アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

全裸の宗派

2020年11月27日 | Weblog
 修業僧は、「一生全裸で暮らす宗派」があるって知ってましたぁ?
 まあ、有名ですから知ってる人は多いでしょうが、その宗派の修業僧と会ったことがある人は少ないんじゃないかな。

 で、自慢ですが、私はその宗派の一糸まとわぬ修業僧に遭遇したことがあります。なぬ?「それがどうした」って?凄いでしょう!ってことで…。その様子を描写しますと…。
 場所は、インド。デリーの街はずれ。70歳ぐらいの男性。痩せこけていました。ほぼ白髪の頭髪は、足下まで伸びていました。推測ですが、生まれてから一度も髪を切ったことがないんじゃないかな。その長い髪を巧妙に体に巻き付け、局部が見えないようにしていました。もちろん裸足。病気なのか、足取りがおぼつかない。

 なんで?どうして裸で生涯を過ごすの?それには、深~い、深~い訳があるのでしょうが、アンティークマン流に解釈しますと…
 一遍上人を彷彿とさせられますね。
 なぜ一遍上人かと言いますと、「すべてを捨てよ」と説いておられます。

 私など、学生時代は一遍上人のお教え「すべてを捨てよ」に従い。どんどん捨てましたね。もともと、「頭は悪い、スタイルは悪い、お金もあるわけではない…」ないないずくし。捨てるものさえあまりなかったのですがね。
 知識も捨てる(これ、勉強しなくても済む)、見栄も捨てる(捨てたくなかったけど)、お金も捨てる(早い話が競馬とかぁ)、教科書も捨てる(教科書はぁ…買った記憶がぁなかったりなどして。ウフ)、学生証は紛失する…。社会人になってからは、一遍上人を捨ててしまいましたがね。

 インドと日本ではありますが、全裸の宗派と一遍上人、求めるものは同じ。 なぬ?「バカなこと考えてるんじゃないよ」って?まあ、このようなことに気づく人って、日本中探しても私ぐらいなものかな?
 何もかも捨てて、「衣服まで捨ててしまった」素晴らしいと思います。ただ一つ捨てないものは「命」。
 一遍上人は、「捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるもすてぬならひありとは」…ですから。何もかも捨てると、その先に本当に大切なものを見つけることができる…。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ですかね。