アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

還暦パパ 沖縄美ら海水族館を見る 

2009年01月11日 | Weblog
 ジンベイザメが白眉 

 那覇を出てから2時間。午前10時30分に「美ら海水族館」到着。この時間ですでに大変な車の数だったのですが、駐車場の数も多く何の問題もなく駐車できました。気づいたこととして、駐車している車は大半が「わ」ナンバー。

 入館料は、大人1,800円。コンビニなどで、「園外販売券」を扱っており、なぜか、1,500円程度で買える。私は、レンタカーの事務所で1,500円で買った。券には、「1,800円」と印刷してある。儲けたような後ろめたいような気持ち。不正をしていないことだけは確か。

 沖縄美ら海水族館と、ほかの水族館の違いは何か?
違いその1 ジンベイザメの複数飼育
違いその2 マンタの群れ
違いその3 サンゴの飼育展示
違いその4 巨大アクリルパネルの水槽

 アクリルパネルは、高さが8.2m、幅22.5m。でかいですよ!さらに、厚さが…なんと60cm!

 サンゴの飼育展示。サンゴは、動物ですが、泳ぎませんから。「ああ、きれいだなあ」と、事務的な感想しかありませんでしたが、裏では大変な御苦労をされておられるとのこと。

 エイの飼育は、大きな水槽と、新鮮な海水を絶えず供給する装置がなければ飼育は難しいといわれている。そのエイが・・・数えることは不可能。水槽の隅っこに隠れている小さなエイも、10匹や20匹ではない。通称マンタと呼ばれているオニイトマキエイなど、畳2枚分もあろうか!厚みも凄いので、煮付けにして100人で食べても食べきれないかな? 煮付けでは、肉厚な身のみならず柔らかい軟骨を一緒に食べることができる。美味です。軟骨のコリコリ感も、いかにも「グルコサミン摂ってるぞー!」という感じでいいです。煮汁は冷めると、「煮こごり」に。エイヒレも珍味。鍋にもよし、唐揚げもまたよし。

 ジンベイザメ、これは圧巻でした。3頭までは数えられましたが、まだいたのかいなかったのか…何しろ相手は動いているので…。一番大きなものは、8m。
 水槽の下から、頭上を泳ぐ魚を見ることが出来る場所がありました。「ウオーー!」と歓声が上がったので、駆けつけたら、頭上をジンベイザメが通っているところでした。体調は、8mとのことですが、ものすごく太いので、10m以上にも感じるのです。見物人の、「ウオーー!」も当然です。

 水族館の建物の外に、マナティー館、ウミガメ館、オキちゃん劇場がある。マナティー館、ウミガメ館は、その名の通り、マナティーやウミガメがいる。
 マナティーはどんな格好で寝るか?正解は「仰向け」これがおもしろかったですねえ。オキちゃん劇場は、イルカのショー。イルカのショーはどこの水族館も大同小異。美ら海のイルカの芸でおもしろかったのは・・・エサの魚を1尾与えても口から出してしまう。何度か与えても出す。やむなくバケツごとあげようか?というジェスチャーをすると、イルカは、笑って大きくうなずき、大きな口でペロリ。コントが出来るんです!25年もショーをしているというバンドウイルカが現役で活躍していました。この水族館一番の呼び物かもしれません。

 美ら海水族館は、「海洋博公園」にあります。その他の施設は・・・
1 海洋文化館…南太平洋文化圏の歴史やルーツの紹介。 
2 おきなわ郷土村…17~18世紀の民家を再現した郷土村。
3 エメラルドビーチ…水族館から徒歩10分。3,000人が遊べる広大なビーチ。クラゲ防護ネットあり。ラグーンなので穏やか。環境省の「快水浴百選」に選ばれたこともある。売店・飲食店は、完備。更衣室、トイレ、シャワーは、無料!!沖縄のビーチはどこも素晴らしいと思うが、エメラルドビーチは、マリンレジャー、つまり…バナナボート、チューブトーイング、スノーケリング、ダイビングなどをピシャリと排除しているところがいいと思います。
4 熱帯ドリームセンター…1,700種類の蘭を中心にの花や果樹を集めた植物の楽園。
5 熱帯・亜熱帯年緑化植物園…熱帯・亜熱帯の植物に触れて楽しむ内容。
 海洋博公園は、たっぷり2~3日かけて、見て、笑って、遊んで、勉強して…という公園です。60歳過ぎてもおもしろい。

