アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

菅さん恥の三部作…「恥知らず」「恥の文化」「恥の上塗り」…

2011年07月10日 | Weblog
 私の得意とするところの一つに、「ルース・ベネディクトの『菊と刀』」があります。「なにぃ?ルーズベルトがそんな本を書いたか?」と、言う人がおりました。確かに(語感は)似ていますが、「ルース・ベネディクト」と「ルーズベルト」は、別人ですので、念のため。

 ベネディクトさん(女性)は、欧米の文化を「罪の文化(guilty culture)」、日本の文化を「恥の文化(shame culture)」と、対比させました。
 「恥の文化」では、正義より名誉が優先され、個人の道徳心は、他者により左右されてしまう…。私は、個人の道徳心については、「問題」ではなく、むしろ「長所」だと思うのですがね。(このことを書き始めると、今日のテーマから外れますので割愛)ともあれ、ベネディクトさんの指摘の支持者であることは今も同じです。
 「恥の文化」を、「恥ずかしい文化」だとか「恥ずべき文化」と捉える人もおられるようですが、違いますので…そこんとこよろしくお願いいたします。

 著名な学者でさえ、「日本文化を恥の文化とするからには、賞賛される恥やその他の多様な現象形態にも適用されうる恥の概念を構成する必要がある。いいかえれば、いっそう基底的な層において、恥をとらえねばなるまい」…だって!
 「菊と刀をよく読めよ!」と言いたいですね。ベネディクトさんは、恥の研究者じゃないのです。文化人類学の学者さん、つまり「文化」を研究した人です。「恥」はあくまで記号であって、「本質」ではないのです。

 久々に、「恥の文化」と言う言葉を聞きましたよ。だれが言ったか?御存知、「菅首相」。どんな風に恥の文化という言葉を使ったか…

 衆院本会議(7月8日)で、「自民、公明両党にも福島第1原発事故の責任の一端がある。(自分に)すべての失政を押し付けて、責任を免れようとすることは、恥の文化に反する行動だ」。
 菅さん、日頃から「菊と刀」を読んでいるのではなく、原発の再稼働をめぐり「ストレステスト(耐性評価)」実施を唐突に打ち出すなどの一連の対応を、自民、公明両党から「恥知らずだ」と批判されたことが、「恥の文化に反する」という発言の引き金。
 ただ、これだって、「責任転嫁」。「恥の上塗り」という言葉も日本にはあります。

 菅さんから、「恥の文化に反する行動」という発言が出たわけですが、「恥の文化」の解釈はこれでいいのか?失礼ながら、ベネディクトさんの、「恥の文化」については全く御理解されておられない。「文化」をくっつけたばかりに、私に批判される結果になってしまいました。