アマゾンわんわん日記 2018

復活しました!
のんびりやっていきます。
また よろしくお願いします。

マナウス De 初女子会

2013年10月19日 | 生活
「女子会」なるもの、マナウスで初体験!

リオにいるときは、毎月のようにあったのよね。
仕事の会議の後。
わざわざ娘を連れに行って...
下は5歳(うちの娘)、上は60才代の熟女がそろって。
会議がたいていリオのセントロであったので、飲む場所は「Bar Luiz」。
ドイツ料理とビールが売りのお店。
騒がしいことでも有名なんだけど、回りに負けないぐらい騒がしい団体でしたね、私達も。
はい。
うちの娘は、熟女先輩達にかわいがられて、我が家では絶対に頼むことのない、「タンの冷製」(牛タンをゆでてマリネして冷やしたもの)のとりこになってしまいました。
その後、夫と一緒にこのお店を訪れたときに娘、「タンが食べたい」と言い出し、夫が「誰がそんなもの食べさせた~!」と言っておりました。
夫は、それ系だめなのです。

それ以外は、ラランジェイラス地区にあったアパートホテルのレストラン。
ちょっと高級量り売りレストラン。
ここは我が家から歩いていけるので便利でした。
ここでは娘は食べたいものをがつがつ食べると、その後はひたすら折り紙大会でした。
熟女先輩たちにかわいがられて、また私と同年代のお姉さまたちにもかわいがられて、お姫様扱いだった娘。
私も、飲みたいだけ飲めたし...
本当にたのしかったな~。

マナウスに来たら、そういう機会もまったくなくなりました。
まず、初めのころは私が家の中にいるばかりだったので、あまり外部の人とも知り合えなかったしね。
っていうか、夫は色々な方を紹介してくれて、私を外に出そうとしてくれたのよね。
でも、私には、娘の学校の送り迎えや家の仕事でそんな余裕がまったくなかったの。
正直なところ、リオの学校とマナウスの学校の学力の差に愕然として、できることなら高校生になるまでにはリオに帰りたいと思っていたし。
でも、そんな中、ラサール校時代には娘のお友達のママ、ケッサやナージアと知り合い、家族ぐるみで付き合うようになってだんだん外に知り合いができてきました。
こうしたママ友によって、いろいろとマナウスの良いところに気づかされ、だんだん「リオに帰りたい」という気持ちも薄れていきました。
今では疎遠になってしまったナージアにも、また鬼籍に入ってしまったケッサにも本当に感謝でした。
それからコレージオミリタールに入って、ガブリエル ママとか、パウロ ママ とかね。
でも、こうしたママ友は、飲みに行くような親しさにまではなりませんでした。

そのうちに仕事をするようになり、だんだん「私個人の友達」ができるようになりました。
ここにくるまでに、実に10年の月日がかかったよ。
リオ時代からすると信じられないぐらいの時間がかかった。
っていうか、やっぱり、夜に娘の送り迎えがあるっていうのは大きかったよね。

今は、娘も家を離れ、はれて自由の身!

というわけで、私にとって記念すべき「マナウス初女子会!」
下は10歳、最年長は48歳!
私じゃ!
熟女先輩の皆様方、とうとう私も最年長を張れる日が来ました。
先輩方が「いや~ね~、ペケママさん、私達もう70歳後半に突入よ~」とおっしゃる声が耳元に聞こえてまいります。
はい、先輩方にあやかれるように、がんばります!

じゃなくって~!!
楽しかった!
場所は、我が家から歩いて3分のショハスコ屋台にかつらをかぶせたような、質素なお店。
でも、味は抜群なのよ。
夜7時前から集まって、食べた量は少なかったのに、おしゃべりは延々続いて家に帰ったのは夜9時過ぎ。
なんでもないおしゃべりなのにね。
楽しかった!

また誘ってくださいね。
っていうか、またやりましょうね!


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする