日本中の90%の小中高校が休業しております。それに伴い問題点が噴出しています。急な話なので、問題だらけは当然。
で、その問題の中に、「子どもたちの食事」が。「学校が休みなので、給食がない。子どもの食事をどうしたらいいの?」という保護者。テレビのコメンテーターの「子どもたちの食事の専門家(そういう専門家がおられたとは!)」は、「学校給食だけがまともな食事という子がたくさんおります。学校がお休みということは、食事がとれないということを意味しているのですよっ!(←だからなんなんだ?何を言おうとしているのかは不明ですが、日頃子どもにまともなものを食べさせていない保護者が少なくないということだけは伝わる)」
朝食を食べさせてもらえない子の話を聴く度、落合恵子さんの、「スプーン一杯の幸せ」を思いだします。
「コロナウイルス関連の食事問題から、わんずまざー保育園のスプーン1杯の副食」を思い出したんじゃないのかって?確かに、確かに。「わんずまざー保育園」の時も、「あっ、落合恵子さんだな」と、思いましたけどね。あのときは、日本中の、60~70歳の人たちは、こぞって「スプーン一杯」を、思い出したのではないでしょうか。それほど落合恵子は凄い影響力を持っていたって事でしょうねえ。
今日の本題に入る前に・・・3年前の話ですが、「わんずまざー保育園」は、ひどかったねぇ!
「定員水増し+ありえない食事」姫路市が認めた正規定員46人とは別に22人を内緒で受け入れていた。その22人については、一人あたり、「月額2万~4万円の利用料を徴収」していた。その丸儲け分は、誰の懐に入ったの?
給食は…約70人の園児に提供しなければならないのに、「30~40人分」しか作らなかった。だから、園児によっては、副食が、「スプーン一杯分ほどのカレー」だった。いくら保育園児でも、「スプーン一杯」は、ないでしょう!これを虐待といわずになんという!
本題に入ります。相変わらず前置きが長い。「おぎゃー」と、生まれた人間は、やがて土に還って行くのですが、乳幼児時代の1番の「欲」は、「食欲」です。なぬ?「愛情を得たいという欲もあるだろう」って?
あ、あのね、そういう面倒なことは言わないでっ!
マズローの欲求の5段階の3番目に、「愛情欲求」がありますが、私は1番目のことを言いたいのです。よってマズローさんも、1番目は、「生理的欲求(早い話が、食欲)」としていますから、ここはクリティカルを、「抑えて、抑えて」。
齢を重ねると、この欲求というモノが片っ端から減退していきます。そして、最後に残る欲求が、子どもに還って「食欲」なのです。それって、自分のことだろうって?は、話しの腰を折らないでっ!
老人の場合、「自己責任で食べるでしょうから、かまわなくていい」。しかし、赤ちゃんから小学校中学年ぐらいまでは、「保護者が責任を持って沢山食べさせましょうよ!」。これ、ホントォ、お願いしますよ。これが本日の結論ですが、私がここでお願いしても、改善されるはずがないことぐらい解ってますけどね。
3歳の子の朝食が、プリッツ1本は少ないでしょう!
小2の子が、昨晩の夕食と、今朝の朝食が抜きってのもおかしいでしょう!2食連続抜きですよ!
小5の子が、チョコレートをひとかけら食べて登校ってのもおかしいでしょう! 朝食代わりにアメ1個もおかしいでしょう!これら、私が聴取した実際の話なのですよ。
保育園の昼食の副食が「スプーン一杯だけの分量のカレー」…言語道断。園児達は、スプーンがすり減るほど舐めていたと思いますよ。
混ぜっ返すようですが、落合恵子さんの作品に、「匙をくわえた天使たち(匙をスプーンと読ませる)」がありました。
なぬ?落合さんはどうして若いうちから、作品のタイトルに「スプーン一杯や匙をくわえた…」を使ったのかって?