58号線で美ら海水族館へ

2009年01月10日 | Weblog
スピードもクリントンもプーチンも…

 <るるぶによる沖縄総合ランキング>
1位 沖縄美ら海水族館
2位 ビーチ(スノーケル)
3位 沖縄グルメ
4位 リゾートホテルステイ
5位 首里城
6位 シーサイドドライブ
7位 那覇シテイ散策
8位 古宇利大橋
9位 世界遺産

 第1位が、「沖縄美ら海水族館」。行かなければならない!帰ってから自慢できないから。レンタカーを借りて、美ら海水族館へ向かった。那覇市内から北へ約90kmの距離。お正月なので、少しでも早く着かなければ大混雑に巻きこまれる。急ごう!ということで、那覇出発は午前8時30分。国道58号線をひたすら北上した。

 ほどなく、「沖縄アクターズスクール」を発見。国際通りにあったはずだが、58号沿いへ移転したようだ。「スピード」のメンバーがうろついているかなと、徐行したが見つけることは出来なかった。解散したのかなあ?那覇市につづいて、町並みが途絶えることもなく浦添市へ。

 宜野湾市、嘉手納町へ入る。ありゃ?ここは日本…だよね?一瞬目を疑った。宜野湾、嘉手納の中古車屋は、価格表示が、「$(アメリカドル)」だった!
 宜野湾市は、普天間飛行場、キャンプ・フォスターをもつ基地の町。嘉手納町には、「極東最大の米軍基地」といわれている、「嘉手納基地」がある。価格表示が「$」は、中古車に限ったことではないのでしょうが、先を急いでいたので、そのあたりの調査はしませんでした。

 58号線と並行して330号線が走っている。330号線の宜野湾市内のおよそ4kmの区間に、米軍関係者の利用を見込んだ中古車屋が30数軒並んでいるとのこと。通称「宜野湾中古車街道」なのだそう。アメ車のデカイ奴も売っていそうで興味深い。トランクに羽のついたキャデラックなんかも。戦車は扱っていないでしょうが、放出品の「ハンヴィー」ならずらりと並んでいるんじゃないかなー…。ハンヴィーは、アメリカ軍の軍用車。それを、市販用にしたものが、「ハマー」。沖縄土産に、ハンヴィーを買ったとしても、運転して帰ることは出来なかったと思う。「軍用車でも海の上は走れないから」と、いう低級なオチをつけるんだろうって?残念でした。「ハンヴィーに乗っても、ブレーキにもアクセルにも足が届かないから運転できない」が、オチ。

 そうこうしているうちに、左手に東シナ海が広がってきた。日本を代表するリゾート地、恩納村(おんなそん)へ入った。九州・沖縄サミットのとき、アメリカ合衆国のビル・クリントン前大統領やロシアのプーチン前大統領など、世界の首脳がこの村に泊まりました。
 お正月なので、クリントンやプーチンが遊びに来ているんじゃないかと、注意して通行人を見ましたが…発見することは出来ませんでした。
 それにしてもこの村…ジェンダーの人たちに抗議されないのでしょうか?なぜかって!「おんなそん→女損」ですから。考えすぎ?そうでもないでしょう。出席簿の名前を、男女混交にせよとか、男女はよくない女男だ!という人たちですから…。地名の「女損」は許さないでしょう。 

 沖縄自動車道の北の出口「許田」を過ぎると、名護市に。名護市は、九州・沖縄サミットの時の会場。沖縄本島北部の中心都市。「リゾートで学ぼう」という横断幕を発見!「名桜大学(めいおうだいがく)」が、ここにありました。名護の「名」と、名護がカンヒザクラの名所であるところから「桜」をとって、「名桜」と名付けたのでしょう(推測ですが)。カンヒザクラが咲いたとのニュースがありましたが、名所の名護城址へは寄らなかったので見ることは出来ませんでした。名桜大学は、沖縄県、名護市を中心とする沖縄北部12市町村が経費を拠出して立ち上げた、「公設民営大学」。それなら学費も安いのかなと思ったが、一般私立大学(文系)と何ら変わりなかったです。現在、およそ1,900人が在籍。

 名護市を出るあたりで58号線とお別れし、449号線に乗り換えて本部(もとぶ)町へ。           (長くなりそうなので、続きは明日)

那覇を歩き回る

2009年01月09日 | Weblog
  那覇観光は「ゆいレール」

 元旦といえば初詣。珊瑚礁の上に建てられている、「波上宮」へ行きました。15万人の人出が予想されていましたので、大混雑を覚悟して行ったのですが、それほどの混雑ではありませんでした(午前10時)。
 ゆいレールの美栄橋駅近くのホテルに投宿していたので、波上宮まで1kmたらず、徒歩で行きました。那覇市唯一のビーチ、「波の上ビーチ」の近くの公園には、ホームレスの皆さんが住んでいました。那覇のホームレスって、うらやましいとは言いませんが、いいですよ。暖かいから。暮らしも豊かな様子で、皆さん「自転車」を所有している。猫を飼っている。犬を飼っていて、自慢げに散歩させている方も。健康でなければホームレスは出来ません。私は病弱なので、ホームレスは無理です。だけど…、あこがれの沖縄、新年早々ホームレスの皆様を観察することになるとは…。女性のホームレスが多いのも沖縄の特徴でしょうか。

