橋本屋吉次郎電子日誌

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宇陀松山城

2019-05-02 | お城巡り(続日本100名城)

宇陀松山城の築城時期についてはわかっていませんが、南北朝時代には構えられていたと思われています。
豊臣政権下において、改修が行われ近世城郭へと移行し、大和郡山城や高取城とともに大和国支配の要としてに認識されていたことが窺えます。
1615(元和元)年、大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして、城主福島高晴は改易され、城も小堀遠州らによって破却され廃城となりました。

道の駅「宇陀路大宇陀」にバイクを駐めました。


似たようなバイクが並びました。

道の駅から少し歩くと古い街並みが残されています。




その一角にある千軒舎に立ち寄りました。


宇陀市松山地区まちづくりセンター「千軒舎」
所在地:奈良県宇陀市大宇陀拾生1846番地
開館時間:9:00~17:00午後5時00分
休館日:12/29~1/3

こちらで、続日本百名城のスタンプを押し、地図をいただきました。


千軒舎の裏手から登城開始。


杖が用意してありますね。


城跡まで600m


城跡まで400m
舗装された緩やかな坂道が続きます。


城跡まで300m


城跡まで200m
左の曲がりくねった路は車道で、歩行者は右側の階段を登ります。


かつての大手門は、現在の春日神社となっています。
残念ながら、そこからの大手道は工事中で通ることはできませんでしたが、ここで合流することとなります。


このあたりは、雨天時ぬかるんで厳しいでしょうね。


堀切が見えてきました。


虎口に到着しました。
千軒舎からここまで15分でした。


石段の一部は土のうで修復されています。


本丸に到着しました。
宇陀松山城は本丸を中心にして、周囲をいくつかの郭でかこんだ縄張りとなっています。

本丸の奥には一段高い天守郭があります。

天守郭からの眺め


枩尾龜斎翁碑
よくわかりません


松◯鶴斎翁碑 ?
そもそも読めません


白髭大明神

本丸を取り囲む郭へは通行止めになっており、行くことができませんでした。


本丸東側の大御殿曲輪


東帯郭


北帯郭

見学時間約1時間でした。

コメント
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