推測ですが、有名私大を卒業していますから金銭的には問題ない家庭で育ったようです。しかし、環境面が複雑だったようです。寂しい思いをされたことがあったのではないでしょうか。(落合さんは、帯広畜産大学を志望していました。環境面で色々ありまして、結局、明治大学文学部英文学科に)
…その原風景にあったのが、「スプーン(匙)」だった…。(←推測にもなっていない)
校長先生のお話とか、PTA会長のお話には、決まって、「朝ご飯をしっかり食べましょう」というくだりがあります。その言葉を聴いて「そんなこといわないでよ。我が家では朝ご飯を食べられないんだよぉ」と、悲しむ子がいるのです。
朝食、幼少の子にとって、保護者が用意してくれなきゃ、食べたくても食べられないんですよ・・・!子どもには食事を・・・。
で、その問題の中に、「子どもたちの食事」が。「学校が休みなので、給食がない。子どもの食事をどうしたらいいの?」という保護者。テレビのコメンテーターの「子どもたちの食事の専門家(そういう専門家がおられたとは!)」は、「学校給食だけがまともな食事という子がたくさんおります。学校がお休みということは、食事がとれないということを意味しているのですよっ!(←だからなんなんだ?何を言おうとしているのかは不明ですが、日頃子どもにまともなものを食べさせていない保護者が少なくないということだけは伝わる)」
朝食を食べさせてもらえない子の話を聴く度、落合恵子さんの、「スプーン一杯の幸せ」を思いだします。
「コロナウイルス関連の食事問題から、わんずまざー保育園のスプーン1杯の副食」を思い出したんじゃないのかって?確かに、確かに。「わんずまざー保育園」の時も、「あっ、落合恵子さんだな」と、思いましたけどね。あのときは、日本中の、60~70歳の人たちは、こぞって「スプーン一杯」を、思い出したのではないでしょうか。それほど落合恵子は凄い影響力を持っていたって事でしょうねえ。
今日の本題に入る前に・・・3年前の話ですが、「わんずまざー保育園」は、ひどかったねぇ!
「定員水増し+ありえない食事」姫路市が認めた正規定員46人とは別に22人を内緒で受け入れていた。その22人については、一人あたり、「月額2万~4万円の利用料を徴収」していた。その丸儲け分は、誰の懐に入ったの?
給食は…約70人の園児に提供しなければならないのに、「30~40人分」しか作らなかった。だから、園児によっては、副食が、「スプーン一杯分ほどのカレー」だった。いくら保育園児でも、「スプーン一杯」は、ないでしょう!これを虐待といわずになんという!
本題に入ります。相変わらず前置きが長い。「おぎゃー」と、生まれた人間は、やがて土に還って行くのですが、乳幼児時代の1番の「欲」は、「食欲」です。なぬ?「愛情を得たいという欲もあるだろう」って?
あ、あのね、そういう面倒なことは言わないでっ!
マズローの欲求の5段階の3番目に、「愛情欲求」がありますが、私は1番目のことを言いたいのです。よってマズローさんも、1番目は、「生理的欲求(早い話が、食欲)」としていますから、ここはクリティカルを、「抑えて、抑えて」。
齢を重ねると、この欲求というモノが片っ端から減退していきます。そして、最後に残る欲求が、子どもに還って「食欲」なのです。それって、自分のことだろうって?は、話しの腰を折らないでっ!
老人の場合、「自己責任で食べるでしょうから、かまわなくていい」。しかし、赤ちゃんから小学校中学年ぐらいまでは、「保護者が責任を持って沢山食べさせましょうよ!」。これ、ホントォ、お願いしますよ。これが本日の結論ですが、私がここでお願いしても、改善されるはずがないことぐらい解ってますけどね。
3歳の子の朝食が、プリッツ1本は少ないでしょう!
小2の子が、昨晩の夕食と、今朝の朝食が抜きってのもおかしいでしょう!2食連続抜きですよ!
小5の子が、チョコレートをひとかけら食べて登校ってのもおかしいでしょう! 朝食代わりにアメ1個もおかしいでしょう!これら、私が聴取した実際の話なのですよ。
保育園の昼食の副食が「スプーン一杯だけの分量のカレー」…言語道断。園児達は、スプーンがすり減るほど舐めていたと思いますよ。
混ぜっ返すようですが、落合恵子さんの作品に、「匙をくわえた天使たち(匙をスプーンと読ませる)」がありました。
なぬ?落合さんはどうして若いうちから、作品のタイトルに「スプーン一杯や匙をくわえた…」を使ったのかって?
推測ですが、有名私大を卒業していますから金銭的には問題ない家庭で育ったようです。しかし、環境面が複雑だったようです。寂しい思いをされたことがあったのではないでしょうか。(落合さんは、帯広畜産大学を志望していました。環境面で色々ありまして、結局、明治大学文学部英文学科に)
…その原風景にあったのが、「スプーン(匙)」だった…。(←推測にもなっていない)
校長先生のお話とか、PTA会長のお話には、決まって、「朝ご飯をしっかり食べましょう」というくだりがあります。その言葉を聴いて「そんなこといわないでよ。我が家では朝ご飯を食べられないんだよぉ」と、悲しむ子がいるのです。
朝食、幼少の子にとって、保護者が用意してくれなきゃ、食べたくても食べられないんですよ・・・!子どもには食事を・・・。