~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

良い子だったはずだが

2006年07月07日 12時03分37秒 | 家族・友人等
ボケの前兆なのかなんなのか、
ここのところ幼い頃のことをふっと思い出す。
ところがこれが、なんだかしょうもないものばかり。

私に関しては、母親は「いうことをきく子で育てやすかった」というのだが、
記憶をたどる限りこれは母の記憶違いか(爆)、願望と世間向けの発言なのでは・・と疑わしいこと限りない。

つらつら思い出すに・・・

○ 親のそろばんをふたつ履いてスケートごっこをしていた
○ 父の多量の蔵書で階段をつくり、「グリコ・チョコレート・パイナップル」ごっこをしていた
○ 鳩時計のおもりを引っ張って「井戸ごっこ」をし、壊した。
○ ナフタリンを食べてみた(もちろん吐き出したが)
○ ビンどめをコンセントに突っこんで遊んでいた

↑すべて親の見ていないところでやった。

○ 小学1年の時、男子VS女子でケンカをし、男子が傘立てに張ってある女子のネームをクレヨンで塗りつぶしたので、お返しに男子のネームをぐちゃぐちゃに塗りつぶした。
この日は、午後から市教委の視察がある日で、担任は烈火のごとく怒り、
犯人をあげて「すぐ家に帰れ!」と帰した(今ならありえないことだが)。
私は「いくら悪さをしたといえ、授業をきく権利はあるはず」とランドセルをしょったまま、教室のうしろに立ったまま帰らなかった。
○ 小学高学年の時、水泳の授業でもぐっていて男子の海パンをずるっと引っ張った(もちろん後ろから)
○ 小学高学年の時、女の子の机の中にヘビの抜け殻を入れて泣かした
○ 高校の時(まだやるか・・)黒板に寄りかかるクセのある教師がいた。
黒板のチョーク置きに、ラーフル(黒板消し)で<おしろい>よろしくチョークの粉をはたきつけ、寄りかかった時に、べったりズボンに線がつくようにした。

ちょっと思い出しただけでこれだけ出てくるのだが、これだけであるはずがない。
小学校高学年の時は、男子3人女子3人のグループで遊んでいた。
当時新設校と分離したばかりで、空き教室がたくさんあった。
今なら考えられないことだが、空き教室入り放題で、6人でつるんではトランプをやったり怪談ごっこをやったり、ろくでもないことばかりしていたので、
もしかしたら、「思い出してはならないこと」が脳のどこかに封印されているかもしれない(爆)。

これ、子供には読んでほしくないなあ(笑)。