徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

勝利至上主義の打破は出来るのか?

2022-04-21 12:23:08 | その他

今日の午前中は曇りで、まだ雨は降っていませんが、午後から降水確率70%、夜は100%です。バスに乗って運転席側の後部座席に座ると、女性用と思われる傘の忘れ物があり、降りる際運転手さんに届けておきました。皆様、常用している傘はどんな傘ですか?ビニール傘?お気に入りの値段の高い傘?折り畳み傘?先程の忘れ物はオシャレな傘で名前のシールまで貼ってありました。持ち主に戻ると良いのですが。

 

先日、ネットサーフィンをしていて、下記の様な記事を見つけました。

 

中学日本一の選手はなぜ消えていくのか…"中学までの子"を大量につくる「スポーツバカ親&コーチ」の罪(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

恵まれた体格と才能を生かし、「日本一」を目指してスポーツに励む小中学生は多い。だが、親やコーチによる行き過ぎた勝利至上主義によってつぶれてしまう悲劇も起きている...

Yahoo!ニュース

 
 

小学生の全国大会「意義あるのか」 室伏長官が柔道の大会廃止に見解(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 スポーツ庁の室伏広治長官は19日、定例の記者会見で、全日本柔道連盟が極端な勝利至上主義を懸念して小学生の全国大会を廃止したことについて、「成長期に無理な減量や体...

Yahoo!ニュース

 

以前から何度か、

このブログでも勝利至上主義の弊害について書いてきました。

小学生の場合、早熟な子供と遅咲きの子供のレベル差は、

高校以降のレベル差とは違い、

それこそ大人と子供の違いにも匹敵する差です。

そこで、そういう早熟で、

体格がでかくてフィジカルが強い子がいれば、

その子を中心にチームを組み立てることは、

ある意味しょうがない事ではありますが、

選手の成長や、身につけさせたいテクニックは御座なりになり、

勝利だけが目的になってしまう。

それが今見直されつつあるわけです。

 

バレーボールの河合俊一さん(日本バレーボール協会の会長)が、

仲間と集まるために待ち合わせする時、

例えば、渋谷のハチ公前とかいう定番の待ち合わせ場所にするのではなく、

背の高い河合選手が目印になるので、

待ち合わせ場所は、渋谷駅前河合選手としたというエピソード。

常に、たった一人の中心選手だけに光が当たると言う暗示です。

 

話が少し脱線しましたが、サッカーのドカ蹴りや、

バレー・バスケなら一人にボールを集める。

エースとその他大勢と言うチーム構成。

走力やらフィジカルだけで圧倒して、

一人一人のテクニックやチームワーク、

戦術の理解度などは無視?

だからそういう選手は伸びないんですよね。

 

今は亡き野村克也さんは、

「人間的成長なくして技術的進歩なし」そうおっしゃっていました。

要するに、「いい仕事」をするためには技術向上だけではいけない。技術だけを磨こうという取り組み方だけでは、上達や進歩、成長は大して望めません。

と言う事の様です。

 

このブログでも、指導者が謙虚でなければ、

選手が謙虚になるはずがないと書いたこともあります。

小説から学ぶこと

スポーツの勝敗について

Niziuから派生する私の思いについて

コーチの心構え?

勝利至上主義に陥っている指導者が、謙虚さを教えるはずもなく、

中学生の部活で本当は一番大切なのは、人間的成長なのですが、

私も含めて、それを教えることの難しさはをいつも感じています。

先程の野村さんも言っていました。

謙虚とは何か?

「相手より常に一段低いところに自分の身を置くことである」

人間が最低限、持っていなければならない3つの要素とは何か?

「節度を持て」
「他人の痛みを知れ」
「問題意識を持て」

ちょっと感じたことでした。

 

107冊目です(今年110日目)。

「十五の花板 小料理のどか屋 人情帖27」 倉阪鬼一郎

勝手に評価10点満点中7点

武士を捨て料理人となった磯貝徳右衛門は、神田横山町の旅籠付き小料理のどか屋の主。時吉と名を替え、おちよとの間にできた息子千吉は十五歳になった。祖父長吉の許で修業をしていた千吉に、縁あって“花板”の仕事が舞いこんだ。品川宿で田楽と蒲焼きの店を地攻めにあって潰された紅葉屋が、上野黒門町で再興できたのだ。跡取りが十歳のため、つなぎの花板の役が来たのだ。

 

108冊目です(今年110日目)。

「風の二代目 小料理のどか屋 人情帖28」 倉阪鬼一郎

勝手に評価10点満点中8点

のどか屋の常連、幕府黒四組のかしら安東満三郎が千吉らの前で言った──。おれも女房に声をかけるとき、迷った末に前へがっと進んだ。おれから声をかけたんだ。習いごとの帰りによくすれ違ってたから。あん時に吹いた風をまだ憶えてる。風が背中を押してくれたような気がした。ここを逃して、そのままべつべつの向きへ歩いて行ったら、もう縁はねえと思った──。

久し振りにキュンキュンしてしまいました。

60才過ぎの爺の私ですが、

昔を少し思い出してしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする