作品は横幅59メートル、縦幅が6メートルあり、日本で2番目の大きさになるそうです。粟ケ池の龍伝説がモチーフになっているようです。

 

16:28 喜志の宮さんに到着。2番目の鳥居。

角石柱(注連石 しめいし)に注連縄(しめなわ)を掛けたタイプの鳥居です。秋祭りでは背の高い地車がくぐるか注連縄を持ち上げて通ります。

 

16:30 下拝殿での参拝を待つ行列。

 

16:41 下拝殿

正式な名前は、美具久留御魂(みぐくるみたま)神社。「喜志の宮さん」とも呼はれています。歴史は古く、式内社であり、社伝によれば紀元前88年、崇神天皇の用命で創建されたと言われる由緒ある神社です。水との関係が深く、江戸時代は「水分宮(みくまりぐう)」「下水分社」と呼ばれていたようです。

 

16:42 上拝殿への急階段。

 

16:53 こちらが上拝殿。比較的すいています。新年は本殿まで参拝ができます。

 

16:44 本殿

 

16:47 本殿横の「なみだれの梅」の新碑。旧碑は神奈備山「真名井ヶ原」の頂上付近にあります。

富田林の民話にも紹介され、戦国時代終わりころの悲話として語り継がれています。

《リバイバル・アーカイブス》涙垂の梅 2015.3.5

〈リバイバル・アーカイブス〉「なみだれの梅」の碑~美具久留御魂神社 2022.5.17

 

16:57 元日はだいがいこんな状態です。早朝に行くのがおすすめ。

 

16:58 毎年きれいに作られるたき火。新春が終わると埋め戻されます。

 

17:01 振り返ると、参道のむこうは二上山。

〈リバイバル・アーカイブス〉私の富田林百景+ 「 太陽の道 美具久留御魂神社 」 2013.12.17

 

17:06 巡礼街道に入ります。一路じないまち方面へ。「あっ!」と驚く道路標識。飛び出し注意。

 

17:08 巡礼街道 宮町南の出口 ここに3つの道標があります。まず突き当りの所に1カ所。

巡礼街道の行先を示しています。まっすぐ行くと槇尾山、戻ると葛井寺。

 

その道標の斜め向かいに後ろを向いた崩れかけた道標があります。

 

後ろから見ると明らかに「左」の文字が見ます。ほかに何が彫られているかは確認できませんでした。

 

17:09 3つめは出口の三叉路のところ。

 

17:10 粟ケ池に注ぐ深溝(ふこうど)井路に沿って巡礼街道が走ります。

 

井路の法面の堤防を人が踏み固めて崩れを防いで入るようにも見えます。右側が高く左側が低くなっています。これは河岸段丘の崖面をうまく利用しています。

 

17:19 大和葛城山(左)と金剛山。 あたりがすこし薄暗くなってきました。

 

17:35 巡礼街道沿いの「歯痛の観音さん」~西国三十三度供養塔

 近鉄 富田林駅からほど近い巡礼街道沿いに、祠に祀られた宝篋印塔(ほうきょういんとう)の塔身の部分に観音像が刻まれています。

歯が痛くて頬(ほほ)をさすっておられるようにも見えますので、「歯神(はがみ)さん」とか「歯痛の観音さん」とか、近在の方々に慕われて呼ばれています。

実はこの宝篋印塔、今から250年ほど前の、安永三年(1774)に「新堂村 酒屋忠兵衛」さんにより、西国三十三度巡礼行者 玄教さんの満願を記念して建てられた供養塔です

 

17:43 北口地蔵 巡礼街道の入口にあります。まず北口地蔵が道標地蔵になっていて、西国五番の葛井寺と四番槙尾山施福寺を案内しています。

 

また子安地蔵としても名高かく、赤ちゃんの夜泣きや疳(かん)の虫に効くそうな...

 

また祠の脇には別に道標も寄り添うように建っています。

だだ、このふたつの道案内は方位が合っていなくて、そこにはたどり着けません。

 

17:47 じないまち交流館

じないまちの町中に入りました。あたりはもう薄暗くなり、歩いてもう9時間近くになります。

 

17:49 薬師堂 端正なお顔の恋文薬師さんが出迎えてくれます。

 

17:51 浄谷寺に戻りました。あと5分で帰宅です。

これなら夜中の0時に出発すれば、錦織神社・春日神社・滝谷不動・佐備神社・板茂神社・大伴黒主神社・美具久留御魂神社のほかに、伏山神社・五軒家神社・腰神神社・厳島神社・咸古神社・金毘羅神社も参拝可能ですね。

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美具久留御魂神社 初詣2023 2023.1.10 撮影:1月2日

佐備神社 初詣2023 2023.1.9 撮影:1月2日

錦織神社 初詣2023 2023.1.6 撮影:1月1日 

春日神社 初詣2023 2023.1.6 撮影:1月1日 

喜志の宮さん 初詣2020 2020.1.4 撮影:1月3日

巡礼街道で詣でる喜志の宮さん:富田林寺内町→美具久留御魂神社 2016.1.3 撮影:1月2日

写真撮影:2025年1月1日 

2023年1月14日 (HN:アブラコウモリH )

 

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