お久しぶりにムーンライト。
記憶が確かであれば卵sanにも旬があって
それが春だったはずです
命をいただく
それは動物のことばかりではなくて
植物もおんなじです。
全ては同じ
全てはひとつ
動物だとか植物だとかは表面上のことです。
そして私たちの命も同じです
だから
動物が、とか
植物が、とかではなくて
命とどう向き合うか
が大切だと思うのです。
命をいただくという意識がないから
食べ物も使い捨てみたいになる
余ったらすぐ捨てちゃう
ポイっ
また
生産性や利益ばかりを追求してしまう
一般的な養鶏は
身動きの取れない狭いゲージで一生を終えます。
ストレス、病気が発生しやすい環境になります。
なので卵sanの出荷前に薬剤処理をされる。
個人的にはその薬剤処理が
アレルギーの大きな原因ではないかと
推測してます。
もちろん餌も関連してると思います。
例えば
笑うと免疫が上がるといいます。
あ、人間の話です。
楽しいことや嬉しいこと
そんな時には
ストレスや病気にはなりにくいです。
楽しすぎてストレス溜まりました🤣
嬉しすぎて毎日がとても苦しいです🤣
って聞かないです。
けど
辛い時や苦しい時、悲しい時は
憂鬱になり気分が落ち込むと
生きているのも辛くなります。
そんな時はエネルギーがとても落ちています。
免疫が下がって身体機能が低下します😞
鶏sanも同じではないですか?
ゲージ飼いの鶏sanたちは
本来の行動を拘束され喜んでいるとは
考えにくいです。
だからとてもストレスが溜まっているし
苦しいと思うのです。
そのみえないエネルギーは
卵sanにも影響を与えると思うのです。
書いていて思ったのですが
植物と動物の違いは行動範囲かもしれない。
植物は与えられた場所で
動けなくても生き抜く力としなやかさがある。
動物は必要に応じて場所を変え
行動することで生き抜いて行く。
話はそれたけど
想像してください。
ゲージに入った鶏sanを
人に置き換えてみてください。
ゲージに入った人間です。
ゲージに入れられたあなたです。
一生ゲージに入ったままです。
鶏sanに感情がないと思いますか?
人ほど複雑ではないですが
感情はあります。
それは植物も同じです。
植物にも感情はあります。
そう
同じなんですよね。
動物も植物も人も。
その目線で自分の周りをみることができたら
今までとは違う世界をみることができますね。