~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

聴いてこそ音

2006年07月04日 23時33分29秒 | ピアノ
毎年、この時期になると思うことなのだが、
コンペに出られる方はみな、それぞれに上手い。
止まったり、ミスったりはたとえあったにしても、おそるべきレベルに持ち込まれている。
ただ、ここからが難しいのだが、「いやあ、ほんとに上手く弾かれた」と思っても、それが良い評価につながっているとは限らない。
「これだからコンクールは嫌だ」と思われるのは自由なのだが、
私の言いたいのはそういうことではなくて、
たとえ指の回りが多少悪くとも、最初の一音で「おっ!」と思わせた方、
自分の中から生まれた音として楽器を鳴らしておられた方は、
聴衆もひきつけるし、審査員からの評価も高い。

いわゆる「音楽性」という言葉で片付けてしまうと
すべてが才能のおかげのようになってしまい凡人は黙するのみ・・になってしまうのだが、
一昨日のコンペで「おっ!」と思わせる音を出されていた方には、やはり姿勢に共通点があった。
自分の出した音をきちんと聴きながら曲を進めておられたのだ。
それは緊張はされていただろうし、ふだんのようにはいかなかったとは思うが、
音がフィードバックされている様子が、こちらにしっかり伝わってきた。
緊張してなおこの姿勢を保たれるというのは、
やはり普段から不用意には音を出されていないのだと思う。
「ああ、間違った。やりなおし」と機械的にただただ弾くことはされていない、と断言してもいい。

私など難しい曲になればなるほど、「機械的練習度」が高まって、フィードバックがおろそかになってしまうのだが、
「技術的なものもすべて<聴く耳>から発しているのだ、それをゆめゆめ忘れてはならない」とあらためて感じた。

理屈以前に、音楽は「聴く」ものであるという当たり前のことに立ち返った。