 沖縄にも「芸能人なのか、目立ちたいのか、マル暴なのか…」の方がおられ…態度がデカイ、声がデカイ…、これ見よがしの振る舞い…。な、な、なんと!着ているものが、「オレンジ色のスーツ」ですよ。生でオレンジ色のスーツを着た人を見たのは、60年の人生で初めてです。

 これまた生まれて初めて、「おみくじ」なるモノを買いました。「大吉!」正直嬉しくもなんともなかったです。もし「凶」であったとしても悲しくないです。おみくじの結果で幸運になったり不幸になったりしませんから。不謹慎だって?ではうかがいますが、おみくじの幸運の順番ですが・・・「大吉」「中吉」「小吉」「吉」「末吉」でいいですか?これが、神社によって違うのです。つまり、神社側も「どってことない」のです。大吉にもランクがあり、一番上が、「第一大吉」としている神社もあります。その神社で年に一本しか入れないクジなのだそう。その第一大吉を引いた友人がおり、かなり自慢していました。しかし、40年が経過しても第一大吉の彼は…至極普通です。人は、おみくじの結果は。「気にしない」とは言っても気になります。神社側へお願いしたいのは、「大吉」のみを入れておいてほしい。そうすれば、みんながハッピー!でも…そうすると、誰も買わなくなる?つまり、買う人は、「凶が出るかも知れないスリルを買う」ということでしょうか?「吉」が出ればホッとして喜び、
「凶」だ出たら、もう一本買う。まあ好きにしてくれ。

 那覇市内を見物して回るのであれば、ゆいレールが大変便利。那覇空港から終点の首里まで、27分。1日乗車券「600円也」は、価値があります。
 私の元旦のゆいレール利用は、「県庁前~首里~おもろまち~安里~牧志」でした。普通にキップを買えば、1,000円を超えています。

 首里駅で降りて、首里城へ行こうとするとタクシー運転手に話しかけられた。
 「首里城へ歩いて行くの?無理だよ。バスで行くって?バスで行っても降りてから歩かなければならんぞ。タクシーで500円だよ。バス賃に少し足せばいいし、歩かなくて済むんだよ」
 親切な運転手さんだ。タクシーに乗り込んだ。運転手さん、メーターを倒さず走り出した。そして、セールス開始。「船底から海中が見えるボートに乗せてあげる。30分ほど走るよ。9,000円でいい」と言う。キッパリ断った。断らなければ、「○○へ案内するよ、15,000円にしてあげる」、「××へ行くなら、おまけして20,000円でいいや」と、エスカレートするという情報を得ていた。さらに、「明日、△時にホテルへ迎えにいくから。1日借り上げで、特別に30,000円にしてあげる」…こうなるという話し、全くその通りだろうと思います。悪気はないんでしょうけど、勧誘が少々強引。レンタカーなら、1,300ccクラスで、一日3,150円です。
 と、いうわけで観光のポイントを縄張りにしているタクシーは、オプショナルツアーの誘いがあります。伸るか反るかの判断は強い意志が大切です。ホテルや駅のタクシーは、いたっておおらかでした。お話を聞くのがとても楽しい人ばかりって感じでした。初乗りも450円と、お手頃価格。

 なお、タクシーの運転手さんに、「歩いていくのは無理」と、言われたのですが、帰りは歩きました。首里城~首里駅まで、人々の生活の様子を見ながら歩いても、15分でした。道も単純。 
 首里城はどうだったか?幸運なことに、琉球王国500年の栄華を誇る琉球王朝時代の元旦の儀式、「朝拝御規式(ちょうはいおきしき)」の再現を観ることが出来ました。琉球王朝の新年を寿(ことほ)ぐ儀式にふさわしく、国王を前に、諸位諸官が数十列に並ぶ、中国風の厳粛で壮大な儀式でした。
 振る舞い酒があったので、喜んだのですが酒は酒でも「甘酒」。ノンアルコールでした。トホホ。「朝拝御規式」が壮大な儀式だったのは分かったが、世界遺産首里城はどうだったのかって?…よかったです。実は、振る舞い酒が「甘酒」だったのが悔しくて、観光客の流れに任せて歩いただけで、よく見学しませんでした。来年の振る舞い酒は、日本酒か、泡盛にしていただきたい。このことを、内閣府沖縄総合事務局へお願いいたします。

 ゆいレール「おもろまち駅」直結で、DFSがある。「免税ではない。ゴメンね」の貼り紙が。…当然でしょう。パスポートなして買える。つまり国内と同じで、そこだけが免税なら、他の店は皆潰れてしまう。免税ではないDFSに、500人収容の、「フードコロシアム」があった。そこで、昼食。何を食べたかって?「タコライス」…8本足のタコは入っていませんでした。

 ゆいレール「安里(あさと)駅」に、「栄町りうぼう」があった。「りうぼう?何だろう?」好奇心が、ゆいレールの一日乗車券を黄門様の印籠のように振りかざして歩き回っているものだから、当然確認したくなる。行ってみたら、スーパーマーケットだった。「りうぼう」は、親会社だった「琉球貿易商事株式会社」から。「琉球貿易を短縮したのなら、『りゅうぼう』だろう」って?それについても説明していただいたが、くどいのでパス。りうぼうの会社では、ファミリーマートも展開。沖縄は、ファミリーマートがやたら多いです。
 栄町りうぼうの並びに、栄町市場がある。ここも残念ながらお正月で荷が入ってこない。したがって、お休み。

ゆいレール「牧志駅」を降りると、国際通りに接続。戦後いち早く復興し、「奇跡の1マイル」と言われた国際通り。歩いているだけで楽しい。国際通りとクロスしている道を一歩入ると、喧噪が嘘のように静かで暗い。そんな中、三越の筋向かいの平和通り商店街は別で、庶民の皆様御用達といった雰囲気の商店街。お正月休みの、第一牧志公設市場も並んでいる。

 波上宮から始まったこの日の観光。歩数計は25,000を上回っていた。

島唄&変なおじさん

2009年01月08日 | Weblog
  悲しみを笑いとばす強さ

 「島唄」…民謡居酒屋の三線のお兄さんに説明されて、ショックを受けました。
 これまでの知識は…
1 THE BOOMの歌の題名。
2 反戦のメッセージもあり、大ヒットしたので、教科書に採用された(音楽、英語、地理)。
 まあこんなもの(知識というほどのものじゃないですね)。ところが、元々「島唄」は、奄美諸島の民謡全体を指す言葉であるという。THE BOOMの島唄のヒットにより、伝統的な「島唄」の影が薄くなってしまった。このことを嘆く人たちもおられるという。そりゃそうでしょう。庇を貸して母屋を取られた格好ですから。

 THE BOOMの島唄の歌詞。「反戦」には違いないのですが、ニライカナイが出てくるので、俗人が三線兄さんの受け売りで解説するようなものではないです。ニライカナイは、「生者の魂の出発点で、死者の魂が帰るところ」。遥か遠い東(辰巳の方角)にあるとされている。沖縄を車で走ると、「なんだこりゃあ!」と驚愕する程立派なお墓を目にする。形は、台湾の墓と同じ。亡くなった人を大切にする。これは、「死者の魂は親族の守護神になる」という信仰からとのこと。ニライカナイは、霊が守護神へと生まれ変わる場所でもあるのだと。

でいごの花が咲き 
風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ
風を呼び嵐が来た 
繰り返す哀しみは 
島わたる波のよう 
 歌詞の意味は、「春に米軍が上陸し、残酷な殺戮が寄せては引く波の様に繰り返された」
 
島唄よ風に乗り  
鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り  
届けておくれ    
私の愛を
 「島唄よ風に乗って、魂と共に海を越えてあの人がいるニライカナイへ私の愛を届けておくれ…」
 
海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を
 「今、あなたを思い、永遠の平和を祈る…」
 酔っぱらって歌うような歌ではなかったのです…。

 「変なおじさん」は、志村けんさんのオリジナルだと思っていました。ところが、民謡居酒屋で「変なおじさん」と同じメロディーで、「ハイサイおじさん 、ハイサイおじさん・・・」と、歌っている?何と、「変なおじさん」の元歌が、「ハイサイおじさん」だとのこと。これで、目からウロコが2枚落ちた。高校野球の甲子園で、沖縄県代表の応援団が、どうして志村けんの「変なおじさん」で、カチャーシーを踊るのか不思議でしたが…大いに納得しました。

「ハイサイ」の意味は、「こんにちは」で、朝でも昼でも夜でも、いつでも使える挨拶の言葉とのこと。ハイサイの女言葉が、「ハイタイ」とのこと。タイ語では、男の「こんにちは」が、「サワディカップ」女言葉が、「サワディカー」沖縄の言葉とタイの言葉、挨拶に男用と女用がある点で似ています。

