~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

「鶴の機織り」の如き練習も悪くはないが

2006年07月01日 00時37分10秒 | ピアノ
日付変わって昨日のことになってしまったが、
近所のピアノ仲間のお宅にお邪魔させていただいた。
最近こういう大変楽しい時間を過ごす機会が増えている。

今日は久しぶりに「リビングにピアノがある」という状況を経験したのだが、
これはなかなかいいものだった。
というより、本来ピアノというのはこういう場所にあるべきなのだよな・・としみじみ思ったことだった。
家族や友人の誰かが弾く、それを聴く、それに合わせて歌う。
おそらくシューベルトの歌曲などはそうやって生まれたものも少なくないのではなかろうか?
たしかに誰かが繰り返し練習している音というのは、たとえ家族であっても心地よいものばかりではないし、
弾いているほうも一人の方が集中できることもあるだろう。
できれば、それはそれで練習場が確保でき、リビングにも一台あると理想的だ。
ただこれは普通のお宅では、防音上やら経済上の理由で不可能に近い。

まるで録音スタジオのような防音室で練習し、静まり返った会場で弾き、聴く。
それはそれで悪いことではないが、
楽しみの原点としての音楽のあり方は、もっとオープンで、ある意味いい加減なものではなかったか?

コンクールシーズンまっただ中で、親子でピリピリされているお宅も少なくないと思われるのだが、
「楽しみつつ技術も向上」というのは環境上もなかなか厳しい時代になってきているのかもしれない。

そういう面からも、
「自由にコーヒー淹れて、お菓子食べつつ、かわるがわる勝手に弾ける」
大人の隠れ家があれば・・・とちょっと本気で思う。