アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

横綱は神様です

2009年01月21日 | Weblog
  大相撲進出をねらう総書記の息子たち?

 大相撲が始まると放送開始時間から、ずっとテレビ観戦。どの関取が、有望なのか、マナーのよいのは誰か、廃業させた方がいいのは朝青龍か…。厳しくチェックしています。メモしながら(←これが異常だってかぁ?)。

 朝青龍が、勝負が決まった後、「だめ押し、だめにらみ」をする。適当な言葉が見つからないので、「だめ押し」としましたが、完全に勝負がついてからの粗暴な振る舞いは、「暴力」と表現したほうがいいかもしれません。全く改善されません。このまま修正できずに、廃業までいくのでしょう。武士たるもの、敗者を辱(はずかし)める行為は絶対してはならないことです。稀勢の里など、土俵を割ってしまって力を抜いた後、朝青龍の左フックを顔面に浴びせられていました。嘉風は、相撲の中で朝青龍を張った(偶然、「張り手」のかたちになった)のですが、頭に来た朝青龍は勝負がついた後も、追いかけて突いた。さらに、ものすごい形相でにらんでいました。しつこいほど長い間。朝青龍自身は、立ち合いでいつも張るのに、相手に張られるとキレル。茶の間桟敷のメモ係じゃなくて御意見番としましては、血圧が上がりっぱなしです。
 嘉風は、 日体大3年の時、アマチュア横綱に。したがって、「幕下15枚目格付出しの資格」を得たが、「きちんと大学を卒業してから大相撲へ」と勉強して見事卒業。幕下付け出し資格が期限切れのため、前相撲(序の口の前)からはじめた。好感が持てる関取です。 
 嘉風へのにらみは…「番付が下の者が上の力士に張り手を見舞うのは失礼とされているのに、横綱に張り手とは生意気だ」と、いうことなのかも知れません。横綱のなんたるかを知らない奴に横綱風を吹かしてもらいたくないです。

 横綱は、「武士」以上なのです。神様ですよ。「またまた極端な?」と、思われるかも知れませんが、事実ですよ。横綱がつけている、「綱」、何ですか?あれは、「注連縄(しめなわ)」ですよ。注連縄は、神域と外界とを隔てるための、紙垂(しで)をつけた縄です。御神体を縄で囲います。その中は、神域。注連縄をつけた存在である横綱は、「神」なのです。

 神は下品なマネをしません。一日でも早くモンゴルへ帰り、馬の世話をされることをお勧めします。

 国民の皆さんが、朝青龍が好きでも嫌いでも、亀田兄弟が好きでも嫌いでも何も問題ありません。それこそ数少ない自由の一つです。
 しかしですねー…浅井信雄が、「(朝青龍の恥ずべき行為について)もっとやれ、もっとやれと思います。もっとやるべきだ」と発言しました(1月18日のサンデーモーニング)。立派なことばかり言っている。頭もいいし、経歴も素晴らしい。そのような人が、マスメディアで無法者を称賛する。個人の好みの問題ではないのです。マスメディアで話すということは、国民へ影響を与えます。以前から物議をかもす発言がある人で、相手にするまでもないのですが、この度は腹が立ちました。サンデーモーニングの品を一人で汚している。番組から下ろすべきです。江戸川の土手で、「朝青龍!もっと乱暴な行為をしろー!仮病つかって巡業をサボッてモンゴルでサッカーしろー!」と叫ぶぶんには何も言いませんがね。
 そして、みのもんた。この男は、「庶民の味方、正義の味方、朝青龍の味方、亀田兄弟の味方」。偽善でも、似非でも、演技でもなんでもいいですから、「正義の味方」を貫いていただきたかったです。情けない。
 九日目が終わったところで、みのもんたが言ってました…
「さすが横綱朝青龍。今場所は全勝優勝だと場所前から言ってたでしょう」と。自分の予言が(その時点で)外れていないことを、鼻の穴を大きく開いて強調していました。 

 予言が外れそうなのは、私の、「金正日後継者レース」です。
 韓国の聯合ニュースが、「金正日総書記が、三男の金正雲氏を後継者に選んだ」と報じました。聯合ニュースも怪しいところがありますが、たぶん確かな筋からの情報でしょう。
 今日のテーマは、「横綱の品格と浅井信雄とみのもんた」じゃなかったのかって?金正日の後継者候補って…関取衆じゃなかったのですか?みなさん100kg超でしょう。大相撲→金正日の後継候補者…繋がります。拉致問題と、核問題が解決されたら、金正日の息子たちが大相撲に押し寄せるんじゃないの?
 金正日総書記の後継者選考レース。出走は、3名。
 長男:正男(37歳)労働党が支持、心臓疾患
 二男:正哲(27歳)軍が支持、女性ホルモン分泌過多症
 三男:正雲(25歳)高血圧、糖尿病
 日本のメディアで偉いなあ思うのは、正男、正哲、正雲について、「個々人についての情報がなく、よく分からない」と報道しているのです。私など、中央日報、朝鮮日報の報道に敏感で、「心臓疾患だ、女性ホルモンだ、糖尿病だ」という情報もそちらから得ている。「ガセネタ」の可能性は否定できませんが、嘘から出たまことというケースも多いです。後継者レース予想は、昨年の9月20日のブログに公開したのですが、意外なほど閲覧者が伸びませんでした。自分では、実におもしろかったのですが…まあ、そんなものですが。渾身の力作ですから、読まれなかった方は、読んでみてください。