 「ハイサイおじさん」の歌詞の意味ですが…こどもがおじさんをからかうのです。おじさんは、真面目に切り返す。一例をあげると… 
 (こども) こんにちはおじさん おじさんのハゲは大きいよ台湾ハゲ!(台湾人を小馬鹿にしているわけではなく、台湾の形をしたハゲということ) 
 (おじさん) ハゲは優秀なんだぞ 私の祖先はみな優秀
 (こども) それではボクも整形して あちこちにハゲを作ろう

 ユーモラスと言えないこともないが・・・
 「おじさん」には実在したモデルがいた。おじさんは、沖縄戦の悲惨な体験から心の病になったのだそう。こどもが、そのおじさんをからかっちゃいけません。
 ちょっと待った!高校野球の甲子園で応援団が、どうしてそのような重い内容の、「ハイサイおじさん」で、カチャーシーを踊るんだ!?不謹慎じゃないか!
 「悲しみを笑いとばす強さ」が沖縄の歌にあるということでしょうか。


沖縄料理 アラカン的評価

2009年01月07日 | Weblog
  豆腐ようは絶品
 
 吹雪の新千歳空港。機体に積もった雪を払って、飛行機が動き出した。機長のアナウンスは・・・
 「先に飛ぶ機が滑走路まで出ましたが、吹雪のため視界が悪く駐機場へ引き返しました。当機もその状況が考えられますので御了承下さい」
 やれやれ、2時間待って、さらに駐機場へ引き返さなければならないかも知れない…他の乗客はよく我慢しているものだと感心。さすがに、赤ちゃんは泣いて、母親が途方に暮れていた。父親は、他人のような顔をしている…。
 ともあれ、幸運にも離陸成功。昨日は、このへんからタイフーン作戦へ突入したが、今日は那覇へ行きます。
 飛行機を乗り継ぐ場合…初めに乗った便が遅れた。さて、乗り継ぐ便は待っていてくれるのか?…私の乗っている飛行機は2時間遅れ…。淡い期待を抱いたが、それはなかった。良く考えると、期待を抱く方がおかしい。
 「乗り継ぎ予定のお客様が乗った飛行機が遅れております。当機はその飛行機が到着し、お客様が乗り込み、お客様が預けた荷物を当機へ積み換えてから出発いたします。そのため、出発時間はとっくに過ぎておりますが、あと1時間ほど機内でおくつろぎ下さい」…このようなことは、あるわけない。

 結局、予定より3時間遅れて那覇空港に到着。60歳にしてようやく、日本全国、47都道府県踏破!遅かったなって?実際、22歳までに46都道府県を踏破済みでした。当時、沖縄は、「パスポート」がなければ行けない所でした。昭和44年頃、どうやったらパスポートが取得できるのかも分からず、沖縄行きを断念。社会人になってからは、仕事がおもしろくて休暇などとりたくもなかったので、沖縄行きは延び延びに。退職してやっと行くことができたという訳です。

 那覇空港…何と、飛行機から空港ビルまでの通路の両側には、「蘭、蘭、蘭・・・」。人を迎える空港の心意気が伝わってきました。
 那覇空港。蘭で迎えるのも素晴らしいですが、ロケーションが素晴らしい。空港から県庁まで、ゆいレールで12分。タクシーでも1,170円で行くことが出来る。このように便利な空港、日本国内ナンバーワンでしょう。その他便利な空港は、宮崎、福岡、函館、新潟、富山、鳥取、徳島、松山といったところでしょうか。福島、広島、鹿児島・・・辺鄙なところにありますよー!わざわざ、「島」がつく地名でコーディネイトしたわけではありません。成田はどうなんだって?あそこは別格。三里塚闘争って、大変だったんですから。それなのに、今になって羽田を拡張するそうですが…。だったら初めからそうすればよかっただろうが~!まあ、状況は、時々刻々変化しますから、過去のことをほじくり返して批判することは出来ませんがね。

 この日の夕食は、数か月前から決めていました。第一牧志公設市場の1階で数種類の魚を仕入れる。仕入れた魚を、2階の食堂へ持って行き様々に調理してもらう。オリオンビールと泡盛をガバガバ飲みながら盛大にいただく。一番食べたかったのは、「イラブチャーのさしみ」、ほかに、「グルクンの唐揚げ」、「琉球スギの煮つけ」など。2階の食堂では、一品500円で調理してくれる。さしみ、唐揚げ、煮付けが出来るまで、泡盛を楽しむ…。「お通しです」と、「豆腐よう」を持ってきてくれる。「お、これこれ」などと、知ったかぶって、豆腐ようをチビッとかじる…シナリオは万全だったのですが…。 
 
