久し振りにエディション研究をしたいと思います。
前回は2020年にJ.S.バッハのインヴェンションNo.1についてしました。
今回はショパンの英雄ポロネーズです。
バッハの時もですが、このポロネーズも学生の時の必修科目だったエディション研究で発表したものです。
当時はエキエルの存在はなく、現在日本で出版されているパデレフスキーのライセンス版も存在しておりませんでした。
友人と2人で組んで発表しました。
校訂報告は、英語が得意な友人は何故かヘンレ版のドイツ語、英語が得意ではない私がパデレフスキー版の英語を訳しました。
(確か友人のお父上が大学教授でドイツ語が大丈夫というので、わからなかったら教えてもらうと言うのでそのようなことになったと記憶しています。昔は翻訳アプリどころかパソコンもなく、その前の時代のワープロもなく、すべて時間をかけ自力でしていました。)
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使用楽譜は、
・ヘンレ
・パデレフスキー
・コルトー
・ミクリ
ショパンの初版は英、仏、独の3国同時出版であることがひとつの問題です。
この段階で既に国によって違いが生じています。その違いが原典版の校訂報告にはきちんと書かれています。
何回かに分け、版による違いを見ていきたいと思います。
久し振りに見ましたら、結構違うものだと思いました。
今回はエキエルも加えて見ていきます。
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版の比較を見る前に、この曲が作られた頃のショパンについて。
作曲されたのは1842年。創作の絶頂期です。
出版は1843年。作曲されたのは1842年。1839年から1843年に出版された作品は、全生涯を通じ最も高い位置を占める作品たちです。
1839年出版 | 24の前奏曲
1840年出版 | ピアノソナタ第2番、バラード第2番、スケルツォ第3番
1841年出版 | バラード第3番、ノクターン第13番、ポロネーズ第5番、幻想曲
1843年出版 | バラード第4番、スケルツォ第4番、ポロネーズ第6番
この後は、1845年 | ソナタ第3番、子守歌、1846年 | 幻想ポロネーズ、舟歌、1847年 | チェロソナタ、と作品は減り、マズルカ、ノクターン、ワルツが増えていきます。
英雄ポロネーズが作曲された1842年。
プレイエル楽堂で公開演奏会が開かれています。
プログラムは
Andante spianato
Mazurka As dur, H dur, a moll
Ballade As dur
Etude Op.25-1,2,12
Prélude Des dur
Impromptu Ges dur
公開演奏のあった2月21日、ショパンの最初の師Živný先生が死去。ショパンにバッハやモーツァルトを教えた先生です。ショパンは自分で初めて譜面に書いたポロネーズをこの先生の誕生祝に贈り、先生の下を卒業しています。
4月には幼友達マトウシンスキーが肺結核で亡くなっています。
その1週間後、サンドと共にノアーンへ。サンドは友人らも招き、ドラクロワは4週間滞在しています。
英雄ポロネーズについてショパンは、「グローショーの戦いのようだ」と言っています。グローショーとは、ポーランドのために戦っている亡霊のような勇士たちの活発な舞曲のこと。
亡霊のような勇士・・
序奏部の音楽が理解できる気がします。