篠山城は1609年(慶長14年)に徳川家康が実子である松平康重につくらせました。
江戸時代になってはいたが大阪にはいまだ豊臣氏が健在でありこれと西国の大名への牽制ための築城だったとされます。
「笹山」という小丘陵の上に築かれた平山城で、規模はあまり大きくないものの、築城技術が最高に達した時の城です。
城作りの名人藤堂高虎が縄張りを担当しただけあって見事な石垣に囲まれています。
本丸の東南隅に天守台がありますが、天守は築かれませんでした。
これは余りにも堅固すぎる城であったため、家康が許さなかったそうです。
明治維新後、大書院以外の建物は取り壊されてしまいました。
大書院は学校・公会堂として利用されてきましたが昭和19年消失してしまいました。
平成14年復元されたものを現在みることができます。
大書院以外の建物の位置・間取りはコンクリートにしるしてありました。
かつて三ノ丸があったところは駐車場になっていましたが、うれしいことにバイクは無料でした。
他の観光地もこれを見習ってくれるとうれしいです。
あれは、くやしい・・・