先日いつもお世話になっている
ストーンショップ日月さんへお邪魔したら
一冊の本を紹介されました。
バウの道中記
〜『チベットの死者の書』49日間の物語〜
吉澤武彦・OPEN JAPAN
。。。チベット死者の書
まだ読み終えてはいませんが
ひかたまさんの本にもあったワードです。
君が代から神が代へ
森井啓二・きれいねっと
君が代から神が代へより抜粋
死の章より
バルド
「バルド」は、チベットの言葉。
「バル」は、中間を意味し、
「ド」は、解き放たれたことを意味しています。
狭い意味では、死と次に生まれる
までの間の状態を言いますが、
広くは、もっと深遠な意味を含んでいます。
『チベット死者の書』(バルド・トェ・ドル・チェンモ)
の流行で知られるようになった言葉です。
バウの道中記は
亡くなったバウさんの49日間の物語です。
『死』に関して
私は死に対する恐怖があまりありません。
死にゆくことへの恐怖です。
逆を言えば
生に対する執着がないのだと思います。
いつ死んでもいい
そう言うとほとんどの方がびっくりされます
先日面白い体験をしました。
立春早朝アトラクションハプニング。
その後ぽっきぃ作りの毎日でしたが
ふと
(もし、私が立春早朝アトラクションハプニングで死んでいたのに、それに氣づいてなくてこうやってぽっきぃ作ってたら。。。なんか笑える。死んでもぽっきぃだなんて
どんな人生やねん(笑))
そして以前聞いた
結城美恵子さんの朗読を思い出しました。
題材が確か「拝啓 陶芸家さま」
陶芸家の旦那さまとのすれ違いに
寂しさや悲しさや不満を募らせる日々。
ある時ふと
何かおかしいことに氣づきます。
そして
旦那さまがずっと工房にこもりきり
作っていたものは。。。
骨壷だったんですね。奥様の。
そして自分が死んだことを理解します。
話がずれてしまいましたが
「死」は誰にでも訪れます。
人だけではなく
植物も動物も生と死を循環していきます。
「死」とは何か。
私も向き合う時期なのかもしれません。

ストーンショップ日月さんへお邪魔したら
一冊の本を紹介されました。
バウの道中記
〜『チベットの死者の書』49日間の物語〜
吉澤武彦・OPEN JAPAN
。。。チベット死者の書
まだ読み終えてはいませんが
ひかたまさんの本にもあったワードです。
君が代から神が代へ
森井啓二・きれいねっと
君が代から神が代へより抜粋
死の章より
バルド
「バルド」は、チベットの言葉。
「バル」は、中間を意味し、
「ド」は、解き放たれたことを意味しています。
狭い意味では、死と次に生まれる
までの間の状態を言いますが、
広くは、もっと深遠な意味を含んでいます。
『チベット死者の書』(バルド・トェ・ドル・チェンモ)
の流行で知られるようになった言葉です。
バウの道中記は
亡くなったバウさんの49日間の物語です。
『死』に関して
私は死に対する恐怖があまりありません。
死にゆくことへの恐怖です。
逆を言えば
生に対する執着がないのだと思います。
いつ死んでもいい
そう言うとほとんどの方がびっくりされます

先日面白い体験をしました。
立春早朝アトラクションハプニング。
その後ぽっきぃ作りの毎日でしたが
ふと
(もし、私が立春早朝アトラクションハプニングで死んでいたのに、それに氣づいてなくてこうやってぽっきぃ作ってたら。。。なんか笑える。死んでもぽっきぃだなんて

そして以前聞いた
結城美恵子さんの朗読を思い出しました。
題材が確か「拝啓 陶芸家さま」
陶芸家の旦那さまとのすれ違いに
寂しさや悲しさや不満を募らせる日々。
ある時ふと
何かおかしいことに氣づきます。
そして
旦那さまがずっと工房にこもりきり
作っていたものは。。。
骨壷だったんですね。奥様の。
そして自分が死んだことを理解します。
話がずれてしまいましたが

「死」は誰にでも訪れます。
人だけではなく
植物も動物も生と死を循環していきます。
「死」とは何か。
私も向き合う時期なのかもしれません。