 そうなのです。吹雪で飛行機が遅れ…国際通りにたどり着いたときには、大晦日の市場は店じまいのあと。計画は泡と消えました。次の日行けばいいじゃないかって?お正月休みに入るので市場再開の時には、すでに私は沖縄にいないのです…。吹雪は、タイフーン作戦のドイツ軍を撤退させるのみならず、還暦パパが楽しみにしていた夕食まで奪ったのです…。

 やむなく、国際通りに面した民謡ライブをしている居酒屋で夕食。沖縄料理の定番を一通り味見。「イラブチャー」は…なかった。吉祥寺の沖縄料理となにか違いがあったか?な~んもない!

 <私の味蕾による 沖縄の味ランキング>
第一位 豆腐よう。島豆腐を麹や泡盛で発酵・熟成させたもの。チーズかなと思う濃厚さ。絶品です。琉球王朝時代には、高貴な人の病後の滋養食だったのだそう。と、言うことは篤姫は食べなかったでしょうが、島津の殿様は食べていた。琉球で亡くなった小松様(帯刀の義兄)も、当然食べたでしょう。
第二位 琉球スギ。旨いですぅ!ほとんどカンパチですね。なお、「琉球マツ」は沖縄の県木。魚ではありません。スギとマツでは大違い。
第三位 島らっきょう。これはいいものです。
第四位 ミミガー。豚の耳。ピーナッツとあえたものが出てきたが、何の問題もない。特別旨いものでもないが、コリコリがたまりません。
第五位 ラフティー。豚の角煮。内地と同じです。「内地はないだろう!沖縄は外地かぁ!」って?沖縄の人が、本州方面を「内地」って言うんですから…。北海道でも年配の人は、本州のことを、「内地」といいます。
第六位 ゴーヤチャンプルー。ゴーヤの量がいい。内地の居酒屋で、ゴーヤチャンプルーを注文しても、ゴーヤは申し訳程度ですから。
第七位 薬草の天ぷら。そのまんまかな。パクチーも天ぷらになっていました。
第八位 モズクの天ぷら。まあ、話しのタネにいいんじゃないかな。
第九位 ソーミンチャンプルー。早い話がソーメンを具材で混ぜ合わせたもの。人気の食べ物らしいですが、理由が分かりません。長崎の「皿うどん」のソーメン版というとピッタリです。
第十位 海ぶどう。インパクトがあるのは見かけだけ。味は正直、「ない」。
 
 ホテルへの帰り道、食堂、居酒屋のメニューをのぞいたが、第一目標の「イラブチャー」は、なかった…。今回の沖縄では、イラブチャーとはめぐり会えないのか…。 

寒冷は歴史を変える

2009年01月06日 | Weblog
   機体の除雪はどのようにするか

 高校野球では、「北国のハンディキャップ」は無くなってしまいましたが、冬の北国、特に交通・航空事情のハンディは厳然と存在します。
 新千歳空港→羽田(乗り換えて)→那覇と飛ぶ予定で、新千歳空港へ。折からの大雪、さらに強風。早い話が猛吹雪。
 滑走路に積雪。飛行機の機体に積雪…。滑走路については、ブルドーザーで除雪して融雪剤を撒けばなんとかなる。では、機体に40cmも積もった雪はどうする?考えられるのは・・・
1 機体の積雪を無視して飛ぶ。雪は吹き飛ばされるので問題なし。
2 機体に登り、ママさんダンプで、雪かきする。(ママさんダンプ→スコップの親玉。大きな、手押しの雪かき。地方によっては、パパさんダンプの通称名も)
3 エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす。
4 機体の温度を高め、融かす。ロードヒーティングの機体バージョンというわけ。
5 飛行機にお湯をかけて、雪を融かす。

 正解は、「エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす」でした。さて、私が乗る予定の飛行機はいつ飛べるか分からないという(この日結果的に、新千歳空港では87の便が除雪が間に合わず運休)。そのため時間があったので、つぶさに飛行機に積もった雪を取り除く作業を見学することが出来たので良かったです。どんな状況下でも、前向きに何かを学ぼうとする態度が素晴らしいです。あっ!2009年、初有森裕子やっちゃった。

 エアコンプレッサーは、空気を圧縮して圧力を高める装置。この装置がクレーン車のようなものの先に取り付けられている。飛行機の屋根の雪を吹き飛ばさなければならないので、地上高10m位。空気の圧縮方法は、ターボ式と見た。動力源はエンジン式で、出力は1,000KW超と思われる。圧力は、30気圧超でしょう。しかし、これがなかなか効率が悪い。1平方メートルの雪を吹き飛ばし終わったら、また次の雪が積もる・・・この繰り返し。運休続出も当然。翼のフラップの辺り、雪が固まっている。フラップ凍結で作動しなければ一大事。見ていなければ心配する必要もないのだが、見始めたからには最後まで見届けなければ…。ようやく機体に積もった雪が無くなった。次に、不凍液のシャワーだ。まんべんなくかける。これで、機体の除雪が終了。

 定刻より2時間遅れで、吹雪の中を離陸!高度を一気に、10,400メートルまで上げる。そこは、別世界が広がっていた。
 羽田も快晴!雪?そんなものなし。新千歳では…1時間前、機体に積もった雪を掻いていたのに…この違い!その瞬間…、脳裏をよぎったのが、タイフーン作戦。温暖な地からいきなり、雪深い酷寒の地へ行ったら…兵隊さんはやる気が無くなります。

 「寒さ」により、日本国が現在と大幅に異なる状況になっていたかも知れなかったのです・・・
 1941年10月。ドイツ軍は、モスクワへの攻略戦「タイフーン作戦」を敢行した。「バルバロッサ作戦(第2段階)」ともいわれているあの戦争。
 ドイツ軍は、自信満々。9月中旬から動き始め破竹の勢いでロシア北東へ進撃していった。10月、天候悪化に伴う地盤の軟弱化がドイツ軍にとって障害となり、装甲部隊の前進および物資の補給も滞り前進が鈍化。
 11月、気温が低下、厳冬に対応した衣類や装備がなかったドイツ軍の攻勢は頓挫。進撃は停止状態に。
 零下20度以下のロシアにおいて、ドイツ軍の戦闘車両や火器は使用不能、飛行機も飛ばせない状態となり、退却。「寒冷の為、本日は爆撃機が動きません。よって、運休…」と、いうわけにいかない。とっとと退却が最善の作戦。そんなとき、同盟軍である日本軍は、どうしていたか?ドイツ軍の10月の攻勢に加担し極東、ソ連へ侵攻すれば局面が変わっていただろうって?どうやってモスクワを攻めますか?出来るような状態ではなかったのです。初めから無理だったのですから。そういう情報はスターリンに伝わっていたと思われます。
 確かに、ロシア は体力があった。しかし、夏場だったらドイツ軍の大勝利だったでしょう。あのヒットラーが、「容易に勝てる」と踏んだ作戦ですよ。そのように言う歴史学者はいないかも知れませんが、1941年10月~11月のロシア軍にとって、「寒さ」以外の追い風など何一つなかった。
 何一つなかったなどと書くと、「コムソモールだった、ゾーヤ・コスモデミーンスカヤがいただろう」と、反論されそうです。ゾーヤ・コスモデミーンスカヤは、パルチザンの英雄と讃えられた女性。ただ、彼女の存在がソ連軍及びコムソモールの士気を高めたかどうか…。話しとしてはおもしろいが、戦争ですから次の瞬間死んでいるかもしれない状況下…一人の女性がドイツ軍に捕まり処刑されたことにより士気が高まるとも思えないのですが。しかし、ロシアは勝利した。
 コムソモールは、共産党の青年組織。洋服のメーカーではありません。「それは、コムサデモード」。

 いやはや、那覇空港到着までの話しのつもりが…飛行機の除雪から、バルバロッサ作戦失敗の最大理由に関する一考察になってしまった・・・はい、最大の理由は、「酷寒」です。
 このように、寒さは歴史を変えるのです。歴史を変えるつまり、人の命を左右する。これは、寒冷地に住む人にとってハンディキャップです。しかし、寒冷の地で、ハンディを乗り越え、智慧をだし、たくましく生きている人々がいる。乗り越えなければ生きていけないから。南北問題も、原因はここにあります。

身を美しく

2009年01月05日 | Weblog
 <日本では、土足はダメなのです>

 那覇空港から、「ゆいレール」に乗ったら…。日本人の父母を挟んで3人の子供。一番上の子は、この4月に小学校入学ぐらいの年頃。靴のまま…座席に上がり、外を見たり親に抱きついたり・・・。「土足はダメヨ」ぐらい子供に教えろよ!そんな目で、向かいのシートに座り、嘆いている私にもちろん気づくはずもない。はしゃぐ子供達に満足げな表情。
 「ゆいレール」が、空(す)いており、他の人に迷惑をかけていないならいいじゃないかという話しではありません。日本の文化において「土足」の意味するものは、あまりのも大きいのです。

