熱田神宮公園から伏見通りを600mほど北に移動しました。
かつて、ここには熱田神宮一の鳥居がありました。
現在は石柱が残されているのですが、
文字が刻まれた面が片側5車線の交通量の多い道路側にあるので確認しづらいです。
なお、ここから熱田神宮の杜は見えませんでした。
新尾頭橋交差点です。
左折すると佐屋街道に入ります。
現在の愛西市佐屋まで進み、そこから桑名まで三里の渡しがありました。
美濃路はこの交差点を直進します。
金山駅に着きました。
JR,名古屋鉄道,名古屋市営地下鉄が集まる名古屋市南部の総合ターミナルです。
駅前で昼食を取ることにしました。
一風堂SHIROMARU-BASE金山店
美濃路とも名古屋ともなんの関わりもない博多ラーメンです。
体重を減らす目的で歩いているのに替玉しちゃいました。
さて、金山から北上して真宗大谷派名古屋別院を目指しましたが、地元では東別院とよばれており、交差点名や
インターチェンジ、地下鉄の駅名も東別院となっています。
山門
本堂
対面所
名古屋教務所
お隣はメーテレ(名古屋テレビ)です。
東別院の北にある永国寺です。
かつてこのあたりは千本松原とよばれ尾張藩の刑場がありました。
二代藩主徳川光友は土器野(現・清須市)に移設して、処刑された人の菩提をともらうためにこの寺を作りました。
本堂
千人塚 (別名・切支丹塚)
尾張藩はキリシタンに対して比較的寛容であったが、幕府の度重なる咎めにより多くの教徒を処刑せざるを得ませんでした。
切支丹遺蹟資料館
マリア観音、かくし弁天、踏み絵等が展示されていました。
観音堂
もう一方の山門を出て、美濃路に戻りました。
このあたりは寺院が多いためか、仏具・仏壇店もたくさん見られます。
店名は美濃路に由来しているのでしょうか。
美濃路歩き始めのこの日
宮(熱田)宿から名古屋宿までの踏破を予定していました。
しかし、情けないことにこのあたりで脚がかなり痛くなってしまいました。
原因1、出発時にバイクのキーをつけたままであることに気づき、小走りで戻っていったため。
原因2、断夫山に登ったこと。登りでは気になりませんでしたが、降りるとき怖さをおぼえるほど急坂でした。
原因3、靴の紐をしっかり締めていなかったこと。
橋吉は普段からハイカットのトレッキングシューズを履いていますが、着脱が楽なようにおもいっきり緩く紐を結んで、サンダルのように使っています。
このため、脚に負担が大きかったようです。
ということで、上前津駅から地下鉄に乗り、この日は帰路につきました。
この日のさらなる反省点を記しておきます。
・手袋、帽子を着用する。
→歩くと体は温まるのですが、風にさらされている部分は冷たいです。
・数珠を用意する。
→寺院が多いですから
SevenFiftyです。
いきなり見たことがある風景が満載です。
何せ仕事では金山総合駅で毎日のように乗り降りしています。
ところで起宿まではすで行かれたのでしょうか。
<参考までに>
起宿から川を渡ると岐阜県ですが、まだ現役の渡し船があって岐阜県に渡れます。
天候がよければ渡し船も良いかと思います。
なるほど、思いっきり地元ですね!しかし尾張名古屋と言えば日本の2大都市だけあって私たちのようななじみの無い者でも戦国時代物で良く聴く地名も出てきますね、靴の紐とラーメンの替え玉に気を付ける事は非常に参考になります!
東別院なんて何十回?何百回?もクルマで前を通りましたが初めて山門をくぐりました。
そうそう!起に渡船がありましたね!楽しみです。ちなみにまだ名古屋市を出ていません。
この道を歩く気になったのは、ところどころに昔の名残が残っているからです。それは建物で会ったり、石碑であったりですけど、地名もその一つです。この先にもお聞きになったことのある地へ行きますのでお楽しみに。
歩き慣れてないと、足を痛めますよね。
ここでご参考までに、歩く時のワンポイントアドバイス。
靴の紐を縛る時、足の指側の紐は緩めておき、足首側だけで少しキツめに縛る。そうすることで、足指が自由に動けるので、マメができにくく、踏ん張りが利きやすくなります。
全体を締めると、足の血流が悪くなり鬱血してむくみ、疲労が残りやすくなります。
私もマラソンの靴は、このように履いて対策しております(^-^)/
なるほど参考になります。年末に新しい靴に買い換え、まだしっくりきてないみたいです。試してみます。