 <還暦パパのレース予想 大ざっぱにふり返ると…>
 三者一斉に飛び出した。まず先頭に立ったのは正男。背肉がついている様子。手には米ドルがぎっしり詰まったトランクを持っている。
 ・・・な、なんと田中真紀子が応援に駆けつけている!なぜ?
 ・・・おっと、正男のスピードが落ち始めた。心臓をおさえている。祖父の金日成主席の隔世遺伝か。
 ・・・第三コーナーを回ったところで、中国の胡錦濤国家主席が訪朝した際、金総書記が「後継者」として紹介した、正哲が出てきた。
 ・・・ここまでの順位を確認しますと、1位正哲、2位正男、3位正雲。
 ・・・おっと、正男が落ちてきまして、正雲に並びました。併走しております。おっと、この二人が速いわけでもないのに、正哲が落ちてきた。覚醒剤が切れてきたか!三人が並んだ。
 ・・・おおっと、ゴール前の直線に入った。正男逃げ切るか!大外から正雲が来た。正哲も粘っている、胸の差勝負なら正哲だ。そこへ青森県北津軽郡板柳町出身、「高見盛」と同郷の福士加代子が…来て…ない。
 ・・・ゴール!正男か正哲か?これは写真判定です。

 独裁者の世襲はよくないです。政治家の世襲も。あ~!世襲の話しを続けると、小泉純一郎から渡辺喜美まで行って…長くなるので今日はやめとこ。

ブルドックの認定基準変更

2009年01月20日 | Weblog
  スリムになるブルドッグ

 世の中、自由・平等など無に等しい。数少ない平等の一つに、「老いること」があります。たまに鏡を見て、びっくりします。たるんでます・・・目の周囲、ほっぺた。正面を向いているときは、そんなもんかなと思いますが、下を向くと、地球の引力で、顔の肉類が垂れ下がります。ひどいものです。でも安心。誰にでも平等におとずれるものですから。死なばもろともということで。
 たるんだほおの肉。まるでブルドックだなあ…。そのおもみに耐えられず、口の両端が下がり、「への字口」になっている。

 ブルドック…ブルは雄牛。ドックは犬。雄牛と戦わせた犬を「ブルドック」と名づけた。雄牛と犬の交配種ではなかった(心配しないでください。ボケのつもりですから)一般的に闘牛は牛と人だが、牛と犬の闘牛もあった(13~19世紀の半ば近くまで)。「ブルベイティング」と呼ばれた競技で、つないだ雄牛に、数頭の犬をけしかけ倒させるもの(牛の鼻っ面にかみつく)。最初に牛を倒した犬の持ち主が高額賞金を受け取った。

 そうなると、「牛の鼻に食らいついて離さない。しかもふりほどこうとする牛に振り回されても耐えられる。気性もどう猛なのが望ましい」そういう犬が求められ、品種改良が重ねられた。

○ 牛に噛みついた時に、楽に呼吸ができるように、鼻つぶれていて、鼻の穴が上を向くようにした。スノーケルの原理ですねコレ!
○ 噛みつく力を強くするために、下アゴを発達させた。
○ 牛の角に掬い上げられないように、短足にして体高を低くした。
○ 牛の角によるダメージを小さくするために皮膚をたるませた。
○ 耳が大きいと邪魔なので、切った。
○ 牛に振り回された時の遠心力を小さくするため、首を短くして、重心を前にした。
○ 重い方が有利なので、大きくした(60kg前後にまで)。

 ブルドッグは「勇気」「不屈」「忍耐」の象徴として、「イギリスの国犬」となっています。イギリス人のことを、「ジョン・ブル」というのも、ブルドックからきていると思います(記述したものを見ていないので、推測です)。また、ブルドックは、イギリス海軍のマスコットにもなっています。
 イギリス海軍だけでなく、アメリカ海兵隊のマスコットもブルドック。「しぶとく食らいつく」ということだそう。
 アメリカ海兵隊のTシャツ・・・
 前面の絵は、斜に構えて、歯をむき出してにらむブルドック
 背面の絵は、そのブルドックを後ろから見たもの。ほとんど尻だけ。おもしろいですよ!私が持っているものは黒地で、ブルドックの絵はグレイ。「UNITED STATES」「MARINE CORPS」と書かれた文字は、白。ただ、背面の文字は、前面の文字を裏から見たように書かれています。たかがTシャツにも、ユーモアを忘れない…感心します!

世界中のマニアに愛好されているブルドックですが、このたびイギリスで、「ブルドッグの認定基準を変更」することを決定しました。認定基準があったとは、さすが、「イギリク国犬」。犬の闘技が非合法となって、150年以上も経過していますから、牛を倒す機能は不要になっています。人間の都合で、今の品種にされ、また新基準に変えられる。ブルドックは、数奇な運命をたどっています。

 新基準は・・・
○ ほおのたるみは、目や鼻に悪影響を及ぼさないようにしなければならない。
○ 現状より足がやや長く、少し細い体形が望ましい。

 この新基準、私への新基準かと思いました。
○ ほおのたるみ…口をへの字にしてしまうし、顔全体が下へ引っ張られています。まぶたも筋力が弱くなり、垂れ下がってきており、目に影響が出てきています。
○ 足を長く…努力します(努力で長くなるか!)。細い体形…何とか頑張ります。
 そうです。私がブルドックです。旧基準の…。

那覇市松山 アンマーの食堂

2009年01月19日 | Weblog
  「食」のありかたを追究する?

