伏見桃山城運動公園に建っている模擬天守は、伏見城とはなんの関係もない建築物であり、この場所に何も遺構は残っていません。
しかし、場所を変えれば伏見城の遺構を目にすることができます。
広島県福山市にある福山城の伏見櫓は伏見城から移築されたものです。
伏見城へ訪問したときの記録
http://blog.goo.ne.jp/pf11/e/2cd09991b405e8693b72c0e14083cae7
また、門や御殿の一部は近畿地方の社寺に多く残されています。
今回訪問した、正伝寺もその一つです。
京都市内とはいえ、住宅地と農地が半々の山里にひっそりとたたずんでいました。
中門をくぐり
緩い坂の参道を進んでいきます。
味わい深い灯籠を眺めたりして疲れることはないのですが、
まだ、参道は続きます。
ようやく本堂(方丈)に到着です。
この建物、伏見城の遺構で御成殿とよばれていたものだそうです。
銅鑼を二打
本堂の内部は撮影が禁止されていましたので写真はありませんが、狩野山楽筆の襖絵がありました。
息をのむような格調高さを感じました。
本堂の広縁の天井は血天井とよばれています。
これはもともと、伏見城の廊下の床板だったのです。
関ヶ原の合戦直前に石田三成軍に取り囲まれ、鳥居元忠以下多くの武将が落城の際割腹し果てました。
彼らを供養するために寺に持ち込まれたのですが、人が踏みつける床では失礼なので天井の板としたそうです。
現在も血痕が確認できます。
血天井というのはここだけのものではなく他にも多く見られるもののようです。
目をうつした先には小堀遠州作の庭園が静かにたたずんでいました。
正伝寺
京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72