前回ご紹介した阪田さんの言葉に、「自分はヨーロッパの伝統の中で勉強してきた人間なので」とあります。
その前が「自分が一番素直に自分らしく演奏できる曲を選びました」です。
ブラームスのコンチェルトを選んだことについてです。
インタビューなので省略されているとは思いますが、少々分かりにくいお話に思えます。
原田英代さんの「ロシアピアニズムの贈り物」に、このような事が書かれています。
『伝統を受け継ぐとはどういうことなのか?形だけを真似てみたところで伝統を受け継いだことにはならない。伝統が伝えられていくためには基本的な理念が十分理解されていかねばならばいし、それを発展させるだけの資質を持ったピアニストが養成されなければならない』
阪田さんの演奏を聴いていると、形だけを真似たものではないことが分かります。
そこにある精神性を彼は受け継いでいると感じます。自分はこういう風に受け取っていると、それをご自身の力で熟成させていると感じます。
同じピアノという楽器を弾いていても、同じ曲を弾いていても、見えている世界、知っている世界が比較にならないほど遠いところに、こういう方々はいらっしゃいます。
それでも、阪田さんの演奏に触れて、何十年振りかに自分が表現したいものを思い出しました。
エドウィン·フィッシャーとフルトヴェングラーのブラームス ピアノコンチェルトNo.2
Furtwängler, Edwin Fischer most lively: Brahms Piano Concerto No.2 live 1942.Special transfer
その前が「自分が一番素直に自分らしく演奏できる曲を選びました」です。
ブラームスのコンチェルトを選んだことについてです。
インタビューなので省略されているとは思いますが、少々分かりにくいお話に思えます。
原田英代さんの「ロシアピアニズムの贈り物」に、このような事が書かれています。
『伝統を受け継ぐとはどういうことなのか?形だけを真似てみたところで伝統を受け継いだことにはならない。伝統が伝えられていくためには基本的な理念が十分理解されていかねばならばいし、それを発展させるだけの資質を持ったピアニストが養成されなければならない』
阪田さんの演奏を聴いていると、形だけを真似たものではないことが分かります。
そこにある精神性を彼は受け継いでいると感じます。自分はこういう風に受け取っていると、それをご自身の力で熟成させていると感じます。
同じピアノという楽器を弾いていても、同じ曲を弾いていても、見えている世界、知っている世界が比較にならないほど遠いところに、こういう方々はいらっしゃいます。
それでも、阪田さんの演奏に触れて、何十年振りかに自分が表現したいものを思い出しました。
エドウィン·フィッシャーとフルトヴェングラーのブラームス ピアノコンチェルトNo.2
Furtwängler, Edwin Fischer most lively: Brahms Piano Concerto No.2 live 1942.Special transfer