 宿が那覇市松山。あとで知ったのですが、沖縄随一の歓楽街なのだそうで…。どーりで、黒い服装の客引きのお兄さんたちが多かった。「どうしてこんなに多いのー!」という程溢れていた。あとで、読んだのですが、「松山界隈、立ち入りに関しては要注意!」…。ホテルが松山でしたから、どうしても立ち入らなければならなかったんですよ。

 で…、こちらは、松山もヘチマも何も知らない。知らなくて幸いのこともあるもので…。旅行ガイドブックに出ていた食堂。タクシーの運転手も、「食事?沖縄の味?三笠だね」。
 「松山にある24時間営業の食堂 三笠」…マジすか?食堂が24時間営業。その意味が分からない。コンビニでさえも、営業時間短縮という時代に、食堂が?そういう食堂、店員さんはいつ休むの?調理人は?調理人が一人なら、死ぬまで休みなし…ですね。
 ガイドブックには、「芸能人も訪れる」とも書いてあった。行ってみることにしました。芸能界を離れて時間が経っているので、サインを求められることもないでしょうし…宮内庁に勤務していたんじゃなかったのかって?どうでもいい部分は、出任せですから。そのうち、「アメリカ大統領を辞めて、早くも1年」などという記述もあるかな。

 三笠食堂、オープンキッチンで、カウンター席とテーブル席合わせて40人ほど収容できる。どうして、人気があるのか?入った段階では不明。

 ウエートレスさんが、メニューを持ってきてくれた。…ウエートレスさんは、アンマー(沖縄のことばで、庶民の「おかぁ」のこと)だった…50歳ぐらい、小柄。立ち回りのような大活躍。何しろ、ウエートレスがたった一人。客は40人。なりふりを構っている暇などない。元気で、記憶力がいい。体さばきにキレがある。これがアンマーか!これが人気の秘密か?

 厨房は…?ありゃ?アンマーの集団!忙しく立ち回る調理人は、男性が1人、女性が4~5人。ウエートレスが1人なのに、調理人は多い。これだ!24時間営業が出来る「シフト」の正体は、「パートのアンマーの交替制」。それにしても、女性がほとんどの職場、派閥あるだろうなあ?野菜の切り方一つでも、「確執」があるでしょう。それでも、何十年も続いている。これが人気の秘密か?

 まずは、オリエントビールを注文。
 「ビンですよー」(生ビールは置いていないという)
 おかげでオリエントのビンビールを飲むことが出来ました。中ビンなので30秒で飲み干し、泡盛を注文。
 「泡盛は置いてないんよー」
 なぜ泡盛を置いていないか?忙しそうなので追及しなかった。

 注文した「ゴーヤチャンプルー」と「焼き肉と島豆腐」が運ばれてきた。
 ドヒヤー!!なんなんだこれ!大皿に盛られたゴーヤがこぼれそう、御飯も大皿に山盛り。茶碗にして4杯分ある。ネギとワカメの味噌汁も付いている。タクアンも3きれ付いている。焼き肉と島豆腐も山盛り。「ソバ」を除く全てが定食で、御飯と味噌汁が付いてくる。アンマーの、「家庭の味」です。これが人気の秘密か?

 とにかく量が多い。「よく食うおばさん」を自称する家内ですら、その量に呆然。味も、「アンマーが作ったな」ということが分かる味。家庭の味がうかがえる。2本目のビールもすぐになくなった。

 お会計…。定食2つに、ビール2本。ハウマッチ?
 「2,100円です」
 まさか?民謡居酒屋なら、満腹にならないのに、10,000円札を出さなければならない…。三笠は、定食が、550円。550円より高いメニューはないんじゃなかったかな。味は、沖縄の家庭の味。量が多く、完食は困難。これが人気の秘密か?

 24時間営業の食堂…。時間帯で変わる代わる客の層。
 朝は、場所が松山だけに、深夜の勤務が明けた客引きや、水商売の人、出勤前の会社員でにぎわうという。夜の仕事で疲れ、注文して寝てしまう客も…、ウエートレスのアンマーが、「寝るのか食うのか?ここは、ネットカフェじゃないぞー」と叩き起こす…よく分かります。
 昼時は、タクシーの運転手さん御用達。
 夕刻は地元の人と観光客でごった返す。私が入ったときは、中学生のグループも。550円で満腹なら、中学生にも人気があるのは当然。お正月が明けたら、部活動帰りの中高生で満員状態になるのだろうなあと思いました。

 人気の秘密は、「食」のあり方を追究しているということでしょう。「価格と量と味」ですね。「なぜ、味を三番目にするんだー!」と、厨房からアンマーたちに怒鳴られそうです。

おいしくておもしろい沖縄 

2009年01月18日 | Weblog
 ムーチー、月桃、シラサギの天ぷら?

 還暦にして初めて旅した沖縄。機体に積もった雪を取り除き、滑走路の除雪をしてようやく飛び立ち、温暖な沖縄へ着いた…気候も、自然も、文化も随分違い、好奇心の塊という性癖(?)もあって全てが印象深かった。

 旧暦の12月8日(今年は、新暦の1月3日)が、「ムーチーの日」でした。そのため、スーパーではムーチーが売られ(通年にわたりあつかっているとのこと)、1月3日は、山積みになっていました。
 
 ムーチーは漢字で書くと「鬼餅」。餅にまつわる鬼退治の伝説があり、「鬼餅」と書かれるようになった。伝説も聴取きましたが、なにやら…よく理解できませんでした。鬼退治のため、鉄の餅を作ったとか、餅に釘を入れたとか…伝説ってそんなものです。

 ムーチーは、練ったもち米粉を平たくのばして、月桃(げっとう、別の呼称はサンニン)の葉に包んで蒸したもの。厄払いにかまどや仏壇などに供え、家族の健康を祈願する。初めて「ムーチーの日」を迎える赤ちゃんがいる家庭では、「初鬼餅(ハチムーチー、訛ったのでも変換の間違いでもありません。ハツムーチーではなく、確かにハチムーチーと言ってました)」といって、親戚、隣近所に配る風習がある。そのため、売り場には、ムーチーが山積みされていたのです。一人、50個だ、100個だと、買っていくのですから。いかに重要な風習に位置づけられているかが推測できます。

 ムーチーは、柔らかくて手にベトベト付きます。しかし、餅に目がない私は、手も顔もムーチーまみれになっていただきました。おいしかったですよー。ういろうには「シロ、クロ、抹茶、あずき、コーヒー、ユズ、サクラ」があります。詳しいでしょう。名古屋には、「青柳ういろう」の歌があるので覚えやすいのです。ムーチーにも、「黒糖、トゥナチン(とうきび)、紅芋」などがあります。そのうちに、ういろう並の品揃えになるかも。
 月桃の葉が使われていますが、この月桃、音から、ナチス・ドイツが設けたユダヤ人強制収容所、「ゲットー」を連想しますが、全く違う。
 「花がきれい 葉の香りがすこぶるよい 除虫効果がある」沖縄県の至る所に植えてありました。個人宅の庭先に、普通に見られました。

 沖縄の言葉もなかなかおもしろい
 桃色のことを「ピンクい」と、ピンクに「い」を付けて形容詞にして使っていました。
「正座」のことを「ひざまづく」と言ってました。「ひざまづく」は、漢字にすると、「跪く」。私は、教会でお祈りするポーズがひざまづくかなと。合気道では、「跪坐(きざ)」という座り方があります。「つま先を立た正座」が跪坐。沖縄の「跪く」は、合気道からの流れかも知れません。また、珍説を考案してしまいました。
 旅行中、傘をさすほどではありませんでしたが、若干雨が降りました。沖縄では、「傘をかぶる」が一般的のようでした。「傘をさすと痛いだろう!」ってことではないのでしょうけど。北海道も、傘はかぶりますし、布団もかぶります。「傘をかぶる」沖縄と北海道で共通するところが興味深いです。

 言葉の問題ではありませんが、タクシーの運転手さんとの会話…
「北海道へ行ったサー。シラサギの天ぷら、旨かったサー」
「シ、シラサギですか?」
「そうだよ、湖で釣ってねー」
「そ、それもしかして、ワカサギでは?」
「そうだったかもしれんなー」

地球上から排除すべきもの

2009年01月17日 | Weblog
  戦争は絶対ダメ 

 あまりにも重いので、できれば素通りしたかった。しかし、日本人として、沖縄旅行で避けて通れないのが、「ひめゆりの塔」。「塔」というからには、英語で言うと「タワー」さぞ、立派な慰霊碑かと思いきや…高さ、50cm程の小さなものでした。沖縄戦跡国定公園内、平和祈念公園のお隣にあります。
 「ひめゆり学徒隊」を慰霊したもの…ひめゆり学徒隊とは…

 「ひめゆり」…てっきりユリ科の多年生草本かと思っていた。違いました。60過ぎてもこのようなことすら知らない。恥ずかしいことです。
「ひめゆり学徒隊」のひめゆりは、沖縄県立第一高等女学校の校誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌「白百合」をあわせた造語ということでした。
 1945年3月下旬・・・「ひめゆり学徒隊」240名(生徒222名、教職員18名)は、南風原の沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。
 4月下旬・・・山の形が変わったと形容される程の激しい砲撃を受けた。
 5月下旬・・・南風原の病院を放棄、生存者は南部へ撤退。地下壕に潜んだ。
 6月18日・・学徒隊解散命令。解散と命令されても、地下壕から出ることは死を意味(実際、この後に亡くなった人が大多数)。
 6月19日・・第三外科壕という壕が攻撃された。壕にいた96名のうち、91名が死亡。ひめゆりの塔は、この第三外科壕があったところに建てられている。
 
 ひめゆり平和祈念資料館には、犠牲者の遺影や遺品が展示されています。また、第三外科壕が実物大で再現されていました。フィルム上映もありました。その中に、第三外科壕から生き延びた人の証言もありました。
 「どうして生きていたのか分からない」と。
 
 ひめゆり学徒隊が現在その名を知られていますが、ほかにも学徒隊があり、それぞれの所属校にちなんだ名称がついていました。
 「ずいせん学徒隊」「しらうめ学徒隊」「せきとく学徒隊」「でいご学徒隊」…たくさんの女学生が従軍看護部隊として組織されておりました。その運命は、ひめゆり学徒隊と同様。それぞれに、慰霊碑が建てられています。

 東京のある小学校は、6年生の修学旅行で、「ずいせん学徒隊(県立首里高等女学校)」が辿った道を、子供たちに追体験させている(20年以上継続というから、半端な気持ちで実施しているものではないことが分かります)。
 コースは、今は地元の人も知らないといわれている、ナゲーラ壕、そして識名壕、最後に米須壕…壕は、洞窟が迷路のように広がっている。鍾乳洞ですから(沖縄の人は、ガマと呼ぶ)。そして、多くの遺骨が、まだ収集されずに残っている。壕の中で修学旅行の子供達は、「1分間の闇体験」もする。
 同校では、エイサーの練習もさせている。写真で見るかぎり、大太鼓を11も持っている。衣装も、幟も立派。おそらく、依頼があれば出張演奏もしているでしょう。エイサーは、先祖供養の踊りです。
 お仕着せに、田植えだけして「稲作体験しています」などと言い出す学校がある中で、自分の足で沖縄を歩き、戦争の悲惨さを学び、エイサーで「ニライカナイ」におられる人々を供養する。この流れで、「戦争反対の教育」をする。筋が通った教育をしていると思います。

 イスラエルの外務大臣が、「終わりなき戦い」と、言っていました。自分たちも分かっているのです。終わりがないことを。今、現在も…イスラエル、ガザ゛地区には、「どうして生きていたのか分からない」という人たちが、たくさんいる…。
 日本政府も、政権争いをしていないで、「戦争止めろ」と介入してほしい。 麻生さんでも、小沢さんでも、石破さんでも、田母神さんでもいいから、「イスラエルも止めろ、ハマスも止めろ。遠いアジアの国だが、戦争で学徒の命を散らしてしまった国としてお願いする」と。現実は、政権を守りたい党と、政権がほしい党の争い。双方二言目には「国民のため」。

