赤の広場へ行きました。世界文化遺産だから行ったのかって?そ、それなら単なる世界遺産巡りのミーハー観光客でしょうがっ!私は、旅行パンフには関係なく、「行ってみたかったから行ってみた」のであって、世界文化遺産は関係ないです。ロシアの場合、世界遺産の宝庫で、そこら中が世界遺産ですけどね。
赤の広場は、ロシアの首都モスクワの中心にある広場です。スベリ台やブランコがあるのかって?ありません。石畳の、文字通りの広場です。
私は、「赤の広場」は、「共産主義思想=アカ」からの命名と思っておりました。または、処刑場があったところから、「血の色=赤」からの命名かとも…。ところが全く違って、ロシア語で「美しい=赤」なのだそう。還暦には赤いものを身につけるという日本の風習…一脈通じるところがあるような無いような。無いかな…。
赤の広場が整備されたのは、1493年。日本では、戦国時代。水野忠政や山本勘助がオギャアと生まれたころ。
数々の歴史の舞台となってきた赤の広場。
独ソ戦争勝利記念パレードも行われた。よくもまあ、ナチス・ドイツに勝ったものです。もっとも、この勝因についてはウンチクを持っておられる方が多いと思いますので、私見は割愛。
ソ連時代には、毎年、革命記念日(11月7日)に、軍事パレードが行われました。
記憶に新しいところでは、25年前には、西ドイツ(当時)の若者がヘルシンキからセスナ機で飛び立ち、赤の広場に着陸するという事件が起きました。事件がウンヌンよりも、セスナ機が着陸できるほど広いということが分かります。ジェット機の離着陸は…不可能ではないが、あまりお勧めできません。聖ワシリイ大聖堂を壊されちゃあたまりませんから。
赤の広場に立って、小泉さんじゃないが、「感動」しました。まさか、日本の片田舎の貧相な老人が、赤の広場に立つとは!
赤の広場の周囲には、クレムリンの城壁をはじめ、レーニン廟、グム百貨店、北西国立歴史博物館、ロブノエ・メスト(処刑場)などがあります。とりわけ楽しみにしていたのは、「聖ワシリイ大聖堂」。赤の広場の最南端に建つ、ロシアの象徴みたいな建物。中央のネギ坊主屋根を、高さの違う8つのネギ坊主屋根がばらばらに取り巻いている。屋根の下は全て教会だという。屋根の形(構造)や、色彩が皆違う。私が一番好きな屋根は、「ソフトクリーム」のような屋根。屋根をソフトクリームのデザインにする…!素晴らしいです。このような発想が出てきて、実際に造ってしまう。ロシア人って一体…。
赤の広場の北端は、なだらかな坂になっていまして、途中に、「モスクワの中心」があります。直径40センチメートル程の円盤の金属製プレートが埋め込まれてありました。
その中心から50メートルほどのところで、無名戦士の墓の衛兵の交代があるというので人並みに流されて行ってみました。衛兵の交代というと、バッキンガム宮殿が真っ先に思い浮かぶので、一寸は期待しました。し、し、しかし、単なる交代…。ショー的要素は、なーんもない。交代して終わり…。「なんのために小雨の中、午前11時に合わせて並んだのか?カネ返せー!」おっと、見物は無料でした…。衛兵は雨に濡れていたのかって?ちゃっかり、電話ボックスみたいなところに入っておりました。なんなんだ!
ともあれ、赤の広場は素晴らしい。毎日通い続けたい場所ですね。
赤の広場は、ロシアの首都モスクワの中心にある広場です。スベリ台やブランコがあるのかって?ありません。石畳の、文字通りの広場です。
私は、「赤の広場」は、「共産主義思想=アカ」からの命名と思っておりました。または、処刑場があったところから、「血の色=赤」からの命名かとも…。ところが全く違って、ロシア語で「美しい=赤」なのだそう。還暦には赤いものを身につけるという日本の風習…一脈通じるところがあるような無いような。無いかな…。
赤の広場が整備されたのは、1493年。日本では、戦国時代。水野忠政や山本勘助がオギャアと生まれたころ。
数々の歴史の舞台となってきた赤の広場。
独ソ戦争勝利記念パレードも行われた。よくもまあ、ナチス・ドイツに勝ったものです。もっとも、この勝因についてはウンチクを持っておられる方が多いと思いますので、私見は割愛。
ソ連時代には、毎年、革命記念日(11月7日)に、軍事パレードが行われました。
記憶に新しいところでは、25年前には、西ドイツ(当時)の若者がヘルシンキからセスナ機で飛び立ち、赤の広場に着陸するという事件が起きました。事件がウンヌンよりも、セスナ機が着陸できるほど広いということが分かります。ジェット機の離着陸は…不可能ではないが、あまりお勧めできません。聖ワシリイ大聖堂を壊されちゃあたまりませんから。
赤の広場に立って、小泉さんじゃないが、「感動」しました。まさか、日本の片田舎の貧相な老人が、赤の広場に立つとは!
赤の広場の周囲には、クレムリンの城壁をはじめ、レーニン廟、グム百貨店、北西国立歴史博物館、ロブノエ・メスト(処刑場)などがあります。とりわけ楽しみにしていたのは、「聖ワシリイ大聖堂」。赤の広場の最南端に建つ、ロシアの象徴みたいな建物。中央のネギ坊主屋根を、高さの違う8つのネギ坊主屋根がばらばらに取り巻いている。屋根の下は全て教会だという。屋根の形(構造)や、色彩が皆違う。私が一番好きな屋根は、「ソフトクリーム」のような屋根。屋根をソフトクリームのデザインにする…!素晴らしいです。このような発想が出てきて、実際に造ってしまう。ロシア人って一体…。
赤の広場の北端は、なだらかな坂になっていまして、途中に、「モスクワの中心」があります。直径40センチメートル程の円盤の金属製プレートが埋め込まれてありました。
その中心から50メートルほどのところで、無名戦士の墓の衛兵の交代があるというので人並みに流されて行ってみました。衛兵の交代というと、バッキンガム宮殿が真っ先に思い浮かぶので、一寸は期待しました。し、し、しかし、単なる交代…。ショー的要素は、なーんもない。交代して終わり…。「なんのために小雨の中、午前11時に合わせて並んだのか?カネ返せー!」おっと、見物は無料でした…。衛兵は雨に濡れていたのかって?ちゃっかり、電話ボックスみたいなところに入っておりました。なんなんだ!
ともあれ、赤の広場は素晴らしい。毎日通い続けたい場所ですね。