 南西沖地震の時、かなりのダメージを受けた児童の家へ校長がお見舞いに行った…行ったのはいいのですが、地震で散乱している家の中へ、土足で入ったのです。入られた親は、怒りましたよ。しかし、当該校長は、「散乱していたし、靴を履いて入らなければ(自分の足が)ケガをするかもと思って…」と、何が悪いのって感じ。「大切にしてきた家を、土足で踏みにじられた」と、悔しがる人の心なんて分からない。土足は、日本人の心を踏みにじる行為なのです。
 親は、子供が小さいうちにそのことを刷り込まなくてはなりません。あと…校長に限らず、靴下が汚れるような家へ入る時でも靴は脱ぎましょう。靴下は洗えばいいが、土足で入られた家の人の心は洗えません。

 <きちんと躾ける母親>

 素晴らしい母親を見ました。母親は日本人。父親は、アメリカ軍兵士。小学校1年生の娘さんと、4歳の娘さんがおられる。2人の娘さんたち、ハーフ特有の美形、金髪で、すらりと細身。
 美ら海水族館の施設内に、「おきなわ郷土村」があり、そこで「ぶくぶく茶体験」が行われていました。
 「ぶくぶく茶」は、沖縄名物。煎り米を煮て米湯をつくり、米湯とさんぴん茶を混ぜて泡を立てる。茶碗に入れたさんぴん茶の上に、泡を載せ細かく砕いたピーナッツを振りかけてできあがり。
 私と家内は、もちろん「ぶくぶく茶体験」に参加。参加料無料で(家内は、無料とか半額とかに異様な反応を示しますもので…)、自作のぶくぶく茶が飲めるから!くだんの母親と、2人の娘さんも参加。父親は不参加で、庭からこっそり様子を見ていた。恐ろしいものでも見るかのように。
 さて、私どもはできあがったぶくぶく茶を座敷へ持ってきて飲んでいた。小1の姉が、先にぶくぶく茶を完成させ、茶椀を持って私の隣へ来て座った。そのとき、彼女はどのように座ったと思いますか?小1の女の子ですよ…。きちんと正座したのです。しかも背筋が、垂直線!真っ直ぐ。美しいです。やがて、妹がぶくぶく茶を完成させ、母親と座敷へやって来ました。妹は、たたみに座ることに戸惑い、くずれた正座をしました。その時、母親が、ピシッと厳しくひとこと言いました。
 「足!」
 4歳の女の子は、はじかれたように、正座しました。

 私としましては、お年玉をいただいたような実に愉快な気持ちになりました。もう絶滅したのかなと思っていたのに、今の日本に、このように子供を躾ける母親がいた!身を美しくするのが躾けです。正座する幼いハーフの姉妹、美しかったです。家内は、思わずその母親へ話しかけ、良く躾けていることをほめました。母親は、「どうしてこの程度のことで、知らないオバサンにほめられなければならないんだ?」と、多少困惑気味。それでも、「日本人だから、アメリカ人だからではなく、お茶をいただくときは正座です」と…主張が小気味いいほどきちっとしていました。

 <躾けられなかった子の完成形>

 沖縄本島の南部、平和祈念公園の近くで、「噂のそばや『偶』」という看板を発見。丘の上への細い道を、辻々に掲げられている黄色地に黒ペンキで手書きした「偶」の看板を頼りに登る。噂のそばや『偶』」に到着。小上がりには、先客がいた。20歳代の女性。制服の胸と、袖に、「××C.C.」と、刺繍があった。ゴルフ場の従業員らしい。彼女へ、そばが運ばれてきた。彼女は食べ始めたのだが・・・あぐら!足が太いので、ゆるいあぐらになり…足を伸ばした状態に近い。実にだらしない。小1の女の子が美しい正座でお茶を飲んでいたのを見たものだから、20歳代の女性があぐらをかいて、そばをすする姿の醜さに衝撃を受けました。誰が悪い?20歳を過ぎているのだから、本人が悪いのですが、幼少時から躾けられていたらこんなことにはならなかったでしょう。親は、躾けをしなければなりません。もっとも、その親が躾けられていなければ我が子の躾などできっこないのですが。

 「親の顔が見たい」と、いう言葉があります。「親の躾けがなってない」という意味。かって親は、そう言われるのは最上級の屈辱だったから、口やかましく、時には愛の鞭もくれて子育てをしたものです。子供は、成長と共にそのような親の気持ちを理解し、「親に恥をかかせないよう」言動を慎しんだものでした。

 今も、口やかましく育てている立派な親もおりますが、もっと増やしていきたいもの。2009年。身が美しい日本再生への序章の年になっていくことを祈念します。