 平和祈念資料館でのフィルム上映のあと、最期まで席を立たなかった沖縄の人と見られる75歳ぐらいの男性が、怖い形相で憎々しげに吐き捨てました…
 「憲法9条…」 

戦没者へ手向ける花

2009年01月16日 | Weblog
  平和祈念公園にて

 おきなわワールドの…ハブ博物公園の、「わくわくドッキリショー」現在は、ヘビとマングースの戦いはやらせない。なぜかって?毎日、6回のショーですよ。戦わせると、ハブかマングースのどちらかが命を落とす。一日に「貴重な生物の、6っつの命を失う」こんなことをしていたのでは、営業としては厳しいですからね。

 おきなわワールド内に、玉泉洞があります。日本一の鍾乳石数を誇る天然記念物の「玉泉洞」。洞窟の全長は、4.5km。そのうち、890mが観光遊歩道として整備され、公開されています。
 日本の洞窟で最長は、「安家洞(岩手県岩泉町)」で、23.7km 。長いというか深いというか!よく計測したものです。玉泉洞の4.5kmは、日本第7位。沖縄県では、14位に、石垣島鍾乳洞( 沖縄県石垣市)がある。ここが3.2km。珊瑚礁からできた石灰岩が水に侵食されて空洞化したもの。金武町にも、泡盛を保存する鍾乳洞がある。沖縄は、珊瑚礁台地に取り囲まれた格好になっているので、鍾乳洞も多いのです。

 おきなわワールドからほどなく「平和祈念公園」があります。沖縄は日本で唯一、地上戦になった地。その最終戦が行われた場所に造られた県営の公園です。沖縄戦跡国定公園の中心です。こちらは案内看板等の表示がしっかりしておりました。迷わず行けます。広いですよー!5,000ヘクタールあるのだそう。

 入り口で、花を売る70歳過ぎと思われる女性が2人。「花を戦没者へ手向けませんか」と、いうこと。

 この花売りの女性を見て脳裏をよぎったのは、「バンザイクリフ」でした。
 アメリカの自治領北マリアナ諸島のサイパン島にある断崖。北マリアナ諸島の首都は、「ススペ (Susupe) 」。それがどうしたって?日本の一部地方の言葉で、「ススペ」は、人を罵る言葉なのです。
 ボボ・ブラジルというプロレスラーがおりました。彼は、日本のある地方の興行で名前を変えなければなりませんでした。その地方で、「ボボ」は、口に出すべきではない言葉だったのです。
 ススペとボボ、意味は違います。俚言ウオッチャーの私としましては、「首都はススペ」これ、めっぽうおもしろいのです。

 バンザイクリフで何が起こったか。太平洋戦争中、サイパン島の日本軍がアメリカ軍に追い詰められた。日本兵や民間人が、投降勧告に応じず、80m下の海に身を投じて自決した。多くの自決者が「バンザーイ」と叫び両腕を上げて身投げしたところから「バンザイクリフ」の呼び名がある。自決者の数は1万人。サイパン戦の犠牲者は、日本兵・在留日本人あわせて、55,000人以上といわれています。

 そのサイパン島の住人が…
 「日本人観光客は、大勢来る。しかし、バンザイクリフに花束を手向ける人はいない。日本人は、どういう気持ちでバンザイクリフへ来るのだろう?」
 …サイパンへ行ったら、花屋で花を調達しなければならないなあと思いました。自分で花屋をさがして購入し、それを携えてバンザイクリフ観光へ行く…。

 話しを戻します。平和祈念公園入り口では、花を買う気にはなりませんでした。戦没者へ花を手向けるという行為は、個人の内面から出てくるものであって、「さあ、花を捧げさないよ!」と言われて、買って捧げるものではないのではないか?
 花売りは商売だから何も悪くない。たくさん売れるといいなあと思います。 手向ける側としては、「お金」で済ませたのでは、形だけであって供養になどならないのではないかと思うのです。それこそ、内心の自由ですがね。

「平和の礎(へいわのいしじ:沖縄戦の全犠牲者24万人余の氏名を刻んだ記念碑)」へ向かった。広大な芝のフィールドを横断する格好で平和の礎へ。フィールドでは、凧あげをしたり、キャッチボールをしたり、家族連れが十組ほど遊んでいました。平和でした。

 公園がある摩文仁(まぶに)地区は、日本軍の組織的抵抗の終焉地。逃げ惑う住民が切り立った断崖に追いつめられた場所でもある。バンザイクリフに酷似しています…。
 断崖からは、太平洋が見渡せました。「ここから多くの人々が身を投げたのか…」。
 沖縄総合ランキングのベストテンには、平和祈念公園は入っていません。そのことに不満も、異議もありません。ただ、沖縄を訪れる場合、「地上戦が行われた日本の国土」「24万人が犠牲になっている」「投降せずに命を絶った人たち」…花を手向けるか否かはともかく、「戦争反対の意思を再確認する」ことを忘れてはならないかと…。

ハブかどうかの見分け方?!

2009年01月15日 | Weblog
   沖縄本島南部を走る

 沖縄本島南部、フロリダ半島と似た形のつけににある勝連城址を見て、一気に世界遺産「斎場御嶽(せいふぁうたき)」へ。この日は、午前中に世界遺産3か所踏破。ただの還暦オヤジじゃないですね。大変な行動力…自分で言うなってかぁ。本島南部南城市の最西端、斎場御嶽をカーナビに設定したところ…近くの山へ案内された。「G」つまり、カーナビが示すゴールは、谷の底…。どうしてこのようなことが起こったのか?ウオーキング中のおじいさんを見つけて尋ねて、結果的に斎場御嶽へ着くことが出来ました。しかし、「狐につままれた」みたいでした。つままれたことがあるのかって?今までは、なかったんですけど・・・。昼間でも薄暗い所でした。私は、霊感ゼロ…それでも、少々怖かったです。琉球王国の時代は男子禁制で、国王でも特別の入り口から入ったそう…。琉球の神話にも出てくる、斎場御嶽。…途中に、第二次世界大戦のとき米軍の砲弾が落ちた場所があり、水が溜まって沼のようになっていまして…そちらのほうがインパクトあったかな。観光客もまばら…。怪しかったです…。

 とりあえず、何事もなく斎場御嶽を脱出。「おきなわワールド」へ向かった。
 この、おきなわワールド…車で、西側(斎場御嶽の方から)から来る人にとって実に不親切。なぜなら、案内表示が、無い…!関係者諸氏!これは改善した方がいいですよ!「噂のソバ屋『偶』」でさえ、手書きの案内表示を数十カ所に掲示しているんですから。さんざん迷った末に「おきなわワールど」に到着。ここは、時間に追われている人は、行く所ではないです。朝から晩まで居ても飽きない。一日がかりで訪れるべきテーマパークです。面積が・・・一生懸命歩けば2時間もあれば踏破出来るのでしょうが…それほど広い。
 藍染工房だけで真面目にやれば、2時間。陶器工房も全コースに首を突っ込めば(そんな人はおらんでしょうが)、2時間半。琉球ガラス工房は、5分かな。機織り工房もあり、これもまともにやる気なら、20分は見なければならない。工房関係は有料ですが、「エイサー見物」は無料。ここのエイサーは、見たほうがいいです。背筋に寒いモノが走ります。それほど響くモノがあります。あにしろ、「スーパーエイサー」なのだそうで。

 沖縄といえばハブ。おきなわワールド内のハブ博物公園では、「わくわくドッキリショー」をやっています。ハブのショーです。しかし、「ハブとマングース」は、戦わせないんです・・・
 40年も前に読んだ本ですが・・・
 「沖縄を歩くと、手や足を切断している人と出会うことが少なからずある。ハブに咬まれ、病院へ行くまでが遠いので、毒が回らないようにやむをえず自分のナタで切断した・・・」。どこの、どの本だ!と、今さら追及されても答えられないが、さらにその本では、「先に見つけることが原則。気づかなければやられる」とも。また、1970年代後半頃に沖縄旅行をしてきた友人が、宿をとらず那覇の公園(波上宮の公園じゃないかな。ハブが好みそうな岩山があるんです)で寝ていたら、通行人に、「ここでハブに咬まれた人がいるんだぞ!」と教えられた(脅かされた?)という。当時は、年間500人以上がハブの被害を受けていた。昨年の11月現在、年間のハブ被害者は、約100人。沖縄ならではの注意報としまして、「ハブ咬症注意報」(5~6月)があるんです。10、11月は、「ハブ咬症防止運動月間」ですから!年間100人としても、3~4日に1人は、ハブに咬まれているということですよ。アホヅラ(阿呆面)して、国際通りを歩いている場合じゃなかったのです。

 笑えるのは…、沖縄県衛生環境研究所の注意に・・・
○ ヘビに咬まれたら、あわてずに、ハブかどうかを確かめます。ハブなら牙のあとが普通2本、1本あるいは3、4本の時もあり、数分で腫れてきてすごく痛みます。
・・・・この注意、凄いですよ!あわてずにハブかクソヘビか確かめられる人って何人いますかね?その次がまた…ハブなら「牙の跡が、1or2or3or4本だぁ!」…これって、ひどいですよ。どれかにしてくださいよ!「すごく痛みます」って言われても…、何とかしてくださいよ!
○ ハブだとわかったら、大声で助けをよびます。
 ・・・・私のように、どこへでも行く人はどーする。近くに人などいませんから!
○ 走ると毒の回りが早くなるので、車で病院に運んでもらうか、ゆっくり歩いて行くようにしましょう。
 ・・・・あのね!そんなに都合よく車が来るか?!ゆっくり歩いてどこへ行けっていうの!
○ 傷口から血と一緒に毒を吸い出します。専用の吸引器がありますが、ない場合は口で吸い出してください。
 ・・・・あのね!沖縄の皆さんは吸引器を持ち歩いているのかいな!国際通りを歩いている人の何人が、ハブの毒の吸引器を持ち歩いてんのやぁ~!

 いやはや、県衛生環境研究所さん!お願いしますよ。何とかしてくださいよ…。
 さらに…県衛生環境研究所なのか、県福祉保健部かどちらかの情報なのですが…
 「ヘビの特徴を覚えましょう」と題して…
○ ハブの頭は、細かいウロコ、ほかのヘビは大きなウロコ。
 ・・・・あのね、細かいか、大きいか?どうやって区別するのさ?ノギスを持ち歩いている人などいませんよ。
○ 背中のウロコの数、ハブは20列以上あります。
 ・・・・あのね、どこのどいつが、「あっ!ヘビだ!ハブかどうかウロコを数えよう!1,2,3…」と、数えますか!ふざけるな~!でも、おもしろいのでいいです。「潔く咬まれなさい」という教えですね。

ペリーも驚いた城

2009年01月14日 | Weblog
  すばらしきかな14世紀の技術

 那覇から本部町の沖縄美ら海水族館までは行ってきた。つまり北半分は踏破した。残りは、南半分。車を駆って出かけた。太平洋岸の金武町(きんちょう)までは行っているので、うるま市以南を攻めることにしました。
 那覇から、マイロードであるところの58号線を北上。沖縄アクターズスクールを通る。この日も、ヒロもエリもタカコもヒトエも、見かけることは出来ませんでした。

 宜野湾市から中城(なかぐすく)村へ。すでに太平洋側。ここにあるのが、世界遺産「中城城址(なかぐすくじょうし)」。14世紀に築かれた城です。
 本土(?)においては、 後醍醐天皇、三種の神器、足利尊氏、新田義貞らが活動し、鎌倉幕府が滅亡した頃です。
 城壁は「相方積み」という技法(相方積みは、別名「亀甲積み」、四角形から六角形などに加工した石をかみ合うように積み上げる。かなり高度なもの。この石の積み方は、素人にとっては皆同じように見えるのですが、面倒なようです。)で積み上げられ、アーチ式門の城門(実に強固な門ですよ)ということでも素晴らしい。17世紀初頭には、島津が侵入、薩摩の植民地となった。そのときも中城城は使われていた。廃藩置県の後は、「中城村役場」として使われていた・・・。700年もの間、歴史を見てきたのですよ!
 1853年に、ペリー提督が、中城城へ来ているのです。「アーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆した」、そして、中城城に関する詳細な報告文を書いています。日本に開国を迫ったペリー提督が立った中城城に、私も立ちました!ペリーが足跡を記したその場所にですよ!身震いがしました。アーチ門も素晴らしいとは思いますが、私には、「壁の厚さ」が印象的でした。万里の長城は、戦争被害を受けないほど堅牢ですが、中城城の城壁もめちゃくちゃ堅牢だと思います。竹と紙の文化とは、違うところにあります。

 中城城で、「半端じゃないなあ」と感じたのは、入り口で入場の係をされている人です。普段着で、「朝食の片付けが終わったので、入場料の徴収のパートタイムジョッブにやって来た」という感じのルックス。まず、俗っぽくない。真摯!単なる担当者なのでしょうが、「中城城址へ来てくださって有り難うございます」という態度を貫いている。
 この方がなぜ半端じゃないか?驚かされた事実は、「好奇心がユニクロのトックリセーターを着ているような人物」である家内が、畑の片隅の、誰も気にとめないような花に目をとめ、「この花は、なんですか?」と尋ねたときです。
 「これは、この土地では○○と呼ばれている花で…夏場に××…秋から冬にかけて△△…。学名は、◇◇…」まるで、学芸員のようなきちんとした説明。素晴らしいです。私は、家内の質問にまともに答えられる人をかってみたことがなかったのです。必ず、「ワカリマセン」だったのです。もっとも、質問が常人と違う観点なので、分からなくて当然なのですが…。おおっと!先を急がなければ。

 中城村を過ぎて、海中道路へ。海中道路の途中に、道の駅の海バージョン、「海の駅 あやはし館」がありました。「海の駅」ですよ、「道の駅」とは違うんです!自慢材料を増やしました。「あやはし」とは、琉球の古語で、「美しい橋」という意味だそう。
 海中道路を通って、「平安座島→宮城島→伊計島」へと足跡を記した。海のシーズンではないため、どこへ行っても会う人は…物好きな「わ」ナンバーの人たちのみ。

 海中道路からの帰途、また出ました!世界遺産「勝連城址」。もちろん見学。急な坂を登って、てっぺんまで行って360度パノラマ景色を見て来ました。自然の地形を利用し、難攻不落の城を築いた、その技術の高さもしっかり見せていただきました。数カ所ある井戸の跡も。

 「城址」は、建物がなく、土台だけが残っている。そのため、「積極的な興味」を持っていませんでしたが…中城城址にしろ、勝連城址にしろ、見るべき価値があると思いました。単なる野次馬の私でも、感動に近いものを感じるのですから。歴史好きな人にとってはたまらないでしょう。

スカイブルーの魚イラブチャーを食す

2009年01月13日 | Weblog
   イラブチャーを食べずして沖縄を語るなかれ

 「イラブチャーを発見!」食堂でも居酒屋でもないところで!やれやれ、とうとう見つけました。「海で泳いでいるイラブチャーを見たんじゃないのか」って?はずれです。スーパーマーケットの鮮魚売り場で、さしみになったまま売れ残っていたイラブチャーを発見したのです。売れ残ったさしみでも、1円も値下げしない。正しく「沖縄さしみ魚の帝王」の威厳でしょう。

 「イラブチャーって、あの黒い猛毒のウミヘビか?」だって?違います。それは、「イラブー」です。もちろん、イラブーにも興味ありありです。ハブの80倍の毒を持っているってんですから!咬まれたら即死のようなものです。しかし、BUT!性格が非常に大人しくて、口が小さいため、咬まれる被害はほとんど起こっていないという。夜行性で、昼間は海岸の岩陰等で休んでいる。うかつに岩場で遊べませんねえ。沖縄料理の…高級かどうかは分かりませんが、珍重されている食材です。泡盛に丸ごと漬けた、「イラブー酒」もある。人間は、ヘビを掴まえると、なぜか酒に漬けたがる。「マムシ酒」「ハブ酒」「イラブー酒」なんなんでしょう?毒のないヘビの、「青大将酒」「ニシキヘビ酒」「アナコンダ酒」は…ない。どうやら、「毒ヘビと酒」が相性がいいらしい。しかしですねぇ、ヘビの入った酒など、生臭くて飲めたもんじゃないですよ。ウロコや吐物なんだか排泄物なんだか知らんが沈殿していたり…。滋養?そんなものあるはずない!信じて飲めば、滋養があるような気持ちになるだけの話。

 話しをイラブチャーに戻します。イラブチャーは、ブダイ類の総称。ブダイの仲間は、青、赤、緑、白、黒などカラフル。鋭い歯で岩についた海草類をそぎ取るように食べる。沖縄では、青と赤が主流らしい。私が食べたかったのは、青のほう。赤い魚は、「キンキ」や、アイスランドから来る「赤魚」があり、何度も食べている。「スカイブルーの魚」これは水族館で見たぐらいで、食べたことがない。生きているうちに食べなければ。

 と、いうわけで買いました。1パック、10数切れほどで、1,000円。ついでに、一連の沖縄料理を買い、ムーチーも買い、久米島の泡盛もオリエントビールも買い、ホテルで盛大にお正月を祝いました。スーパーでイラブチャーを見つけなければ今夜も夕食は民謡居酒屋でした…。「島唄」の解説も、「変なおじさん」の解説も覚えてしまったので、民謡居酒屋は卒業してもいいだろう、と思っていたので丁度よかった。

 スカイブルーのイラブチャー、身は白身と赤身の中間の色合い。ウロコを落とした皮に、スカイブルーがしっかり残っている。
 さて、お味は?…あっさり!偏屈な主張がない。物足りないほどあっさり味。しかし、BUT!噛んでいるうちに、イラブチャーの逆襲が始まる。「イタチの最期っ屁」ってやつでしょうか?違いますね、はい。「獣の味」。上品に言うと「クセがある」。下品に言うと「臭みがある」。私にとって、その臭みがまたいいんです。痘痕(あばた)もエクボですよ。その臭みを泡盛で飲み込む。旨い!「臭みが気になる人は、酢味噌であえたり、ポン酢か、コーレーグース(唐辛子の泡盛漬け。土産物店等で必ず売ってます)で臭み消して食べるといいでしょう」…これ、受け売り。

 35度の泡盛、2合ビンが空になった。

寅さんを偲んで瀬底島へより道

2009年01月12日 | Weblog
  東シナ海や、太平洋を見ながら南下?

 那覇名物の渋滞に巻きこまれないように、午後2時過ぎに美ら海水族館を発って那覇へ向かった。カーナビのゴールは、那覇のホテルにセットした。東シナ海を右に見て、国道58号線をそのまま引き返すルート。

 往路では気づかなかったが、瀬底大橋を見つけた。沖縄本島と、瀬底島を結ぶ。「フーテンの寅」のファンだったので、帝釈天にもお参りした私です。「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」・・・。リリー(浅丘ルリ子)が東京に帰ったと知って寅さんがあわてて舟に飛び乗った・・・その舟というのが、瀬底大橋が出来る前、沖縄本島と瀬底島を結ぶ交通手段であった、米軍払い下げの「上陸用舟艇」だった。そんなわけで、瀬底島へ行けば…浅丘ルリ子が正月休みで来ているかも。

 上陸用舟艇といえば、ノルマンディー上陸作戦。4,000隻の上陸用舟艇で、最終的に約300万人がノルマンディーに上陸した。沖縄にも上陸用舟艇で上陸。上陸用舟艇を渡し船として使わせる発想はいかにも米軍らしい。港を作らなくてもいいのですから。米軍は、漁師へも上陸用舟艇を提供しました(漁船用にです。本当の話しですからね!)。沖縄の産業復興に上陸用舟艇が活躍した…多少皮肉ではありますが、よかったと思います。世界一頑丈な漁船ですね。
 瀬底島…浅丘ルリ子を見かけることは出来なかった。それどころか、発見した第一島人は、サトウキビ収穫中のおじさん。島で見かけた人物は、彼一人だけだった。瀬底島の皆さんには申し訳ないが、ビーチとゴルフ場があるだけ…。あとは、サトウキビ畑。「上陸用舟艇」の展示も、「渥美清の銅像」もなかった。「リリーせんべい」も「寅さんまんじゅう」も。そんなもん、なくてもいいと思います。しょせん観光客という種族は、「トイレに寄って帰るだけ」ですから。

 58号線に戻って、名護市へ入るあたりで、家内が新たな提案を・・・。本島を横断し、太平洋を眺めながら那覇へ入ろうという…。一家の働き手である家内の言葉に逆らうことは出来ない…。国道329号線を通って、太平洋側へ出た。いとも簡単。沖縄本島のウエストはいかにも細い。

 マングローブ林、田芋料理、鍾乳洞で貯蔵する泡盛などで有名な金武町へ入った。金武町の読みは、「きんちょう」。「きんぶちょう」ではなかった。衝撃的ですよ、この読み方!役に立たない知識を増やしてしまった。

 金武町で、道路が少々交錯していた。カーナビは、329号線から外れた道を選択。日本のカーナビは大変賢いので、お告げに従い走り続けた。
 ・・・ありゃ?太平洋岸を南下しているので海は左に見えるはずなのに・・・海を右に見て走っている・・・?カーナビが賢かったのです。設定コースから外れ太平洋へ出たので、私(運転者)が道を間違えたと思ったカーナビが、本島を再び横断させ東シナ海側へ戻したのでありました。初志を貫徹せよってことですね。

 しばらく走ってカーナビは言いました。「この先10kmで渋滞です」…出ました!那覇名物渋滞。浦添市に入る前から渋滞となっており、数メートル走ったらストップの繰り返し…。三車線にぎっしり車が詰まっている。ゴールまでまだ10km以上ある。何時間かかるか分からない。出発前に得た情報では、毎日大渋滞が起こるという…どうして回避しないのか?前後左右の車がほとんど、「わ」ナンバーということも関係しているかな?さすがの賢いカーナビも、「次を右に入ると、空(す)いている道へ出ますよー」とは教えてくれない。ここは、自分で何とかしなくてはならない。

 地図を引っ張り出したところ、58号線にバイパスがあることを発見。三車線を強引に抜け出し、バイパスへ出た。このような場合は、無理矢理出てこなければ渋滞から抜け出すことなど出来ない。バイパスは、がら空きでスイスイ走ることが出来ました。皆さんどうして、律儀に渋滞の58号を走るんだろう?大変疑問に思いました。